雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

両陛下インドネシアご訪問

2023-06-18 18:15:47 | 日々これ好日

      『 両陛下インドネシアご訪問 』

    天皇・皇后両陛下が インドネシアをご訪問
    温かく迎えられているご様子が 伝えられていた
    映像の中の 天皇陛下のヘルメット姿が
    実に似合っていて 微笑ましかった
    武力ではなく 経済力でもない 親善は
    両国に 多くのものを もたらしてくれるだろう

                ☆☆☆

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長保二年という年 ・ 望月の宴 ( 82 )

2023-06-18 08:02:57 | 望月の宴 ③

      『 長保二年という年 ・ 望月の宴 ( 82 ) 』


いつしか五月五日(長保二年・1000 年)になったので、人々は菖蒲や楝(ショウブやオウチ・どちらも襲(カサネ)の夏の色目。表青・裏濃紅梅と表薄紫・裏青。)などの唐衣、表着なども、風情があり時節に合っているように見えるが、菖蒲の三重(ショウブのミエガサネ・菖蒲襲の間に薄紫を加えて三重にしたもの。)の御几帳の数々には、薄物の帷が立ててあるので、その上の方を見ると御簾の縁もたいそう青々としている。
さらに軒のあやめも隙間なく葺かれていて、格別にすばらしく風情があり、さらに、御薬玉に用いる菖蒲などを入れた御輿が運び込まれるのも珍しく、若い女房たちはこれを見て楽しんでいる。


帝(一条天皇)におかれては、承香殿女御(ショウキョウデンノニョウゴ・顕光の娘元子)を人知れぬ御心のうちで、どうしているのかと待ち遠しく思われていたが、表立って御使者をお立てになるわけにもいかず、またそちらから参上する人もいないので、たいそう信頼なさっている右近内侍に命じられて、御手紙を密やかにお遣わしになられたが、いつしかその事が世間の噂となった。
殿(道長)はそれについて何ともおっしゃらなかったが、取り次ぎのことが露見したため、彰子中宮の御父上である殿(道長)に対して畏れ多く、右近内侍は自ら謹慎して参内しなくなってしまった。

すると、殿の御前は、「右近内侍が参らないのは、どうも納得がいかない。きっと、自分の顔を見たくないからだろう」などと仰せになられたのは、やはり無礼者だと思っておいでなのだと、人々は勘ぐっていたのである。

皇后宮(定子)におかれては、何もかも想定外のことと情けなく思われていて、御妹の四の御方に、今宮(敦康親王)のお世話を良くして差し上げるように、涙ながらにお頼みになられるのであった。
御匣殿(ミクシゲドノ・四の御方)も、「ゆゆしきことを申される」と申し上げて、この御方も涙ながらに日々を送っておいでである。
月日ははかなく過ぎていって、帝におかせられては、たいそう皇后宮の御有様をなつかしく思いお逢いしたいとお思いで、心のこもった御手紙を常にお寄せである。
皇后宮の皇子皇女方は、この上なく可愛らしい御有様である。

やがて、七月の相撲節会(諸国から相撲取りを集める大掛かりな年中行事の一つ。七月末に行われた。)の頃になったので、耐えがたいほどの暑さは当然としても、「今年の相撲は東宮(居貞親王)も御覧になるがよい」とお決めになって、そのお支度も格別のようである。

七月七日に、中宮(彰子)より女院(一条天皇の生母、詮子)に御歌を贈られる。
『 暮を待つ 雲居のほども おぼつかな 踏みみまほしき 鵲(カササギ)の橋 』
( 日が暮れるのを待って 牽牛と織姫の逢瀬を契る空の様子が はっきりしないので いっそ天の川を渡す鵲の橋を 渡りたいと思います ・・・「久しくお逢いできておりませんので、お便りを戴きたく思います」)
女院からのお返しは、
『 鵲の 橋の絶間は 雲居にて ゆきあひの空は なほぞうらやむ 』
( 鵲の橋を渡ってお逢いするのも 絶えて久しくなりました 牽牛と織姫の逢瀬が うらやましく思います ・・・「お逢いしたいのは私も同じですよ」)

七月七日の頃になったので、諸国から相撲取りが参集して、左右の大将のところでは、ひたすらこの準備にかかりっきりで大騒ぎである。東宮が今年は御覧になるというので、万事はなやかで盛大にと思われて、沸き立っているのも興味が高まる。

月日が過ぎ行くままに、皇后宮(定子)は、いよいよあれこれと思い悩み、お嘆きの日々であるに違いない。


この年、長保二年は、西暦で申しますと一千年に当たることになります。
そして、この年は、後世、平安王朝文化の絶頂期の中心に当たるような時季でございますが、一条帝の後宮では、消え去ろうとしている定子皇后と、日の出の彰子中宮が大きく花開くという、厳しい運命の象徴のような年でもございました。

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