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信州は雪深い所ですが、この辺りは特別雪が少ないのですよ、と彼の母親は私に向かって話し始めた。
私はこの友人の母親を、友人が呼ぶのと同じように「お母さん」と呼ぶようになっていたが、そう呼びたくなるような実に暖かなものを感じさせる人であった。
お母さんは、長野県と新潟県の県境に近い村落の出身であった。その頃にはすでに廃村になっていたが、大変な豪雪地帯だそうである。
お母さんよると、現在住んでいるこの町の雪などは優しい雪であって、このような雪しか知らない息子たちが安易に雪のことなど話して欲しくない、というのがお母さんの言い分であった。
「また、お母さんの話が始まるよ」
と、友人が茶化したところをみると、お母さんは時々、今は消えてしまった出身地のことを家族に話すことがあったようである。
その夜は、私という初めての聞き手に、雪の持つ凄まじさを、まるで歌うように語ってくれた。
**
空から降ってくる雪は、優しい雪です。
貧しい生活をする人々に休息するようにと、家も畑も道も小川も、そして森までもすっぽりと包んでくれます。
人や馬や狸や熊も、すっぽりと包んでくれます。
夏の日の疲れを癒すようにと、冬の間は昼も夜もゆっくり休みなさいと、村中を雪で包んでくれます。
しかし、人は馬鹿だから、冬も働こうとします。
中には賢い人もいるけれど、賢い人も働こうとします。
馬鹿な人も、賢い人も、みんな貧しさに耐えかねて、働きます。
働く人々に、雪は怒りの姿を見せます。
怒れる雪は、足元から沸き上がります。
沸き上がった雪は、風を呼び、天と地の間のすべての空間を埋め尽くし、駆け巡り、怒りの声で吼えます。
優しい雪の思いやりを理解できない人間たちに、天地を結ぶ渦巻となって襲いかかります。
天は啼き、地は唸り、風は叫び、雪は吼えます。
それでも人々は働きます。馬鹿な人も賢い人も、みんな働きます。
馬鹿な人も賢い人もいるけれど、人間は結局みんな馬鹿だから、貧しさに負けて働きます。
飢えて死ぬことよりも、怒れる雪に身を任せます。
怒れる雪は何よりも怖いけれど、最後のところでは、わしたちみんなを受け入れてくれることを知っています。
怒れる雪も優しい雪も、どれもみんな雪は雪、最後の最後には、わしたちみんなを受け入れてくれることを知っています。
馬鹿な人も賢い人も、悪さをした人もしなかった人も、となりの嬶さんと手を取り合って逃げる人も、人を殺めてしまった人だって、最後の最後には、怒れる雪に身を任せれば、みんな受け入れてくれます。
怒れる雪は怖いけれど、誰も彼もわけへだてなく大きなからだを広げて受け入れてくれることを、わしたちはみんな知っています。
だから、馬鹿なわしたちは、きょうも怒れる雪に歯向かって働きにでるのです。
馬鹿な人も賢い人も、怒れる雪の中に出ていくのです・・・。
**
「あら、わたしの話ばっかり…」
お母さんは、まるで夢から覚めたかのように大きな声をだし、私と視線が合うと恥ずかしそうに笑った。
ご主人も、二人の息子も、にこにこしながら聞いていた。何度も聞いているように茶化していた友人も、話の腰を折ることもなく聞き入っていた。
私は、不思議な感動に身体が震えていた。込み上げてくるものがあり、感想を述べることもできなかった。
もっとも、こんな話に、下手な感想を言わなくて良かったと、あとでつくづくと思ったものである。
「さあ、さあ、お茶を召し上がれ。温かいのに入れ替えましたから」
お母さんは、私のお茶を湯呑ごと取り換えて、大皿を少し私の方に押した。
その大皿には、どんな種類の野菜が入っていたのか正確には覚えていないが、大根とか人参とか蕪とか、もっと多くの種類の根菜を主体とした漬物が山盛りにされていた。
食卓の真ん中に置かれた大皿から、各自がそれぞれに自分の小皿に取って、お茶を飲みながらその漬物を食べ、ひとしきり団欒するのである。そして、かなりの時間を過ごした後で夕食が始まるのである。
私のこれまでの経験では、食事の前にお茶を飲む程度ならともかく、漬物などを食べるというのは大変行儀の悪いことだと思っていた。
最初の夜、友人の家族全員が食事の前につまみ食いするのに唖然としたが、そのうち空腹がひどくなってきたのに夕食が始まりそうにないのに耐えかねて箸を出そうとした時、漬物は苦手ではないのかと心配してくれたのに、困った思いをした。
お母さんの話を聞いたのは二日目のことなので、私は勧められるままに漬物を小皿に山盛り取った。大ぶりに切られた漬物は、どれもがどうしてこれほど違うのかというほど美味しいものであった。
しかし、雪の話題はそこで終ってしまった。
私は、内容についてもっと詳しく聞きたいし、言い伝えのようなものがあるように思われるし、別の話もあるのではないかと、話の続きを期待していた。けれどもお母さんは、先ほどの感情を込めた話などまるっきり忘れてしまったかのように振る舞い、誰もが他の話題に興じていた。
後日、友人にお母さんの雪の話について尋ねたことがあるが、彼が子供の頃には別の話も聞いたようであった。しかし、彼が中学生になった頃からは、お母さんが雪の話をする時はいつもこの話のようであった。
多分、お母さんが自分の親から聞いた話らしいのだが、内容の説明や感想などは一切語らず、話し終えればそれでおしまいで、質問されても何も答えないとのことであった。
そして、お母さんが雪の話をしながら涙をこぼしたのを二度ばかり見たことがある、と友人は話していた。
私が山歩きの最初の日を友人宅に泊めてもらうことにした一番の理由は、やはり、お母さんからまた雪の話を聞かせてもらえるかもしれないという期待だったようだ。
しかし、七月に雪の話はいかにも不自然であった。
信州は雪深い所ですが、この辺りは特別雪が少ないのですよ、と彼の母親は私に向かって話し始めた。
私はこの友人の母親を、友人が呼ぶのと同じように「お母さん」と呼ぶようになっていたが、そう呼びたくなるような実に暖かなものを感じさせる人であった。
お母さんは、長野県と新潟県の県境に近い村落の出身であった。その頃にはすでに廃村になっていたが、大変な豪雪地帯だそうである。
お母さんよると、現在住んでいるこの町の雪などは優しい雪であって、このような雪しか知らない息子たちが安易に雪のことなど話して欲しくない、というのがお母さんの言い分であった。
「また、お母さんの話が始まるよ」
と、友人が茶化したところをみると、お母さんは時々、今は消えてしまった出身地のことを家族に話すことがあったようである。
その夜は、私という初めての聞き手に、雪の持つ凄まじさを、まるで歌うように語ってくれた。
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空から降ってくる雪は、優しい雪です。
貧しい生活をする人々に休息するようにと、家も畑も道も小川も、そして森までもすっぽりと包んでくれます。
人や馬や狸や熊も、すっぽりと包んでくれます。
夏の日の疲れを癒すようにと、冬の間は昼も夜もゆっくり休みなさいと、村中を雪で包んでくれます。
しかし、人は馬鹿だから、冬も働こうとします。
中には賢い人もいるけれど、賢い人も働こうとします。
馬鹿な人も、賢い人も、みんな貧しさに耐えかねて、働きます。
働く人々に、雪は怒りの姿を見せます。
怒れる雪は、足元から沸き上がります。
沸き上がった雪は、風を呼び、天と地の間のすべての空間を埋め尽くし、駆け巡り、怒りの声で吼えます。
優しい雪の思いやりを理解できない人間たちに、天地を結ぶ渦巻となって襲いかかります。
天は啼き、地は唸り、風は叫び、雪は吼えます。
それでも人々は働きます。馬鹿な人も賢い人も、みんな働きます。
馬鹿な人も賢い人もいるけれど、人間は結局みんな馬鹿だから、貧しさに負けて働きます。
飢えて死ぬことよりも、怒れる雪に身を任せます。
怒れる雪は何よりも怖いけれど、最後のところでは、わしたちみんなを受け入れてくれることを知っています。
怒れる雪も優しい雪も、どれもみんな雪は雪、最後の最後には、わしたちみんなを受け入れてくれることを知っています。
馬鹿な人も賢い人も、悪さをした人もしなかった人も、となりの嬶さんと手を取り合って逃げる人も、人を殺めてしまった人だって、最後の最後には、怒れる雪に身を任せれば、みんな受け入れてくれます。
怒れる雪は怖いけれど、誰も彼もわけへだてなく大きなからだを広げて受け入れてくれることを、わしたちはみんな知っています。
だから、馬鹿なわしたちは、きょうも怒れる雪に歯向かって働きにでるのです。
馬鹿な人も賢い人も、怒れる雪の中に出ていくのです・・・。
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「あら、わたしの話ばっかり…」
お母さんは、まるで夢から覚めたかのように大きな声をだし、私と視線が合うと恥ずかしそうに笑った。
ご主人も、二人の息子も、にこにこしながら聞いていた。何度も聞いているように茶化していた友人も、話の腰を折ることもなく聞き入っていた。
私は、不思議な感動に身体が震えていた。込み上げてくるものがあり、感想を述べることもできなかった。
もっとも、こんな話に、下手な感想を言わなくて良かったと、あとでつくづくと思ったものである。
「さあ、さあ、お茶を召し上がれ。温かいのに入れ替えましたから」
お母さんは、私のお茶を湯呑ごと取り換えて、大皿を少し私の方に押した。
その大皿には、どんな種類の野菜が入っていたのか正確には覚えていないが、大根とか人参とか蕪とか、もっと多くの種類の根菜を主体とした漬物が山盛りにされていた。
食卓の真ん中に置かれた大皿から、各自がそれぞれに自分の小皿に取って、お茶を飲みながらその漬物を食べ、ひとしきり団欒するのである。そして、かなりの時間を過ごした後で夕食が始まるのである。
私のこれまでの経験では、食事の前にお茶を飲む程度ならともかく、漬物などを食べるというのは大変行儀の悪いことだと思っていた。
最初の夜、友人の家族全員が食事の前につまみ食いするのに唖然としたが、そのうち空腹がひどくなってきたのに夕食が始まりそうにないのに耐えかねて箸を出そうとした時、漬物は苦手ではないのかと心配してくれたのに、困った思いをした。
お母さんの話を聞いたのは二日目のことなので、私は勧められるままに漬物を小皿に山盛り取った。大ぶりに切られた漬物は、どれもがどうしてこれほど違うのかというほど美味しいものであった。
しかし、雪の話題はそこで終ってしまった。
私は、内容についてもっと詳しく聞きたいし、言い伝えのようなものがあるように思われるし、別の話もあるのではないかと、話の続きを期待していた。けれどもお母さんは、先ほどの感情を込めた話などまるっきり忘れてしまったかのように振る舞い、誰もが他の話題に興じていた。
後日、友人にお母さんの雪の話について尋ねたことがあるが、彼が子供の頃には別の話も聞いたようであった。しかし、彼が中学生になった頃からは、お母さんが雪の話をする時はいつもこの話のようであった。
多分、お母さんが自分の親から聞いた話らしいのだが、内容の説明や感想などは一切語らず、話し終えればそれでおしまいで、質問されても何も答えないとのことであった。
そして、お母さんが雪の話をしながら涙をこぼしたのを二度ばかり見たことがある、と友人は話していた。
私が山歩きの最初の日を友人宅に泊めてもらうことにした一番の理由は、やはり、お母さんからまた雪の話を聞かせてもらえるかもしれないという期待だったようだ。
しかし、七月に雪の話はいかにも不自然であった。
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