マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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外川町の民俗行事

2009年08月16日 08時21分42秒 | 楽しみにしておこうっと
日々交通安全地蔵と呼ばれるお地蔵さんは外川橋のすぐ傍の道路脇にある。

地蔵盆は毎年8月23日の夕方。

かっては浴衣を着た子どもが親と一緒に参ってくれた。

嫁いだ先からも戻ってきて孫と一緒に参っていたが、近年は子どもだけになっている。

歩道に集まるので往来する車が気にかかって仕方ないとTさんはいう。

そのTさんは集まるころを高台の家から眺めていてそれから出かけるという。

外川町には八幡神社が鎮座している。

秋祭りは本来10月1日だったがサラリーマン家庭が多くなったことから集まりやすい第一土曜日を宵宮にしている。

15時ころから始まって終えるのは21時。

提灯を掲げて、たこ焼きなどの夜店を出して参拝者を迎えている。

翌日の本祭は祭りの片付けになっている。

神社の祭礼は17人の座衆が営んでいる。

そのうちの長老の一団は八人衆(一老から八老)と呼ばれている。

宵宮の神事は夜中に行われる。

御幣、裃衣装や座記録が収められた箱を引き渡す儀式だ。

どんどんと太鼓を打ち鳴らし、無言で次の者の家に持っていく。

2月か3月に行う八人衆の行事は宮算用(みやさんじょ)と呼ぶ会計報告で一年の祭りを締めくくる。

5月にはデンガクメシの行事がある。

トーフに味噌を付けて食べる。

このとき出されるのがスキヤキ。

ごちそうであったスキヤキは今でも座の主食になっている。

また、新入りを八人衆に受け入れる座入りの儀式は秋祭りを終えた後で行われる。

同じようにスキヤキを食べるのが儀式だというのだが季節柄マッタケメシが加わる。

八人衆の儀式はいずれも座衆の都合で日曜辺りに行われる。

いやはや近くに住んでおりながらまったく存知してなかった宮座儀式。

早い内に訪問したいものだ、と思っていたが、叶わなかった。

(H21. 7.22 記)

正月の道

2009年08月16日 08時00分20秒 | 大和郡山市へ
一昨年のトヤさんの話によると観音寺町では「正月の道」を作るでぇと言っていた。

大晦日に近くなるころ、そろそろ「正月の砂撒き」をせんなんといかんなぁと言って、編んだ竹籠のモッコを持って佐保川の川に砂を採取に出かける。

綺麗な川砂を掬って竹籠に入れる。

川砂は水分を含んでいるので、それを竹籠に入れてしばらくおくと水がきれて軽くなる。

それからモッコを担いで持って帰ってくる。

川砂は氏神さんの神社の本殿前から箕を用いて敷いていく。

末社も同じように砂を一本道のように敷いていく。

手水の処も敷く。

お堂の前も敷く。

それは一本の繋がった砂の道になって鳥居まで続く。

かって、神社のトヤが敷いた道に各家はそれから繋げて砂を敷いていた。

集落全域に亘っていた「正月の道」作りは家の玄関、蔵、納屋の手前まで敷いていた。

家屋の外にあるご不浄の便所までも敷いていた。

正月の道は人が通る全ての道に渡って敷いていた。

正月さんを迎える道は、現実的にいえば家から神社へ参拝する道になっていた。

子どものとき、盛り上がっている正月の道を踏んでいくのが楽しかったという。

この風習は30年ほど前に止めていった。

集落の道が舗装され、雨が降ったら側溝に流れていって始末せなあかんようになった。

集落の道が土だったときは雨が降っても砂が自然にとけ込んでいった。

それが舗装されて道路に砂が残るし、側溝に溜まった砂を掃除せなあかん。

面倒さがでてきたんで止めたという。

昭和58年(1983年)には本殿を建て直した。

そのときは既に集落の正月の道はしてなかったという。

(H21. 7.20 記)