雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

阿難のたくらみ ・ 今昔物語 ( 3 - 6 )

2019-02-10 15:04:52 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          阿難のたくらみ ・ 今昔物語 ( 3 - 6 )

今は昔、
天竺に仏(釈迦)の御弟子たちが大勢いらっしょったが、舎利弗(シャリホツ)は智恵第一の人であり、阿難(アナン・高弟の一人で、釈迦の従弟にあたる。)は有学(ウガク・無学に対する言葉であるが、なお学んで修行する段階にある人を指す。)の人で智恵はまだ浅い。そのため、舎利弗はいつも阿難を軽んじていた。

阿難は、「何とかして舎利弗に勝ちたい」と思って、風邪だと仮病をよそおって寝ていた。枕元には、粥を盛って置いていた。
舎利弗はこれを見舞うために阿難の所においでになったが、白衣(ビャクエ・俗人が着る白地の衣服)姿で法服(僧衣)を着用していなかった。
阿難は、その時まだ粥に手を付けていなかったので、舎利弗に差し上げた。舎利弗はその粥をお食べになった。
すると阿難は、莚(ムシロ・寝具用)の下より草を一本取り出して、舎利弗に渡して言った。「これを、速やかに大師(釈迦)の御許に持って行ってください」と。舎利弗はその草を受け取って、阿難の依頼通りに仏の御許に向かったが、その途中で自分の手足の爪を見ると、みな牛の爪になっていた。

そのため舎利弗は驚き怪しんで、仏の御許に急いで参上し、こうなったことをお尋ねになった。
仏は仰せになった。「お前の身体はすでに牛になっている。持ってきた草はお前の食べ物である。ただ、このようになった理由を私は知らない。速やかに阿難の所に返って、尋ねるがよい」と。
舎利弗は仏が仰せになることを聞いて驚き、阿難の所に走って行き、こうなったことを阿難に伝えた。阿難は、「あなたは思い知るべきである。袈裟を身に付けず、呪願(シュガン・祈りの呪文)を行うことなく布施を受ける比丘(ビク・僧)は、畜生となる報いを受けるものである。その上、罪を犯していることにさえ気付かず私の布施を受けたではないか。だから、その報いを受けたのである」と言った。
そこで舎利弗は、真心をこめて懺悔して、畜生となる報いを転じて人界への報いを受けたので、爪もなおってもとのようになった。

この事によって思うことは、「比丘は必ず袈裟を着て人の供養を受けるべきである」こと。また、「人の供養を受けた時には、必ず呪願すべきである」ということである。
されば、末代(末世)の比丘たちは、この事を聞いて、必ず袈裟を着て人の布施を受けるべし。また、当然呪願すべきである、
となむ語り伝へたるとや。

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悪竜となる ・ 今昔物語 ( 3 - 7 )

2019-02-10 15:04:06 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          悪竜となる ・ 今昔物語 ( 3 - 7 )

今は昔、
天竺の大雪山(ダイセツセン・ヒマラヤ山脈)の頂に一つの池があった。その池に一頭の竜が住んでいた。
その頃、ひとりの羅漢の比丘(ラカンのビク・阿羅漢果{原始仏教による最高の修業階位}を修得した僧。)がいた。その羅漢の比丘は、この竜(水神であったらしい)の招きを受けて、供養を受けるために、縄床(ジョウショウ・縄製の折り畳み出来る椅子)にいながら、空を飛んで毎日竜の棲み処に行った。

ところで、この羅漢の弟子にひとりの小沙弥(ショウシャミ・見習いの小坊主)がいたが、師の羅漢がこのように竜の宮殿に行くのを見て師に頼んだ。「私も一緒に連れて行ってください」と。
師は、「お前はまだ悟りを得ていない者である。竜の所に行けば、必ず悪い事が起きる。だから連れて行くわけにはいかない」と言って連れて行かなかった。するとこの小沙弥は、師が竜の所に行く時に、密かに師がいつもいる縄床の下につかまって、隠れてついて行った。師は竜の所に着いたあとで、弟子の小沙弥がいるのを見て呆れてしまった。

竜は羅漢を供養するのにかぐわしい味わいの美食を準備した。弟子の小沙弥には普通の人間が食べている物を与えた。
小沙弥はその食事を食べ、「師が供養された物も同じ食べ物だろう」と思って食べたが、師が使った器を洗う時、その器に着いていた粒状の物を取って食べてみると、味がとてもすばらしく、全く自分が食べた物とは違っていた。そこで、小沙弥はたちまち悪心を起こして、師をたいそう恨んだ。さらに竜をも憎んで、「自分は悪竜となってこの竜の命を断って、この場所に住んで王と成ろう」思って、願を立ておえてから、師に従って本の所に帰った。

帰った後、考え直したうえでもなお悪心は変わらず、「悪竜と成ろう」と願ったところ、その夜のうちに死んでしまった。そして、願い通りに、即座に悪竜に生まれ変わった。そこで、その悪竜は本の竜の棲み処に行って、兼ねて考えていたように制圧して、その場所を棲み処とした。
師の羅漢は、この事を見て嘆き悲しみ、その国の大王カニシカ王(クシャーナ王朝の第三代王。中央アジアから北インドにまたがる広大な地域を支配した。当初仏教を弾圧したが、後に外護者となった。ガンダーラ美術の興隆期にもあたる。)の御許に行って事の次第を申し上げた。大王はそれを聞いて大変驚き、たちまちのうちに、その池を埋めてしまった。
その時、悪竜は大暴れし、砂や小石を雲のように振り撒き、暴風は樹木を吹き抜き、雲霧が降り覆って闇夜のようになった。
すると、大王は大いに怒り、二つの眉から膨大な量の煙や炎を吹き出した。さすがに悪竜も、怖れをなしてたちまち静まった。

このようにして、大王はこの池の跡に寺院を建てた。
しかし、悪竜はなお怨みの心が消えておらず、その寺院を焼いてしまった。大王は再び寺院を建てた。塔・卒塔婆(塔と卒塔婆は同意語)を建て、その中に仏の骨肉舎利一升を安置し奉った。すると、悪竜は婆羅門(古代インドの四姓制度の最上位の階層。)の姿になって大王の御許にやって来て、「我は悪心を止めて、これよりは以前のような恨みの心ではありません」と言った。そして、寺院において楗椎(ケンツイ・寺院で時刻を知らせるために叩く銅製や木製の打器。)を打つと、竜はその音を聞いて、「悪心は止めました」と言った。
しかしながら、ともすれば雲気(竜の怒りの念が黒雲となる、という表現)が常にその辺りに現れた、
となむ語り伝へたるとや。

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御影を残す ・ 今昔物語 ( 3 - 8 )

2019-02-10 15:03:15 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          御影を残す ・ 今昔物語 ( 3 - 8 )

今は昔、
天竺に一人の牛飼人がいた。国王に乳酪(ニュウノカユ・乳の粥。蘇{チーズ状の食品}に至る前段階の乳製品。)を奉るのを任務にしていた。
ある時、乳酪が絶えた時があって、心ならずも乳酪を奉ることを欠かしてしまった。すると国王は、大いに怒り、侍者をその牛飼人のもとに行かせて、激しく責めた。この牛飼人は、あまりに激しい責めに堪え難く、大いに怨みの心を抱いて、金の銭で花を買って、卒塔婆(仏塔)にお供えして 誓いを立てた。「私は罪もないのに責めを受け堪えることが出来ません。私は悪竜となって、国を滅ぼし国王を殺害したい」と誓って、巌の高い所に昇って、身を投げて死んだ。

そして、願いの通りに悪竜となって、[ 欠字あり。寺院名が入るが不詳。]寺の南西に深い谷があり、けわしい断崖がある大変恐ろしい所である。その谷の東の崖に壁を塗ったような断崖絶壁があり、その巌に大きな洞穴がある。洞穴の入り口は狭く、中は真っ暗で、いつも湿っていて水が滴っていた。
この大竜は、その洞穴を棲み処にした。竜は、本来の悪願を遂げるために、「この国を滅ぼし、国王を殺害しよう」と思った。

この時、釈迦如来は、神通の力を以て遥か遠くよりこの竜の心をお知りになって、中天竺(天竺の中部地域といった意味か?)よりこの洞穴にやって来られた。
竜は、仏を見奉って毒の心(害意)がたちまち止んで、不殺生戒(殺生戒と同意)を受けて、「永く法を護ります」と誓った。
竜は仏に向かい奉って申し上げた。「仏よ、願わくば、常にこの洞穴にいてください。また、多くの御弟子の比丘にお勧めいただき、私の供養を受けさせてください」と。
仏は竜に告げた。「私は久しからずして涅槃(ネハン・入滅)に入ろうとしている。汝のために私の影像をこの洞穴に残しておく。また、五人の羅漢(ラカン・阿羅漢の略。ここでは悟りを得た僧といった意味か。)を遣わして、常に汝の供養を受けさせよう。汝は決して供養を怠ってはならない。もし汝が以前のような毒心が起こるような時があれば、私がここに留め置く影像を見るがよい。そうすれば、その毒心は自然におさまるだろう。また、これより後、この世に出現される仏も汝を哀れみなさるだろう」と約束されて、お帰りになった。

されば、その洞穴の仏の御影(ミエイ)は、今も失われることなく存在している。その竜の名をクバラ竜という。(クバラは牛飼いの意味らしい。)
唐の玄奘三蔵(ゲンジョウサンゾウ・三蔵法師)が天竺に渡って、この洞穴に行ってその影像を見奉ったと記している、
となむ語り伝へたるとや。

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竜王の悩み ・ 今昔物語 ( 3 - 9 )

2019-02-10 15:02:20 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          竜王の悩み ・ 今昔物語 ( 3 - 9 )

今は昔、
多くの竜王は大海の底を棲み処としている。その竜王たちは金翅鳥(コンジチョウ・古代インドの伝説上の巨鳥。もとは邪神であったが仏教に取り込まれて護法神になった。胴体は人間で、火炎状の巨大な黄金の翼を持ち竜類を常食とする。)を恐れていた。また、竜王は無熱池(ムネツチ・雪山{ヒマラヤ山脈}の頂上にあるとされる池。インドの四大河の水源とも。)という池にも棲んでいる。その池では金翅鳥に襲われることがない。大海の底に棲んでいる竜が子を生むと、金翅鳥は羽を以って大海を扇いで干して、竜王の子を取って食糧にした。

そこで竜王は、この事を嘆き悲しんで、仏(釈迦)の御許に参って仏に申し上げた。「我らは金翅鳥のために子を取られ、対抗することが出来ません。何とかしてこの難から逃れたいのです」と。
仏は竜王に告げられた。「竜王よ、比丘(ビク・僧)の着ている袈裟の、綴り合せた一画を取って、生まれた子の上に置くと良い」と。竜王は、仏に教えられたように、袈裟の一部分を取って子の上に置いた。
その後、金翅鳥が襲ってきて、羽を以って大海を乾して竜王の子を捕まえようとしたが、どうしても見当たらない。そのため、金翅鳥はついに竜王の子を捕まえることが出来ないままに帰って行った。

この鳥のことを、迦楼羅鳥(カルラチョウ)ともいう。この鳥の二つの羽の広さは、三百三十六万里(この一里が何mにあたるか分からないが、この数字は、仏典に慣用する巨大さを表現する数値の一つ。)である。されば、その大きさ、勢いは想像されよう。また、袈裟を尊び敬い奉るべきである。袈裟の端切れを上に置いただけで金翅鳥の難を避けることが出来たのである。いわんや、袈裟を着ている比丘は仏のように敬うべきである。たとえ破戒僧といえども、軽んじ侮ってはならない、
となむ語り伝へたるとや。

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四十九日の勤め ・ 今昔物語 ( 3 - 10 )

2019-02-10 15:01:23 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          四十九日の勤め ・ 今昔物語 ( 3 - 10 )

 今は昔、
金翅鳥(コンジチョウ・古代インドの伝説上の巨鳥。前話にも登場。)という鳥がいた。その鳥は、須弥山(シュミセン・仏教的世界観で、宇宙の中核をなす巨大な山。)の切り立った岩壁の洞窟に巣を作って、子供を生み置いていた。須弥山は、高さ十六万由旬(ユジュン・一由旬は牛車の一日の行程分の長さとされる。7kmなど諸説ある。)の山である。水の際より上に八万由旬、下に八万由旬である。その水の際より四万由旬の所にこの鳥は巣を作っている。

また、阿修羅王(アシュラオウ・帝釈天の妻の父とされるが、経説でも一定していないらしい。)という人がいた。身体が極めて大きい人である。住まいが二か所あり、一つは海のほとり、もう一つは大海の底である。その海のほとりというのは、須弥山の谷間で大海の岸にあたる。
阿修羅王は、須弥山を揺り動かして、金翅鳥が巣に生み置いている子供を振るい落として食らおうとしていた。

そのため、金翅鳥はこの事を嘆き悲しんで、仏(釈迦)の御許に参って仏に申し上げた。「海のほとりの阿修羅王の為に我が子が食べられています。どうにも打つ手がありません。どのようにしてこの難を逃れるべきでしょうか。願わくば仏、それを教えてください」と。
仏は金翅鳥に告げられた。「お前たちよ、『この難を逃れたい』と思うのであれば、世間には人が死んだ後、七七日(シチシチニチ・四十九日)に仏事を行う所があり、比丘(ビク・僧)が立ちあっていて、供養を受けて呪願(シュガン・施主に対する仏の加護を祈ること)して施食(セジキ・僧に供養する食事)を取るので、その施食の飯(イイ)を取って須弥山の片隅に置くがよい。そうすれば、その難から逃れることが出来るだろう」と。(施食の一部を山に置くことは、鬼神・餓鬼・畜生などに施す意味らしい。)
金翅鳥はこの事を聞いて帰った。

そして、仏の教えのように、その施食の飯を貰い受けて須弥山の片隅に置いた。その後、阿修羅王がやって来て山を動かそうとしたが動かなかった。力をこめて動かそうとしたが、塵ほども山は動かなかったので、阿修羅王は力尽きて帰って行った。
山が動かなければ、鳥の子は落ちることなく、無事に育った。
この事により知ることは、四十九日の布施はもっとも重要ということである。されば、人は、施食の一部を万霊などに供養することなくして、四十九日の仏事の所に行って食事する事はあってはならない、
となむ語り伝へたるとや。

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竜王の娘 ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 3 - 11 )

2019-02-10 10:52:10 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 3 - 11 )

今は昔、
天竺には四つの姓の人が、国王になる。これ以外には、国王の血筋の人はいない。( この部分意味不詳。「四つの姓」は、古代インドの身分制度を表す四姓[婆羅門(司祭)・王族・庶民・奴隷]の事と考えられ、国王となれるのは王族だけで、四姓云々というのは混乱があるらしい。)
そのうちの釈種(シャクシュ・釈迦族)というのは、釈迦如来の御一族を言う。その中で殺生をした人は、この氏の人として生まれ変わることはない。仏の御一族だからである。

ところで、舎衛国(シャエコク)に流離王(ルリオウ・毘流離王とも)という人がいて、迦毘羅衛国(カピラエコク)の五百人の釈迦族を殺害した時、釈迦族は全員が武芸を身に付けていたが、この一族の教えとして、自分の命が死に直面しても人を殺すことがなかった。そのため、あえて合戦することもなく殺されてしまった。
その時、四人の釈迦族の男は、毘流離王と合戦に及んだ。そのため、この四人は、釈迦族から絶縁されて、国境から追放されてしまった。

その中の一人は、流浪する間に行き疲れて、途中で休んでいると、一羽の大きな雁が現れた。その雁は、その男に向かい合って、少しも恐れることなく慣れ親しんできた。男が近づいても逃げようとしないので、釈迦族の男はその雁に乗った。
すると、この雁は遠くに向かって飛び立った。遥か遠くまで飛んで、何処とも分からぬ所に降りた。見てみると、池のほとりであった。木の繁っている陰に入って、とりあえず身体を休めようとしたが、そのまま寝入ってしまった。

その時、この池に住む竜の娘が出てきて、水のほとりで遊んでいたが、この釈迦族の男が寝ているのを見つけた。
竜の娘は、この男を夫にしようという気持ちがたちまちのうちに生じたが、「この者は人間に違いない。私は、このように池底深くに棲む怪しい身である。きっと、怪しい者だと思い、賤しい者と軽蔑することだろう」と思って、人の姿に身を変えて、さりげなく遊び歩いて、男を見つめながら近づき、物語などして親しくなった。

しばらく経っても、釈迦族の男は、なお娘に不審なものを感じながら、「私はこのように旅で汚れたみすぼらしい身です。数日物も食べておらず、痩せ衰えて汚げですし、衣服もみな汗がついて穢れていて、ひどくみっともない姿です。それなのに、どうしてもったいなくもこのように親しくしてくださいますのか。何とも空恐ろしいと思われるでしょうに」と言った。
それに答えて竜の娘は、「父母の教えによって、このような次第になったのです。このような運命的な出逢いにより、もったいなくも契りを結んだのですから、私の申し出を聞いていただけますでしょうか」と言った。男は、「何なりと、お申し通りに致しましょう。このように契りを結んだのですから、私は去り難く、あなたを大切に思っております」と言うと、竜の娘は、「あなたは高貴な釈迦族のお方ですが、私は賤しい身でございます」と言う。

男が「あなたが賤しい身だなんて、とんでもありません。私こそこのような放浪者で下賤の身です。それにしても、ここは山深く、池はとても大きく、人の住む所とは思われません。お住まいになっている所はどこなのでしょうか」と尋ねると、竜の娘は、「申し上げますと、きっと疎ましく思われることでしょうが、このような関係になりました上は、隠し通すことなど出来ますまい。実は、私はこの池に住む竜王の娘でございます。かくも高貴な釈迦族のお方が追放されて、放浪されているとお聞きしていましたが、幸運にも、この池のほとりで休まれていましたので、このように参上いたしまして、寂しさをお慰めし、契りを結ぶことになりました。ただ、私は、前世で罪を作ったため、鱗を持つ身を受けてしまいました。人と獣とははっきりと境界が異なっています。それゆえ、何事につけ身を慎んでおります。家はこの池の中でございます」と言うと、男はそれを聞くと、「すでに契りを交わした上は、夫婦として暮らそう」と答えた。

竜の娘は、「とても嬉しゅうございます」と喜び、「今日からは如何なることも仰せに従います」と言った。
釈迦族の男は、「私は、前世に積んだ功徳の力によって、釈迦族の家に生まれることが出来ました。願わくば、この竜女を人間に変えてください」と祈ると、その誓願により、竜女の身はたちまち変じて人間となった。その時の男の喜びようは大変なものであった。
竜の娘は、「私は前世の罪によって、このような悪趣(アクシュ・悪道。竜蛇として生まれたことを指す。)に生まれました。無数劫(ムシュコウ・永劫。劫は古代インドの時間の単位で、果てしないほど長い時間のこと。)の間この苦しみを免れることは出来ません。今、あなたの福徳によって、この身を刹那(セツナ・古代インドの時間の単位で、最も短い時間。)のうちに転じて、人間になりました。『この身を以ってあなたの徳に報いたい』と思っていますが、賤しい身を以って如何にしてこの徳を報じることが出来るのでしょうか」と言う。
男は、「何を報ずるというのでしょうか。二人が契りを結ぶことになったのも、前世の因縁によるものです。今となっては、夫婦として暮らすべきです」と言った。
女は、「このままの関係ではよくありません。父母の所に行って、こうなった事を伝えます」と言って、父母のもとに行き、「私は今日池を出て遊んでおりましたが、釈迦族の人に逢いました。そして、その人の功徳の力によって、もう完全に人間になりました。その人と一度結ばれることにより、その功徳はさらに深まり、互いに夫婦の約束をいたしました」と告げると、竜王はそれを聞いて、娘が人間になれたことを喜び尊んで、釈迦族の男を敬うこと限りなかった。

                                ( 以下(2)に続く )

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竜王の娘 ( 2 ) ・ 今昔物語 ( 3 - 11 )

2019-02-10 10:51:30 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          竜王の娘 ( 2 ) ・ 今昔物語 ( 3 - 11 )

     ( (1)より続く )

こうして竜王は、池より出て、人の姿になって釈迦族の男に向かってひざまずいて申し上げた。「かたじけなくも、貴種のあなたは、いやしき身を差別することなく、怪しき姿をご覧になられました。願わくば、私たちの棲み処にお入りください」と。
釈迦族の男は、竜王の申し出を受けて竜宮に入った。
見てみれば、七宝の宮殿であった。金の木尻(コジリ・垂木の端を覆う金具)、銀の壁、瑠璃の瓦、摩尼珠の瓔珞(マニシュのヨウラク・宝玉の胸飾り。ここでは壁飾りか?)、そして栴檀の柱である。光を放つこと浄土のようであった。内部には、七宝の帳(チョウ・とばり。室内を仕切る垂れ布。)が立てられていてたくさんの装飾が施されている。想像を絶する美麗さであり、目にまばゆいほどである。
また、高層の美麗な宮殿などもある。その中から、宝玉の冠をつけ、百千の瓔珞を垂らした威厳のある気高い人が出てきて、男を出迎えて上がらせ、七宝の床の上に座らせた。様々な樹木があり、それには宝玉の瓔珞が掛けられている。大きな池があり、装飾された舟が何艘もある。百千の音楽が演奏される。多くの大臣・公卿など百千万の人がそれぞれの身分に応じて居並んでいる。
あらゆる接待は、どれも心に適わぬものはなかった。
しかしながら、釈迦族の男は思った。「このようにすばらしい事ばかりであるが、本当は、蛇(クチナワ)がとぐろを巻いて、うごめき合っているのであろう」と。常に空恐ろしい気持ちでもあった。
そして、「何とかして、ここから脱出して、人里に行こう」と思った。

竜王は、そのような男の様子を見て、[ 欠字あり。一行分欠落しているらしいが、内容不詳。]一の国の王としてこの世界にいてください」と言ったが、男は、「私が願うものではありません。ただ、もとの国の王になれるものなら、と思っています」と言う。
竜王は、「そのような事は容易いことです。この竜宮の世界というものはねぇ、無量の宝を思うままに七宝の宮殿に満ちていて、人間世界より広く果てのない国であり、不老長寿の身として過ごされるのは良い事だと思うのですが、そうとはいえ、ひたすらもとの国で過ごしたいと願われるのは、それも、因縁というものなのでしょうか」と言って、「どうしてもそうなされるのなら、これをご覧下さい」と言って、七宝で飾られた箱の中に美麗な錦に包まれた剣が入っているものを見せた。
そして、これを与えるにあたって、「天竺の国王は、遠い所からの献上物を必ず自ら手移しで受け取られます。されば、その時に引き寄せて突き殺しなさい」と教えた。

釈迦族の男は、竜王の教えを受けて、もとの国(釈迦族であれば、故国はカピラエ国となるが、別の国らしい。)に行き、国王の御許に参ってこの宝の箱を奉ると、竜王が言っていたように、王自ら手移しに受け取ろうとされたので、袖を捕まえて突き殺してしまった。
大臣・公卿や様々な人は、大騒ぎとなり、この釈迦族の男を捕らえて殺そうとしたが、男は、「この剣は、神がお授けになった物で、『国王を殺してお前が位に就け』と仰せになったので、王を殺したのである」と言って、剣を抜いて床に突き立てると、大臣や公卿は、「そうであれば、仕方あるまい」と言って、男を王位に就けた。
その後、男は善政を行ったので、国の人々は皆敬い畏まって、すべてについて従った。

さて、王位に就いた釈迦族の男は、大臣・公卿・百官を率いて竜宮に行き、后を迎えて国に帰った。
王は后を大切に夫婦として過ごしていたが、この后には竜身の頃の習性が残っていて、普段は美しく清らかで申し分のない女性なのに、寝入った時と、二人が男女の情を交わす時には、后の御頭より蛇(クチナワ)の頭が九つ指し出てきて、舌なめずりをするので、そのことに王は少しばかり疎ましくなり、后が寝入っている時に、いつものように指し出てきて舌なめずりしている蛇の頭どもを、皆切り捨ててしまった。
すると、后は目覚めたあとで言った。「私自身にとっては悪い事ではございませんが、御子孫方は、代々末永くに渡って頭をお病みになり、国中の人も、頭の病に悩むことでしょう」と。

この事によって、后が言ったように、この国のあらゆる人たちは、すべて頭を病むことが絶えなかったのである、
となむ語り伝へたるとや。

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二羽の鸚鵡 ・ 今昔物語 ( 3 - 12 )

2019-02-10 10:50:39 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          二羽の鸚鵡 ・ 今昔物語 ( 3 - 12 )

今は昔、
天竺に須達長者(シュダツチョウジャ・釈迦と同時代の人物)という長者がいた。仏法を信じ敬い、多くの比丘(ビク・僧)のために檀越(ダンエツ・施主)として常に比丘を供養(ここでは、飲食や生活用品を提供すること。)した。
その長者の家に、二羽の鸚鵡(オウム)という鳥がいた。一羽をリツダイといい、もう一羽をシャリツダイという。この鳥は、畜生とはいえ智恵があって、その家に比丘が来た時には、この鳥がまず出てきて比丘を見て、家の中に入って長者に告げて送迎した。
このようにして数年が過ぎた。

ある時、阿難(アナン・釈迦の高弟の一人で、従兄弟にあたる。)が長者の家にやってきて、この二羽の鳥が聡明なのを見て、鳥のために四諦(シタイ・・諦は心理のことで、苦・集・滅・道の四真理。)の法を説いて聞かせた。
その家の門の前には樹木があった。この二羽の鳥は、法を聞くために樹の上に昇り、法を聞いて歓喜し、その教えをしっかりと身につけた。

その夜、二羽の鳥は樹の上で寝たが、タヌキ(イタチか?)に喰われてしまった。
「法を聞いて歓喜したことで、この二羽の鳥は四天王天(シテンノウテン・欲界の第一天。四天王が司り仏法を守護する欲界の一番下の天。)に生まれるであろう。その天での命が尽きれば、順に上位の天に昇り、他化自在天(タカジザイテン・欲界の第六天。最上位の天。)まで生まれ変わる。かくの如くして、六欲天の間を上下七度輪廻転生して、それぞれの天界での寿命が尽きた後には、人間界に生まれて、出家して比丘となり、仏道を修業して、辟支仏(ビャクシブツ・仏に一度聴法した後、山林等に籠ってひたすら観想を行じ、独学自修した聖者を指す。)になることが出来るであろう」(この部分、誰が予言しているのか不明。阿難と考えるのが自然だが、仏弟子が未来果を予言する例は他にないらしい。)
一人はドンマと名付けられ、もう一人はシュドンマと名付けられる。

これを以て思うに、法を聞いて歓喜する功徳は計り知れない、
となむ語り伝へたるとや。

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食べ物の恨み ・ 今昔物語 ( 3 - 13 )

2019-02-10 10:49:24 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          食べ物の恨み ・ 今昔物語 ( 3 - 13 )

今は昔、 
仏(釈迦)が悉達太子(シツダタイシ・・悉駄、悉達多、シッダールタとも。釈迦の出家以前の名前で、「悟りを得た者」といった意味があるが、実名ではなく、後世に付された尊称とされる。)と申されていた時、三人の妻がいらっしゃった。
その中に、耶輸多羅(ヤシュダラ)と申す人がいた。その人のために、太子は丁重にもてなされたが、それを感じ取る心が無かった。太子がたくさんの珍しい宝物を与えられても、まったく喜ぶことがなかった。
太子が仏になられた後、あの耶輸多羅の宿業(シュクゴウ・現在の果報をもたらした過去世の所業。ここでは、妻の歪んだ性格の原因。)を説いて仰せになられた。

「あの人の前世の時代のことである。天竺に加羅国という国があった。その国に王がいた。その后をハラナバといった。その王は、はなはだ乱暴暴虐で、邪悪な心の持ち主であった。その王に一人の太子がいた。その太子がちょっとした罪を犯し、国王は太子を国外に追放した。
そこで太子は、妻を連れて国境を出て、ある社の傍に宿ることになった。食べる物とてないので、自ら弓矢を取っていろいろな獣を殺して、それを食べて日を過ごしていたが、世間から食べ物が全て無くなってしまい、飢渇に追い込まれた。狩や漁も出来なくなり、飢え死にしそうになっていった。
すると、たまたま大きな亀が這っているのを見つけた。これを殺して甲羅をはがして鍋に入れて煮たが、太子は妻に、『お前は水を汲んできなさい。これをよく煮て一緒に食べよう』といった。妻は夫の言葉に従い、水を汲むために桶を頭にのせて遠い所まで行った。

その間に、太子は飢餓の苦しみが堪えない状態となり、いまだ煮えていない亀の肉を一切れずつ取って食べているうちに、亀の肉をみな食べてしまった。太子は、水を汲みに行かせた妻が帰ってきて尋ねられると、何と答えればよいだろうかと嘆きながら考えていると、妻は水を入れた桶を頭にのせて、弱り切った様子で帰ってきた。そして、鍋の中を見ると、亀の肉が無くなっている。
『亀の肉はどうして無くなってしまったのですか』と尋ねると、太子はうまく答えることが出来ず、『ぐっすり眠ってしまっているうちに、生煮えの状態だった亀は、そう、亀は命長い者なので、海に走り込んでしまったのだ』と答えた。
妻は、『よくもそんなことを。あなたは嘘を言ってるのでしょう。甲羅を取って、切って鍋に入れてよく煮た亀が、どうして逃げて海に入ることが出来ましょうか。ありのままに「飢えに堪えられず食べてしまった」と言うべきです。私が飢えて弱り切っていながら、遥かに遠い所に行かせておいて、あなた一人で食べてしまったのです。もし私がそばにいたとしても、あなたが食べるのを止めることは出来なかったことでしょう』と言って、恨むこと限りなかった。

やがて、父の王が重い病を得て急に亡くなったので、この太子を呼び戻して国の王とした。太子の妻も后となった。
その後、王は国を治めて財宝を后に自由に与えた。しかし、そうしても后は少しも喜ばなかった。王は后に、『このように、何もかもそなたの自由にさせているのに、どうして喜ばないのか』と尋ねた。后は、『今になって、すべてを自由にさせていただいても、嬉しいことなどありません。あの時、私が飢え死にしていれば、財宝を得て、すべての物を自由にすることは出来なかったでしょう。これはひとえに、国を統治して財宝をたくさん得ることが出来るようになって気前良くふるまっているのです。堪え難い時には、亀の肉さえ独り占めして食べ、私には一切れさえ残しておこうとはされませんでした』と言って、喜ばなかった。

その時の、亀の肉を一人で食べた太子は、今の私なのです。水を汲みに行った妻は、今の耶輸多羅なのです。この事によって、生まれ変わって夫婦となっても、このように睦まじくなれないのです。わずかな亀の肉によって、太子は虚言をし、妻は瞋恚(シンイ・怒りの心)を起こしたのです」と、お説きになった、
となむ語り伝へたるとや。

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金剛醜女の前世 ・ 今昔物語 ( 3 - 14 )

2019-02-10 10:48:03 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          金剛醜女の前世 ・ 今昔物語 ( 3 - 14 )

今は昔、
天竺の舎衛国に王がいた。波斯匿王(ハシノクオウ・釈迦と同時代の人で、仏教を厚く保護した。)という。后は末利夫人(マリブニン)という。
その后は、容姿麗しく美しいこと、十六の大国(当時、西・北インドには十六の大国が栄えていた。)に並ぶ女性はいなかった。その后は、女の子を一人生んだ。その女の子の姿は、まるで毒蛇のようであった。その臭いにおいは、人を近づけないほどであった。太い髪は左に巻いていて、鬼のようであった。(毛髪は細くて柔らかく右に巻いているのを吉相とされ、その逆は異端の相で鬼類の髪。)容姿のすべてが人には似ておらず、そのため、この女の子の様子は、大王・后・乳母三人ばかりが知っているだけで、他の人には全く知らせなかった。
大王は后に、「そなたの子は、まさに金剛醜女(コンゴウシュニョ・女らしさのない金剛力士のように逞しく、しかも醜い女、といった表現。)だ。はなはだ恐ろしい。速やかに、別の場所に移るように」と命じて、宮殿の北に二里(どの程度の距離か不詳。現在の二里よりはずっと短いようだ。)離れた所に、方丈(一丈四方。3m四方。)の部屋を造り、乳母ならびに女房一人をつけて、その部屋に閉じ込めて、決して外出させなかった。

金剛醜女が十二、三歳になった頃、母の末利夫人が端正美麗なことからきっと娘も美しいものと推し量って、十六の大国の王が、いずれも后に迎えたいと申し出た。しかし、父の大王は申し出を受け入れず、一人の男をいきなり大臣に就けて、その男を婿といって、その金剛醜女のそばに付かせた。この大臣となった男は、予期していなかった、このような恐ろしい事にあって、一日中嘆き悲しむこと限りなかった。
しかしながら、大王の仰せに背くことも出来ず、金剛醜女の部屋で過ごした。

そうした時、大王は生涯で一度の大誓願として、僧俗を招集して法会を行った。金剛醜女は大王の長女ではあるが、その姿が醜いがゆえに、この法会には参加しなかった。
多くの大臣は、金剛醜女の様子を知らないため、法会に参加しないことを怪しみ疑って企んだことは、婿となった大臣に酒を飲ませて、酔わせたうえで腰に指していた部屋の鍵をそっと盗み取って、下級官吏に様子を見させるために彼の部屋に行かせた。
その金剛醜女は、下級官吏が様子を見に来る前に、室内で一人嘆き悲しんで祈った。「釈迦牟尼仏(シャカムニブツ・釈迦の尊称)よ、願わくば、私の姿をすぐさま美しくして、父の法会に参加させてください」と。
すると、仏が庭の中に姿を現した。金剛醜女は仏の相好(ソウゴウ・完全無欠な吉相)を見奉って歓喜した。これによって、たちまちのうちに金剛醜女の身に仏の相好を移すこととなった。
「夫となった大臣にこの事を早く伝えよう」と思った頃、使いを命じられた下級官吏は、そっとやって来て物陰から見ていると、部屋の内に一人の女性がいるのが見えた。容姿端麗なること、まるで仏のようであった。
使いの下級官吏は戻って、多くの大臣に報告した。「私などでは表現することも出来ないほどの美しさで、これまでに、これほど美麗な女性を見たことがありません」と。

婿の大臣は、酔いから覚めて部屋に戻ってみると、見知らぬ美麗な女性がいた。
近くに寄ることもせず、疑わしく思いながら、「私の部屋に、どなたが参られたのか」と尋ねた。女は、「私はあなたの妻の金剛女ですよ」と答えた。
夫が「そんなはずはない」と言うと、妻は「私は、急いで父の法会に出たいと願っていましたところ、釈迦仏のお導きによって、このような姿に変わりました」と言う。夫である大臣はこれを聞いて、大急ぎで走り返って、大王にこの事を申し上げた。
宮殿にいた大王と后は、これを聞いて驚き、ただちに輿に乗って彼の部屋に行ってご覧になると、まことに世に比べる者とていないほどの美しさであった。早速に娘を迎えて宮殿に連れて帰った。

娘の願い通りに法会に参加すると、大王は娘を連れて釈迦仏の御許に参って、この事を一つ一つお尋ねになった。
仏は、「この女人は、前世において、あなたの家の飯炊き女でした。その時、あなたの家に一人の聖人がやって来て布施を受けました。あなたは善果を積む志があって、一俵の米を置いて、家中の上下を問わず多くの人に米を握らせて、僧に供養をさせました。その中にこの女人もいて、供養しながら、僧の容貌が醜いことを謗ったのです。僧は、すぐさまあなたの前に来て神変(ジンペン・神通力を発揮して、人智の及ばない不可思議な現象を現出すること。)を現じ、大空に昇って涅槃に入った。女人はそれを見て、泣いて僧を謗った罪を悔いて悲しみ、僧を供養したので、今の世で大王の娘として生まれたのです。しかし、僧を謗った罪によって、鬼(金剛醜女)の姿になったのです。されど、また懺悔したゆえに、今日わたしの導きを得て、鬼の容貌が改められて、端正となって、永く仏道に入ったのです。このように、僧を誹謗してはならないのです。また、たとえ罪を作るようなことがあっても、心を尽くして懺悔しなさい。懺悔は、第一の善根を積む道なのです」とお説きになられた、
となむ語り伝へたるとや。

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