雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

何の慰めにもならないけれど

2018-05-14 19:27:33 | 日々これ好日
        『 何の慰めにもならないけれど 』

     新潟の悲惨な事件 重要参考人の男に逮捕状請求とのニュース
     幼気(イタイケ)な子供に対する事件 どう対処すればよいのか
     誰の心にも 悪魔は住んでいるのかもしれないが 何とも辛い
     犯人を逮捕したとて 何の慰めにもならないのだろうが
     ただ ただ ご冥福を祈るばかり

                        ☆☆☆
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古い写真

2018-05-13 18:01:46 | 日々これ好日
        『 古い写真 』

     ほぼ一日中 しっかりとした雨 雷まで加わる
     屋内での一日 古い写真を見る
     カラーは少し色褪せ セピア色になっているものも
     いつの間にか時は流れ 想い出も 少しずつ離れていく
     今日は 母の日
                 
                     ☆☆☆
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忍耐力に頭が下がる

2018-05-12 18:26:57 | 日々これ好日
        『 忍耐力に頭が下がる 』

     バラを見に行った公園で カメラの行列に出あった
     薔薇を撮影しているものではなく 公園の一角にある静かな池に向かって
     望遠付きの立派なカメラをのせた三脚が 列をなしている
     聞いてみると カワセミの姿を撮影するために 何時間も待ち続けるらしい
     趣味なのか 仕事なのか もっと崇高な願いが込められているのか・・・
     その忍耐力に 頭が下がる

                          ☆☆☆
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心まどひに

2018-05-12 08:14:14 | 新古今和歌集を楽しむ
     朝露の おきつる空も 思ほえず
             消えかへりつる 心まどひに


                      作者  更衣 源周子


( No.1172 巻第十三 恋歌三 )
          あさつゆの おきつるそらも おもほえず
                    きえかへりつる こころまどひに  


* 作者 更衣源周子(コウイ ミナモトノチカコ)は、醍醐天皇(在位 897-930)の更衣。( 生年未詳 - 936没 )

(「更衣」について)
更衣は、もともとは単なる女官名であったと考えられるが、天皇の居室や寝室に立ち入ることが可能なことから、后妃としての要素を持つようになった。嵯峨天皇(在位809-823)の時代に、女御のうち下位の者を指す呼称となった。
通常は、四位・五位の位階を授けられた女性が更衣となり、その所生の子は臣籍降下の対象とされた。稀には、公卿クラスの娘が更衣 になる場合もあったが、その場合は後に女御や中宮に進むことがあり、その所生の子も必ずしも臣籍降下の対象にはならなかった。

* 歌意は、「 朝露が置いていて、起きた時のこともよく分かりません。命が消えてしまいそうです、心が乱れてしまって。」といった意味であろうが、何ともなまめかしい歌ではある。
( 朝露は「おき」の枕詞。「おき」は 朝露が「置く」と「起きる」との掛詞。)

* この和歌の表題は、「御返し」となっていて、醍醐天皇からの後朝(キヌギヌ)の増加に対する返礼の和歌である。そして、その送り主の和歌も、新古今和歌集に載せられている。(この和歌の前で、No.1171)
その表題には、「近江更衣(オウミノコウイ・源周子のこと)に賜はせける」となっていて、
「 はかなくも 明けにけるかな 朝露の おきてののちぞ 消えまさりける 」というものである。
つまり、内裏の奥深くの出来事を、勅撰和歌集は堂々と掲載しているとも見える。

* 源周子の父は、右大弁源唱であるが、その家柄は嵯峨源氏という歴としたものとしても、官位は正四位下止まりであったことを考えると、例え醍醐天皇に見初められたのだとしても、周子にとって后妃の一人になる過程はどのような心境であったのかと余計なことに思いを馳せてしまう。

* しかし、周子は、それほどやわな女性ではなかったようである。
醍醐天皇には、中宮をはじめ妃・女御・更衣は二十人に及ぶとされ、子供は三十六人とされる。関白藤原基経の娘である中宮穏子は次代・次々代(朱雀・村上)の天皇を儲けているが、周子も二人の皇子と三人の皇女を設けている。
更衣の常として臣籍降下の対象とされたが、それぞれ歴史上に大きな足跡を残している。
皇子の一人は、七歳で臣籍降下。源高明としたこの人物は左大臣まで上り、政争に敗れ大宰府権帥に左遷されるなど波乱の生涯を送っているが、政権の上層部で活躍している。
二人目の皇子も一度は源氏として臣籍降下しているが、後に皇族に復帰して盛明親王となる。そして、兄の源高明の娘を養女にして藤原道長に嫁がせている。道長の妻となった明子は、多くの子をなし、その中から、藤原中御門流の祖となる頼家、御子左家の祖となる長家が含まれており、貴族社会の一翼を占めているのである。

* 更衣源周子に関して伝えられている情報は多くない。新古今和歌集に載せられている和歌もこの一首だけで、それも、醍醐天皇の和歌と対になっているゆえの採録のようにも思われる。
しかし、醍醐天皇との間に設けた子供たちからの情報を加味すれば、おそらく、相当魅力的な女性であったと思われるのである。

     ☆   ☆   ☆

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小さな小さな物語 第十八部

2018-05-11 17:15:54 | 小さな小さな物語 第十八部
     小さな小さな物語  第十八部

          No.1021 から No.1080 まで収録しています
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小さな小さな物語  目次

2018-05-11 17:13:37 | 小さな小さな物語 第十八部
          小さな小さな物語  目次

     No.1021  おはようございます
        1022  えこひいき
        1023  適所はどこか
        1024  損得勘定
        1025  2対8の是非
 


        1026  508億円でどうぞ
        1027  新古今和歌集を学ぶ
        1028  時々間違う
        1029  ささやかな季節感
        1030  軽重を問う


        1031  目には目を歯には歯を
        1032  スーパームーン
        1033  冬限定の星 カノープス
        1034  正義はどちら
        1035  世界で羽ばたく  


        1036  鶏が先か卵が先か
        1037  談合は今も健在
        1038  ジングルベルも除夜の鐘も
        1039  雲泥の差
        1040  今を生きる
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おはようございます ・ 小さな小さな物語 ( 1021 )

2018-05-11 17:12:40 | 小さな小さな物語 第十八部
まだ朝早い時間、散歩途中で見かけるお家があります。若いお母さんと、三、四歳ぐらいの女の子と、お母さんに抱っこされた子供さんの三人が、勤めに出かけるお父さんをお見送りしている姿に時々出合います。
その家は最近新築されたものですし、私もいつも通るわけではありませんので、いつも見ているわけではないのですが、おそらく、そのお家では当然の日課のように見受けられ、実に微笑ましい気がしていました。

先日、そういう姿を見ながら、おじゃまにならないようにそっと通り過ぎようとした時、「オハヨウゴザイマス」という、元気な幼い声がかけられました。お父さんのお見送りが終わった後の女の子から声をかけられたのです。私も、ほとんど反射的に、「おはようございます」と返事を返しました。私の言葉に女の子は手を振ってこたえてくれて、子供を抱いた若いお母さんもニコニコしながら頭を下げてくれました。
この出来事だけで、私はこの日一日中豊かな気持ちで過ごすことが出来ました。

「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」「「ありがとうございます」等々、日本語には実に優しい語感の言葉がたくさんあります。
西欧の人たちにとって、日本語はかなり難解な言語だそうですが、これらの言葉などは、比較的簡単に覚えてくれるようですし、カタコトで話す姿は実に微笑ましいものです。
これは何も日本語に限ったことではなく、世界中に幾つの言語があるのか知りませんが、おそらく、そのほとんどの言語において、いわゆる「挨拶」などで使われる言葉は、発音しやすく、語感が優しく、親しまれやすいものではないでしょうか。そして、そうである理由は、大小にかかわらず、およそ集団で生活する人々にとって、顔を合わせた時に交わす何気ない挨拶が家族やその集団を運営するうえで重要であることを物語っているように思われるのです。

挨拶に限りませんが、文字にすればごく短く表現できる程度の一言が、大きな変化を生み出すことを、私たちは最近の報道で嫌というほど知ることが出来ました。今年になって話題になった、それも悪評を生み出した幾つかの言葉は、どれも、決して「何気なく」ではなく、その人の処世観や品格が生みだしたものだと思うのですが、実に怖ろしいものです。
たった一言で情勢が大きく変化したことは、何も昨今になって顕著になったことではなく、古来多くの逸話も残されています。しかし、最近の情報の伝わる速さや広さは、半端なものではありません。中には、悪意に編集されたようなものでさえ、ある人やある企画の致命傷となることも珍しいことではありません。
社会の表舞台に立つような立場の人はもちろんのこと、ごく普通の日常生活に追われている人にとっても、不用意な言葉遣いというものは慎みたいものです。
そのためには、「おはようございます」としっかりとした挨拶ができるということが、そのスタートではないでしょうか。

( 2017.11.03 )
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えこひいき ・ 小さな小さな物語 ( 1022 )

2018-05-11 17:11:20 | 小さな小さな物語 第十八部
トランプ米大統領を迎えて日本中が沸いています。東京を中心とした警備体制は大変なもののようです。
昨今は、世界のリーダーとしての地位が低下していると言われる米国ですし、特にトランプ大統領に対しては、世界のリーダーとして何かと非難されることが多いようですが、わが国にとって重要な国であることに間違いないでしょう。
好き嫌いや、主義主張はともかくとして、第二次世界大戦に敗れてからのわが国の歴史を考えれば、経済・防衛面を中心に、大きな支えとなってくれてきたことは否定できないのではないでしょうか。

トランプ大統領就任以来、少なくとも表面的には、わが国と米国との関係は近年で最も良好なのではないでしょうか。もちろん、トランプ大統領はアメリカ・ファーストが大統領選挙当時から歯に衣着せぬ激しい言動で主張し続けていますし、わが国の安倍首相とても日本の利益を模索してくれていることでしょうから、腹の内にはそれぞれの打算もあるのかもしれませんが、少なくともわが国にとっては、米国を敵に回しての繁栄は難しいのではないでしょうか。
そう考えれば、大統領に先立って来日されたトランプ大統領の長女であり、大統領補佐官でもあるイバンカさんへの歓迎ぶりは異例というほどの歓待ぶりでした。安倍首相がつきっきりというほどの接待ぶりで、美人だからというだけの理由ではなく、大統領への影響力が最も強い人物だという情報は本当なのかもしれません。

イバンカさんに関する報道の中で、インタビューを受けた女性が、「えこひいき(依怙贔屓)だ」という感想を述べていました。
阿倍首相などの歓待ぶりが「えこひいきだ」と指摘しているのかと思ったのですが、そうではなく、神さまが「えこひいきだ」と言うのです。つまり、神さまは、イバンカさんには何もかも与えている、というのです。
なるほど、と変に感心してしまいました。
この宇宙が、ビックバンによって誕生し、無の状態から現在もなお膨張を続けているとされるこの宇宙が誕生したとするならば、宇宙に存在しているすべての物の総和は「無」すなわち「ゼロ」のはずだと私は思っているのですが、その前提に立てば、良いことがあれば悪いことが起こり、プラスがあればマイナスがあるという考えを、私は持っています。
確かに、イバンカさんの颯爽たる姿を見ていますと、もしかすると神さまの「えこひいき」の仕業によるもので、その分割負けしている人がいるのかもしれないと思ったりしてしまいました。

今年は、何かと「忖度(そんたく)」という言葉に振り回された感があります。それは、現時点でもなお尾を引いているようです。
しかし、考えてみれば、忖度などといえば何か別次元のような勘違いをしてしまいそうですが、要は、「えこひいき」があったかなかったかということを、明確な根拠を示せないためなのか、もっと他に理由があるのか知りませんが、問題の首謀者の「えこひいき」という代わりに、弱い立場の者の「忖度」ということで言葉を濁しているような気がしないでもありません。
まあ、インタビューに答えていた女性の考えが正しいとすれば、神さまでさえ「えこひいき」をするのですから、人間ごときが、程度の差はあれ、「えこひいき」をしないはずがないと思われます。

( 2017.11.06 )
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適所はどこか ・ 小さな小さな物語 ( 1023 )

2018-05-11 17:09:33 | 小さな小さな物語 第十八部
衆議院選挙が終わり、米大統領の来日という大行事が無事に終わり、政治的な日程としては大きな山を越えた感じがします。
間もなく臨時国会が開かれ、激しい論戦が予想されるそうですが、どんな課題が焦点になるのか知らないのですが、どんな問題が注目を浴びるとしても、その結果は大体想像できそうな気がします。
今回は、内閣に変化がなく、国会の要職もほとんど変化がありませんが、大臣などはこれからが国会デビューといった状態でしょうから、答弁などを通じて、これまでと同様に、質問にしろ答弁にしろ、見ていて恥ずかしくなるような場面が見られるのではないでしょうか。

今回は、大臣再任にあたってあまり報道がなされませんでしたが、看板通りの仕事をしてくれるよう期待したいと思います。
ただ、当初就任した時点でも、どうしてこの人がこの役職に就いたのかと首をひねるような人もいたようです。それは、何も第三者が無責任に発言しているばかりでなく、ご本人自ら発言されている人もいるらしいのですから、私たちはどう考えればいいのでしょうか。
そう考えれば、「適材適所」などと簡単に口にしますが、なかなか難しいことのようです。

「適材適所」という言葉は、日本の寺社や家屋の建築において、材木をいかに有効に配するかということから生まれた言葉のようです。わが国の木材資源は多様で、檜・杉・松・栗・桐など実に種類が多く、それぞれの材質の特長を生かすことが重要であり、古くは、生えている木の形をそのまま適所に配するといった手法も多く用いられていました。
現在では、「適材適所」といえば、人材をそれぞれ適した場所や業務に配置することとして使われることが殆どです。それぞれの人が、最も得意としている分野に配置するということは、一見、合理的で素晴らしいことのように思われますが、本当はどうでしょうか。
ある人物の適所というものが、そうそう簡単に見極めることなど出来るのでしょうか。

首相が大臣を任命するにあたっては、「適材適所」という考え方も有効なのでしょうが、実はこの手法には、人材の育成という面で窮屈さを感じさせる面があるように思うのです。
特に、まだ成長過程にある子供や青年にとっては、片寄った人材を育ててしまう可能性が懸念されるのではないでしょうか。人間の得意分野などという物は、そうそう簡単に見極められるものではなく、相当の試行錯誤が必要なのではないでしょうか。保護者にも指導者にも、さらに本人にさえ気が付かなかった才能が眠っていたという事例は、決して少なくないはずです。
この考え方が正しいのであれば、国会においても、立派な人材を育てるためには、もたもたしている大臣に対して、適材適所云々などという非難は控えめにして、しばらくの間は、成長過程にあるものと考えて、温かく見守る必要があるのではないでしょうか。

( 2017.11.09 )
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損得勘定 ・ 小さな小さな物語 ( 1024 )

2018-05-11 17:08:02 | 小さな小さな物語 第十八部
トランプ米大統領のわが国を最初の訪問国としたアジア歴訪は連日多くの話題を提供しています。
首相をはじめわが国挙げての歓迎ぶりは、両国間の紐帯をさらに強めたという声は高く、今回の米大統領の訪朝はわが国にとって利益が大きかったという声も小さくないようです。一方のトランプ大統領も、声は大きくなかったものの、貿易収支などの面では少なくない成果があったともいわれ、それ以上に米国内向けには、存在感を高めるのに役立ったという声もあります。

次に訪れた韓国においては、外野席から見ている限り、両国間の関係は何とも複雑なものを感じました。
それぞれの立場を相当抑制しているようにも見えますし、それでいて最も強固な同盟関係であるべき立場を演出しているように見えてしまうのは、無責任な立場からの見方なのでしょうね。そして、この国においても、結局はどちらが得をしたのかといった論調を展開している新聞も見受けられました。
その次の中国においては、両国トップの腹の探り合いと、この国においては、米大統領は貿易収支の改善を就任以前から声高に訴えていただけに、その交渉は大いに注目されるところでした。
また、この三国訪問においては、北朝鮮問題も大きな課題であったと思われますが、報道される以外の所で、どのような交渉なり合意があったのか、大変気になるところです。

トランプ大統領は実業家出身の大統領であるだけに、何かにおいて損得計算で物事を判断しているかのように報道されることがあるようです。
しかし、考えてみれば、必死に算盤をはじいていたのは、大統領を迎えた側ではないのでしょうか。
外交という物は、自国の利益追求の場であると考えれば、互いの利害をギリギリのところで競り合うのは当然だともいえますが、国家の運営が、特に超大国とか、そこまで行かなくても先進国と評されるような国家においては、すべて自国の利益だけで動くことは、多くの国を窮地に押しやる可能性があるように思われます。

まあ、天下国家のことはともかく、私たちの日常を考えてみた場合、その多くの場面で「損得勘定」を働かせているような気がするのです。
こちらを取った方が何万円得だとか、こうした方がたとえ少しでも得になるとか、直接金銭面で有利になるならないといった場面はそう多くないかもしれませんが、もっと心理的な面、情緒的な面なども含めて、無意識のうちに「損得勘定」を働かせているのではないでしょうか。そして、そういう判断が出来ることが大人ということなのかもしれないような気もします。
同時に、そういう「損得勘定」に縛られたような思考回路に私たちは疲れを感じることがあるのかもしれません。
旅をしてみたいとか、映画や演劇を観てみたいとか、猫や犬と遊ぶことに安らぎを感じたり・・・、これらは、「損得勘定」に縛られた神経が悲鳴をあげている兆候なのかもしれません。
私たちは、時には、「損得勘定」から私たちの神経を解き放ってやる必要があるように思うのです。

( 2017.11.12 )
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