中宮の哀歌 ・ 今昔物語 ( 24 - 41 )
今は昔、
一条院(第六十六代一条天皇)が崩御されて後、後一条院(第六十八代後一条天皇)がまだ幼い時、そばにあったなでしこの花を無心に摘み取られたのを、母后の上棟門院(藤原彰子)がご覧になって、このようにお詠みになった。
『 みるままに つゆぞこぼるる をくれにし こころもしらぬ なでしこのはな 』 と。
( 父の天皇が亡くなられたのも知らず、無心になでしこの花を摘む幼い天皇を見ると、涙がこぼれて仕方がない。)
これを聞く人は、みな涙を流した。
また、一条院がまだ天皇の位にあられた時、皇后(藤原定子)が亡くなられたが、その後になって、御座所の御帳の紐に文が結び付けられているのに気付いた。ある人がこれを見つけたが、いかにも天皇のお目にとまればよいとばかりに結ばれていたので、ご覧に入れると、和歌が三首が書かれていた。
『 よもすがら ちぎりしことを わすれずは こひしなみだの 夕(ユウベ)ゆかしき 』
( 夜もすがら 契り交わしたことをお忘れでないなら、私を恋い慕って涙を流して下さることでしょう。)
『 しる人も なきわかれぢに いまはとて こころぼそくも いそぎたつかな 』 と。
( 知る人もいない死出の旅に、もうその時が来ましたので、心細いですが一人で旅立ちます。)
天皇はこれをご覧になって、この上なく恋い悲しまれた。
これを聞いた世の人々も、涙を流さぬ者はなかった、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
* 藤原道長全盛期の頃で、藤原彰子には紫式部らが仕え、藤原定子には清少納言らが仕えていた。
☆ ☆ ☆
今は昔、
一条院(第六十六代一条天皇)が崩御されて後、後一条院(第六十八代後一条天皇)がまだ幼い時、そばにあったなでしこの花を無心に摘み取られたのを、母后の上棟門院(藤原彰子)がご覧になって、このようにお詠みになった。
『 みるままに つゆぞこぼるる をくれにし こころもしらぬ なでしこのはな 』 と。
( 父の天皇が亡くなられたのも知らず、無心になでしこの花を摘む幼い天皇を見ると、涙がこぼれて仕方がない。)
これを聞く人は、みな涙を流した。
また、一条院がまだ天皇の位にあられた時、皇后(藤原定子)が亡くなられたが、その後になって、御座所の御帳の紐に文が結び付けられているのに気付いた。ある人がこれを見つけたが、いかにも天皇のお目にとまればよいとばかりに結ばれていたので、ご覧に入れると、和歌が三首が書かれていた。
『 よもすがら ちぎりしことを わすれずは こひしなみだの 夕(ユウベ)ゆかしき 』
( 夜もすがら 契り交わしたことをお忘れでないなら、私を恋い慕って涙を流して下さることでしょう。)
『 しる人も なきわかれぢに いまはとて こころぼそくも いそぎたつかな 』 と。
( 知る人もいない死出の旅に、もうその時が来ましたので、心細いですが一人で旅立ちます。)
天皇はこれをご覧になって、この上なく恋い悲しまれた。
これを聞いた世の人々も、涙を流さぬ者はなかった、
となむ語り伝へたるとや。
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* 藤原道長全盛期の頃で、藤原彰子には紫式部らが仕え、藤原定子には清少納言らが仕えていた。
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