阿難のたくらみ ・ 今昔物語 ( 3 - 6 )
今は昔、
天竺に仏(釈迦)の御弟子たちが大勢いらっしょったが、舎利弗(シャリホツ)は智恵第一の人であり、阿難(アナン・高弟の一人で、釈迦の従弟にあたる。)は有学(ウガク・無学に対する言葉であるが、なお学んで修行する段階にある人を指す。)の人で智恵はまだ浅い。そのため、舎利弗はいつも阿難を軽んじていた。
阿難は、「何とかして舎利弗に勝ちたい」と思って、風邪だと仮病をよそおって寝ていた。枕元には、粥を盛って置いていた。
舎利弗はこれを見舞うために阿難の所においでになったが、白衣(ビャクエ・俗人が着る白地の衣服)姿で法服(僧衣)を着用していなかった。
阿難は、その時まだ粥に手を付けていなかったので、舎利弗に差し上げた。舎利弗はその粥をお食べになった。
すると阿難は、莚(ムシロ・寝具用)の下より草を一本取り出して、舎利弗に渡して言った。「これを、速やかに大師(釈迦)の御許に持って行ってください」と。舎利弗はその草を受け取って、阿難の依頼通りに仏の御許に向かったが、その途中で自分の手足の爪を見ると、みな牛の爪になっていた。
そのため舎利弗は驚き怪しんで、仏の御許に急いで参上し、こうなったことをお尋ねになった。
仏は仰せになった。「お前の身体はすでに牛になっている。持ってきた草はお前の食べ物である。ただ、このようになった理由を私は知らない。速やかに阿難の所に返って、尋ねるがよい」と。
舎利弗は仏が仰せになることを聞いて驚き、阿難の所に走って行き、こうなったことを阿難に伝えた。阿難は、「あなたは思い知るべきである。袈裟を身に付けず、呪願(シュガン・祈りの呪文)を行うことなく布施を受ける比丘(ビク・僧)は、畜生となる報いを受けるものである。その上、罪を犯していることにさえ気付かず私の布施を受けたではないか。だから、その報いを受けたのである」と言った。
そこで舎利弗は、真心をこめて懺悔して、畜生となる報いを転じて人界への報いを受けたので、爪もなおってもとのようになった。
この事によって思うことは、「比丘は必ず袈裟を着て人の供養を受けるべきである」こと。また、「人の供養を受けた時には、必ず呪願すべきである」ということである。
されば、末代(末世)の比丘たちは、この事を聞いて、必ず袈裟を着て人の布施を受けるべし。また、当然呪願すべきである、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
今は昔、
天竺に仏(釈迦)の御弟子たちが大勢いらっしょったが、舎利弗(シャリホツ)は智恵第一の人であり、阿難(アナン・高弟の一人で、釈迦の従弟にあたる。)は有学(ウガク・無学に対する言葉であるが、なお学んで修行する段階にある人を指す。)の人で智恵はまだ浅い。そのため、舎利弗はいつも阿難を軽んじていた。
阿難は、「何とかして舎利弗に勝ちたい」と思って、風邪だと仮病をよそおって寝ていた。枕元には、粥を盛って置いていた。
舎利弗はこれを見舞うために阿難の所においでになったが、白衣(ビャクエ・俗人が着る白地の衣服)姿で法服(僧衣)を着用していなかった。
阿難は、その時まだ粥に手を付けていなかったので、舎利弗に差し上げた。舎利弗はその粥をお食べになった。
すると阿難は、莚(ムシロ・寝具用)の下より草を一本取り出して、舎利弗に渡して言った。「これを、速やかに大師(釈迦)の御許に持って行ってください」と。舎利弗はその草を受け取って、阿難の依頼通りに仏の御許に向かったが、その途中で自分の手足の爪を見ると、みな牛の爪になっていた。
そのため舎利弗は驚き怪しんで、仏の御許に急いで参上し、こうなったことをお尋ねになった。
仏は仰せになった。「お前の身体はすでに牛になっている。持ってきた草はお前の食べ物である。ただ、このようになった理由を私は知らない。速やかに阿難の所に返って、尋ねるがよい」と。
舎利弗は仏が仰せになることを聞いて驚き、阿難の所に走って行き、こうなったことを阿難に伝えた。阿難は、「あなたは思い知るべきである。袈裟を身に付けず、呪願(シュガン・祈りの呪文)を行うことなく布施を受ける比丘(ビク・僧)は、畜生となる報いを受けるものである。その上、罪を犯していることにさえ気付かず私の布施を受けたではないか。だから、その報いを受けたのである」と言った。
そこで舎利弗は、真心をこめて懺悔して、畜生となる報いを転じて人界への報いを受けたので、爪もなおってもとのようになった。
この事によって思うことは、「比丘は必ず袈裟を着て人の供養を受けるべきである」こと。また、「人の供養を受けた時には、必ず呪願すべきである」ということである。
されば、末代(末世)の比丘たちは、この事を聞いて、必ず袈裟を着て人の布施を受けるべし。また、当然呪願すべきである、
となむ語り伝へたるとや。
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