マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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変貌する景観は写真集に残された

2009年08月12日 07時02分56秒 | 民俗の掲載・著作
病室で天使に見つけられてしまった樹林社刊の『大和郡山・天理の今昔写真集』。

「この本、最寄りの本屋さんで予約購買したんです。住んでいる地域の昔の写真を眺めて母親と一緒に懐かしいって話してたんです」と仰る。

この写真集、実は私も執筆者の一人なんですよと伝えるとたいへん驚かれた。

戦後の昭和時代を記録された地域景観の移り変わりに家族が話す。

これこそ発刊を待ち望んでいた私の思いなのです。

数ヶ月前、取材者が私を探して訪ねてきた。

なんでも祭りや行事のことを聞くなら私を尋ねて行けと数人から言われたそうだ。

主旨に賛同して取材やお祭り写真の検証などに協力した。

その後に写真協力ではなく、お祭りについてコラム文を書いてほしいと依願された。

数あるお祭りや行事のなかから一本のテーマだてをするのは難しい。

頼まれた以上はなんとか書かねばと思い一気に書き上げた。

こんなんでどうとオンダ祭を中心としたコラム文を送付すれば半分が被っているという。

それは牛の貸し借りだった。

そのことは集められた写真にキャプションで書かれているという。

この風習は民俗行事を取材しているなか、各地で聞きとられたものである。

まさか、それが写真に残っているとは。

記録された方に敬意を評する。

仕方がないので全編を書きなおして入校した。

そんなことはともかく、私にとってはこの今昔写真集に掲載された写真はどれをとっても垂涎のもの。

リヤカーに乗った子どもに、街角なので遊ぶ普段儀が着物だった子ども。

自分自身でもそうであったようにとても懐かしい風景だ。

ハナタレ小僧で木棒でチャンバラゴッコをしていた時代を思い起こす。

当時は大阪市内だったがほとんど変わらない情景。

そのころ写真はといえば、カメラマンがやってきて子供の姿を撮って売りつけていく時代だった。

実家にも一枚残っている。

高価なカメラなんぞ、持っている家なんてなかった時代。

カメラを持っていても家族の記念写真ばかり。

とてもじゃないけど風景などを撮っている人は写真館かよほどの人だ。

そんな難しい写真収集を短期間でよく集めたものだと感心する。

なにげない一枚が貴重な記録となって甦った写真集。

そこには数十年の間に大きく変貌した地域の憧憬が残されている。

(H21. 7. 1 SB912SH撮影)