雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

プリゴジン氏 ベラルーシ入国か?

2023-06-27 18:32:10 | 日々これ好日

      『 プリゴジン氏 ベラルーシ入国か? 』

    反乱は一日で終ったが まだ続きがありそうな予感
    様々な情報があり プリゴジン氏の動向が注目されているが
    プリゴジン氏のプライベート機が ベラルーシに入ったらしい
    プリゴジン氏が乗っているかどうかは 確認されていないが
    今後 どのような行動を 取るのだろうか
    それにしても 戦争を引き受ける会社が
    世界には 数多くあるのが 現実らしい

                     ☆☆☆ 
    

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夢と知りせば

2023-06-27 08:03:25 | 古今和歌集の歌人たち

     『 夢と知りせば 』


 思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ
        夢と知りせば 覚めざらましを

            作者  小野小町

( 巻第十二 恋歌二  NO.552 )
         おもひつつ ぬればやひとの みえつらむ
                 ゆめとしりせば さめざらましを


* 歌意は、「 あの人のことを思いながら 寝ましたので あの人が夢に現れたのでしょうか これが夢だと分かっていれば 目を覚ましたりしなかったのに 」と言った、数多く伝えられている小野小町の恋歌の代表歌の一つです。

* 作者の小野小町(オノノコマチ)は、平安時代ばかりでなく、わが国の歴史上最も著名な女流歌人と言えるでしょう。
さらに、美人の代表とされる女性であり、多くの和歌が伝えられており、幾つもの虚実入り混じった説話が伝えられています。
しかし、その人物や伝説化されているような物語の多くは、謎に包まれている物が殆どで、その実体はあまりにもおぼろげですが、それだからこそ、一千年余を過ぎた今日においても、多くのファンがいるのかも知れません。

* 小野小町の生没年は未詳です。出自もやはり確定されていません。
多くの説はあるようですが、いずれも推定の域を出ておらず、かなり後世に作成された資料をもとに推定されている物が多く、生没年・出自とも断定するのは正しくないようです。

* ただ、古今和歌集の撰者の一人である紀貫之( 872 - 945 )は、その仮名序の中で、「近き世にその名聞こえたる人は」として、六人の歌人を挙げています。後に「六歌仙」と呼ばれることになる歌人たちですが、小野小町もその中の一人とされています。つまり、この頃には、すでに名高い歌人であったことが確認できます。
因みに、貫之の小町評は、「古の衣通姫(ソトオリヒメ・記紀に情熱の美人として記されている。)の流なり。あはれなるようにて、つよからず。いはば、よき女のなやめるところあるに似たり。つよからぬは女の歌なればなるべし。」とあります。

* 生没年について、( 825 - 900 )と推定している説もあるようです。個人的には、ずいぶん大胆な意見だと思うのですが、大きく外れていない年月を生きた女性であることは確かなようです。
出自についても、具体的な説としては、小野篁( 802 - 852 ・従三位)の孫で、出羽の郡司である小野良真の娘というものがありますが、篁の孫とした場合、年代的に少し無理があり、公卿である篁の孫であれば、出自に関してもう少し情報が残されているはずのように思われます。また、父が出羽の郡司だとした場合、郡司というのは一つの郡の長官ですから、おそらく官位などなく、篁の息子とは考えにくく、娘が都で一流歌人として存在するのも無理があるように思われます。

* このように、小町は推定部分の多い女性ですが、どうやらそうしたことはたいした問題ではなく、平安時代初期に絶世の美女であり、情熱的な歌を数多く詠んだ女性がいた、ということで納得すべきような気がするのです。そして、こうした女性の常として、虚実が入り混じった(虚の部分が圧倒的に多いのでしょうが。)物語が作られ、流布していくのは宿命のようなものなのでしょう。

* 小町の代表作品としては、No113にある『 花の色は 移りにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに 』なのかも知れませんが、あえて掲題歌を選びました。
その理由は、掲題歌は、「巻第十二 恋歌二」の巻頭歌で、しかも三首続けて小町の歌が載せられているからです。
もちろん、『 花の色は ・・・ 』は実にすばらしい和歌で、この和歌を「春歌」に分類しているのは、古今和歌集の編者のミスだと個人的には、思っているほどです。

* 作者 小野小町は、世界三大美女の一人とされています。他の二人は、エジプトのクレオパトラと中国唐の楊貴妃ですが、誰がどういった基準で定めたのか知りませんが、まあ、大変な美女であったという一つの勲章ではないでしょうか。
それほどの美女ですから、これまでに小町の姿は数多く描かれ伝えられていますが、そのほとんどは後ろ姿に近いものばかりで、正面から描かれているものは皆無のようです。もしあれば、それは間違いなく偽物でしょう。
小町をめぐる物語は、風評的なものも含めて、多くのものが伝えられているようです。あまり真偽の程にめくじらを立てず、絶世の美女であり情熱歌人である女性として大切に見守り続けたいと思うのです。

     ☆   ☆   ☆

 

 

コメント (2)
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