『 若宮の誕生祝い続く ・ 望月の宴 ( 113 ) 』
十六日には、明日の御七夜にはどのようになるのかと、昨夜の装束とは違えての支度に備えている。
ただ、この日の夜はこれといった予定はなくゆとりがあるので、女房たちは池に船を浮かべて遊び、左の宰相中将(源経房。従三位、参議、左近衛中将兼近江権守。)、殿の少将の君(教通。道長の息子。従四位下、右近衛中将。)なども加わって、船を乗りまわされた。さまざまにおもしろく楽しいことがたくさんあった。
そして、七日目の夜は、朝廷による御産養である。
蔵人少将道雅(藤原伊周の息子。正五位下、蔵人兼右近衛少将。)が勅使として参上された。松君(道雅の幼名)のことである。
贈り物を書いた目録を柳筥(ヤナイバコ)に入れて参上なさった。そして、直接中宮に申し上げられた。
勧学院の学生どもも徒歩で参上し、見参の文(参加者の名簿)を啓上して、禄などを賜ったのであろう。先夜の産養の時にも増して仰々しく騒ぎ立てている。
帝付の女房もみな参上する。藤三位(藤原繁子)、命婦(ミョウブ・五位以上とされる中臈女房。)、蔵人(女蔵人。内侍・命婦のもとで雑用を勤める下臈女房。)が二台の車で参上した。
船遊びをしていた女房たちも、皆おどおどしながら部屋に入った。
帝付きの女房たちに、殿(道長)が面会なさったが、何の憂いもなさげのご様子で、笑みの眉が開ける(にこにこ顔の表現らしい。)お顔でいらっしゃるので、お会いした女房たちは、いかにもそうであろうと感激してお見受けした。贈り物の数々を身分に応じて贈られた。
またの日(翌日の意味だが、船遊びのあった翌日の意味らしく、七夜産養の当日のこと。)の中宮(彰子)の御有様は、たいそう格別とお見受けされる。御帳の内で、ほんとに小柄で面やつれして横になっていらっしゃるが、まことにふだんよりほっそりと気高くお見えになる。
おおよその事は、先夜と同じである。中宮から上達部への禄は、御簾の内よりお出しになったので、左右の頭(蔵人頭のことであろうが、中宮職の宮司が取り次いだと考えられる。)二人が取り次いで差し上げる。通例の如く、女の装束に若宮の御衣を添えていたのであろう。殿上人への禄は通例通りであったということである。
朝廷からの贈り物は、大袿(オオウチキ・大きく仕立てた物で贈答用。)、衾(フスマ・寝具。ここでは若宮用か?)、腰差など、慣例通りの公式のものであろう。
御乳付の三位(オンチツケノサンミ・橘徳子)には、女の装束に織物の細長(ホソナガ・幼児用の着物で長く作っている。禄によく使われる。)を添え、銀製の衣筥に入れて、包みなども同じように白いが、それとは別に包まれた物もお添えになる。
八日目には、女房たちは、白一色の衣装からいつもの様々な色の衣装に着替える。
九日目の夜は、東宮権大夫(頼通。道長の嫡男、彰子の弟。)が御産養を奉仕なさる。
これまでとは趣向をお変えになっている。
今宵は上達部は御簾のそばにお座りである。白い御厨子二つに贈り物をお置きになる。
儀式は、これまでと違って、いかにも現代風である。銀製の御衣筥に海賦(カイフ・波に藻や貝を施した文様。)の文様を打ち出して、蓬莱山などはこれまで通りだが、技巧を凝らしていて、それだけを取り立てて説明することは出来そうもない。
今宵は御几帳がすべて平常の有様になっていて、女房たちは濃い紅の袿を着ているのが、これまでは白一色だったので、久しぶりにとても優美で、透けて見える薄物の唐衣などが、つやつやと連なって見える。
こうして数日が過ぎたが、中宮はやはりたいそうご用心なさって、神無月(十月)の十日過ぎまでは、御帳台からお出にならない。殿(道長)は、夜となく昼となく何度もお越しになり、若宮を御乳母の懐から受け取って抱き、何とも愛おしげなのも、全く当然のこととお見受けする。若宮の御尿などに濡れても、嬉しそうになさっている。
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