雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

かへるがへるも

2023-06-15 08:03:54 | 古今和歌集の歌人たち

     『 かへるがへるも 』


 白雪の 八重降りしける かへる山
        かへるがへるも 老いにけるかな

              作者  在原棟梁

( 巻第十七 雑歌上  NO.902 )
         しらゆきの やへふりしける かへるやま
                  かへるがへるも おいにけるかな


* 歌意は、「 白雪が 幾重にも降り敷いている かへる山は 頭が白くなり すっかり 年老いたものだなあ」といったものでしょうか。
この和歌には、「寛平御時后の宮の歌合の歌」という表題が付けられていますので、実感というより、作意された歌でしょう。
なお、「かへる山」とは、福井県にある山地のようで、それほど著名な山ではなかったようですが、名前が「帰る」に繋がることから、時々詠まれているようです。

* 作者の在原棟梁(アリハラノムネハリ/ムネヤナ)は、平安時代初期の貴族です。( 850? - 898 )
父は、よく知られている在原業平(アリハラノナリヒラ)です。母は、紀有常です。
作者の祖父にあたる阿保親王は、平城天皇の第一皇子でしたが、平城天皇が弟の嵯峨天皇に譲位した後に、阿保親王は平城上皇らと共に「薬子の変」に連座し、大宰権帥に左遷されました。これにより、皇統は嵯峨天皇の子孫に受け継がれ、阿保親王の子である業平らは 826 年に在原姓を賜って臣籍降下しています。
作者が生れた時には、在原姓となって二十年余りが過ぎていて、すでに皇室とは遠い関係になっていたのでしょうが、名族としては不本意な官位官職だったと想像できます。

* 869 年、春宮舎人に任ぜられて、貞明親王に仕えましたが、棟梁が二十歳の頃ですので、初出仕だとすれば、少し遅いように感じます。
この貞明親王とは、後の陽成天皇ですが、この年に誕生し、生後三ヶ月にして立太子しています。おそらく、貞明親王が春宮(東宮)に立つと同時に出仕したのでしょう。
貞明親王は、876 年に八歳にして即位します。棟梁は、その後は、左近衛将監、左兵衛権大尉(ともに六位
相当)と、武官として仕えています。

* 884 年、光孝天皇が即位しますと蔵人に任ぜられます。
陽成天皇が摂政藤原基経と対立、トラブルもあって廃位され、陽成天皇の祖父文徳天皇の弟である光孝天皇が即位したもので、激しい政争を経ての誕生で、五十五歳になっていました。
棟梁が蔵人に任ぜられたのには、この混乱期に必要な人材として求められたのかも知れません。
翌年、従五位下・雅楽頭に叙任されます。ようやく貴族の仲間入りしたことになりますが、すでに三十六歳になっていました。

* 886 年、左兵衛佐に転じ、再び武官として仕えています。896 年には左衛門佐と勤め、897
年に従五位上に上り、翌 898 年に筑前守を兼務しますが、ほどなく亡くなりました。行年四十九歳と考えられます。

* このように、残されている記録を辿る限りでは、決して恵まれた官暦であったとは思われません。父の業平は、現代人の目で見てこそ、当代屈指の文化人と言えるかも知れませんが、その生涯は、大きな屈折を抱えての生き様だったのではないでしょうか。
筆者の棟梁も、中古六歌仙の一人に選出されるなど、歌人としては相当の評価を受けていたのでしょうが、どこか、満たされぬものを抱いた生涯であったのではないかと、思えてならないのです。

     ☆   ☆   ☆

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解散風は今どのくらい

2023-06-14 19:07:15 | 日々これ好日

      『 解散風は今どのくらい 』

    開会中の国会も 閉会が近付いてくると
    恒例の 内閣不信任決議案を 出すとか出さないとか
    同時に 解散風も どこからともなく吹き始める
    今回も 隙間風から 少しばかり強くなってきたかと思っていると
    昨日の首相会見は 解散に対する発言に 変化が感じられ
    にわかに 暴風雨の可能性も出て来た
    さて ただ今 解散風はどのくらいの強さ??

                  ☆☆☆ 

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少子化対策

2023-06-13 19:02:49 | 日々これ好日

      『 少子化対策 』

    少子化対策を中心に 岸田首相が記者会見中
    どの辺が『異次元』なのか という声も聞こえそうだが
    何とかしなくてはならない所を 通り過ぎてしまっているようにも思う
    わが国は すでに人口減少社会に突入しているが
    そうなることが分かったのは 相当昔のことだ
    今に至っては 社会が相当きしむような対策が必要になろうが
    人口減少社会を拒むのであれば 相当の覚悟が必要だと思う
    ただ 伝えられている対策程度を
    『異次元』と呼ぶのは どうかという気はする

                        ☆☆☆

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これからが梅雨本番

2023-06-12 19:04:33 | 日々これ好日

      『 これからが梅雨本番 』

    昨11日 北陸と東北が梅雨入りし
    これで梅雨のない北海道を除き 全土が梅雨入りした
    今年は全般的に 梅雨入りが早く
    さらに台風2号・3号と 本州から離れていても
    すでに豪雨被害が 各地で発生している
    しかし 梅雨はこれからが本番
    地震と違って かなり信頼性の高い情報を得られるので
    それなりの備えは 心がけたい
    河川の氾濫や土砂崩れなど 個人の努力ではどうにもならないが
    何とか 人的被害の発生は 抑えたいものだ

                     ☆☆☆ 

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AIロボットとのお付き合い

2023-06-11 18:31:54 | 日々これ好日

     『 AIロボットとのお付き合い 』

   AIロボットについて意見交換する テレビ番組を見た
   専門的なものではなく 出来るだけ平易であるように
   番組は進められていたようだが やはり 難解
   人工頭脳といっても そのベースには
   「人間の知能が関わっているのだろう」 などと思っているが
   AIロボットは 人間によって作られたとしても
   その後は 人工知能自身が どんどん学習していくらしい 
   将棋で言えば 藤井七冠に匹敵するような能力で
   人間の何万倍・何億倍のスピードで学習していくとすれば
   当初の能力など まったく消えてしまうレベルに至るだろう
   これが 科学や体力に加え 感情や倫理などといった分野においても
   同様の変化を見せるとすれば、 人間はコントロールなど出来なくなるだろう
   当然 そうした能力を持ったAIロボットは  
   あっという間に 人間の人口を超えるほどに増えるだろう・・
   さて 近未来の真実はいかに!?
   いずれにしても 私の生きている間だけは 静かにして頂きたいものだ

                        ☆☆☆

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ひとときひとときの大切さ

2023-06-10 19:37:02 | 日々これ好日

     『 ひとときひとときの大切さ 』

    ここ数日 厳しい日々だった
    また 大切な人を見送ってしまった
    何も 初めての経験ではないが
    こうした現実に直面すると
    人と人のつながりは どのような関係であれ
    不可思議な 縁とも言える
    ひとときひとときの大切さを また教えられた

                   ☆☆☆

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情熱の女流歌人

2023-06-09 08:00:50 | 私の好きなフレーズ

 『 情熱的な叫びが聞こえてくるような、面目躍如たる作品 』


そして、小倉百人一首には、この言葉(いまひとたびの)が使われている札がもう一枚あるのです。
 『 あらざらむ この世のほかの 思い出に いまひとたびの 逢うこともがな 』
こちらの方は、和泉式部の作です。
      ( 中略 )
平安時代を代表するというより、むしろ、わが国を代表すると言っても過言ではない恋愛歌人の、重い病にあってもなお失われぬ情熱的な叫びが聞こえてくるような、面目躍如たる作品だと思うのです。
そして、この作品における「いまひとたびの」の持つ凄さは、後世の人に、この言葉は安易に使えないと思わせるほどの圧力を与える、迫力に満ちたものだと思うのです。
これほどすばらしい言葉なのに、この作品以降にこの言葉を詠み込んだ和歌は、現在に伝えられている著名な歌集を見る限り極めて少ないのです。
これは私の勝手な推量ですが、おそらく当時には、この言葉を詠み込んだ和歌が数多く作られたのでしょうが、和泉式部のこの和歌と比較されてしまい、後世に残れなかったのだと思っているのです。

          ( 「言葉のティールーム」第一話 より )

     ☆   ☆   ☆


  

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ウクライナ南部のダム爆破

2023-06-07 18:19:38 | 日々これ好日

     『 ウクライナ南部のダム爆破 』

   ウクライナ南部にある ロシアが占拠中のダムが
   爆破された
   多くの地域が水没し 大勢の人が家を失っている
   例によって両国共が 相手方の仕業だと非難し合っているが
   米国は 真相はまだ断定できないと コメントしている
   戦争に ルールや良心を訴えることは 無駄なことかも知れないが
   この参事の結果を 想像することも出来ないのだろうか
   これも 人間の資質の一部だと 見守るしかないのだろうか

                    ☆☆☆

 

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頭が痛い?マイナンバーカード

2023-06-06 19:00:57 | 日々これ好日

    『 頭が痛い?マイナンバーカード 』

   トラブル続出の マイナンバーカード
   なりふり構わず 推進しても
   国民の多くが メリットを感じない限り
   定着は 難しいのではないだろうか
   そうした中で カードの券面刷新を 2026年中にも   
   プライバシーに配慮した内容に 見直す方針とか

   今持っている人は どうなるのかな?
   要は いくら注意を払っても 人的ミスは避けられない
   それを容認するように 国民に伝えることが
   必要な気がするのだが・・・

                   ☆☆☆

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去る皇后と日の出の新中宮 ・ 望月の宴 ( 81 )

2023-06-06 08:01:00 | 望月の宴 ③

      『 去る皇后と日の出の新中宮 ・ 望月の宴 ( 81 ) 』


定子皇后は、三月三十日に宮中を退出なさるにつけても、しみじみと悲しいことなどをたくさん天皇に申し上げられて、御袖を幾重にもお濡らしになる。
そして、心底から、月の障りがふつうでなくなったことを、まことに情けないことだと、さも悲しげに心細い思いであるとお思いである。このように考えることは、良くないことと思いながらも、ますます嘆かわしくなられるのをどうすることも出来ないご様子である。

その後は、ほとんど食事もお取りにならず、ただただ、夜も昼も涙を溢れさせていらっしゃるので、帥殿(ソチドノ・定子の兄の伊周)も中納言殿(弟の隆家)も、これは一大事だと憂いていらっしゃる。
ただ御祈祷の事ばかりをお支度なさろうとするも、さてどういうわけか、世間に多少とも知られ、そこそこ名僧といわれる人などは、この一門と親しい様子を見せることは厄介なことと思って、お召しの使いをお出しになっても、あれこれ差し支えがあると申して、簡単には参上しない。かといって、他の僧を招くとしても、まるで人に知られていないような者では、その果報は拙く、効験などおぼつかないであろうから、御祈祷を思う存分にして差し上げられないのが、まことに残念だとお嘆きである。

賀茂の祭や何やらと世間はわきたっているが、定子皇后のご一門にとっては、すべて無縁の事と思わずにはいられないのも哀れなことである。
僧都の君(定子の弟、隆円)、清照阿闍梨(セイショウアザリ・定子の母方の叔父)などばかりが、皇后の夜居(ヨイ・僧が徹夜で付き添い加持すること。)に侍しておいでである。
定子皇后は、その皇子や皇女のお世話をなさりながらも、ご自身はいつまでの命かと、それを知る涙にくれていらっしゃるのも痛々しいことである。
( 「それを知る涙」は、「 世の中の 憂きもつらきも 告げなくに まづ知るものは 涙なりけり 」という古今和歌集/読人しらず、を引用している。 )

一方、新中宮(彰子)は、四月三十日に宮中にお入りになった。
その御有様は推察されたい。御輿の有様をはじめ、何もかも新しい物ばかりで、御裳を着用なさっていて、御髪上げ(ミグシアゲ)をされて御輿にお乗りになるご様子など、すべてがこのような御身になられるべく生まれついたのだと思わせるものであった。
このようにお若くいらっしゃる間は、可憐で美しくおいでなのはふつうのことであろうが、すでに高貴な風情を備えておいでなのは、まことにご立派なことである。

この度は、藤壺の室内の装いとして、大床子(ダイショウジ・天皇や中宮が腰掛けるための台(椅子)。地位の象徴で、立后時に宮中より贈られる。)を立てたり、御帳台の前に狛犬(中宮の象徴として、狛犬と獅子の一対を御帳台の前に置いた。)などが置かれているのは、特別なことではないが目を奪われる。若い女房たちは、まことにすばらしいと見ている。
火焚屋(ヒタキヤ・衛士が火を焚いて見張りする小屋。)が土御門殿(彰子の里邸)の御庭にあって、まるで絵に描いたようであったが、この藤壺の御庭では、これが少し趣向がことなった感じがするのも、目新しさのためであろうか。

この度は、女房の唐衣なども身分によって分けられていて、その区分がはっきりしているのが、いかにも気の毒だという者もいる。
全員がほぼ一様の衣装であった時には、特に目立つこともなかった織物の唐衣などが、今見ると、文様がはっきりと浮き立っているのが立派に見えて、織物を着用できない身分ながら人柄などは決して悪くない人が、許された範囲で心の限りを尽くしている無紋(織物ではあるが、織文様がない絹。)の唐衣などは、まことに見栄えがせず残念なことである。
女官(女房の下で雑務に従事した。)なども、辺りに人もいないかのように振る舞っているのも、かえって新中宮の身分にふさわしいように見える。

帝がお見えになって御覧になり、「これまでは、気やすい遊び相手とお思いしていたが、この度は大変高貴な御有様なので、畏れ多い感じが加わって、勝手な振る舞いが出来なくなってしまった。それにしても、初めてお逢いしたした頃からすると、この頃はすっかり大人らしくなられましたものだ。何かご無礼でもあれば、お叱りを受けそうなご様子だ」と仰せになられるので、伺候されている女房たちは、声をひそめてたいそう笑いをこらえているようである。

     ☆   ☆   ☆


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