マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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土田お峯山の神水取り

2009年08月22日 07時18分53秒 | 大淀町へ
橿原市の畝火山口神社の祭礼に、大阪の住吉大社が「土」と「水」に深く関わっている。

「土」は、住吉大社で行われる三月の祈年祭、11月の新嘗祭に際して使われる祭器となる神酒壷の主材料の埴土を畝傍山へ取りにいく。

一方の「水」は7月28日にお峯山の神さんに供えられる畝火山口神社のでんそそ祭の神水だ。

神水は橿原から山を隔て、遠く離れた清らかな吉野川で採取される。

大淀町土田(つった)には推定樹齢700年とされる大木のケヤキ(大淀町指定文化財)がある。

土田の役員らは(「火」の使いと言えるのでしょうか)畝火山口神社の宮司を迎えて、2本の笹竹を立てて注連縄を張った河原で水汲みの神事を執り行う。

かつて大木ケヤキの真下で採取していた神水。

現在は川幅が狭くなった河原の砂地から川に石を並べて神事の場としている。

祓えの儀を終えると用意した一升瓶を清流に沈めて水を汲んでいく。

前夜に降った雨で水かさが増し、勢い強い流れの吉野川の清流はさほど濁っていない。

神水取りの神事は雨乞い祈願だと囁かれるが定かではない。

神水を汲み終えた宮司は住吉神社の御輿を祓い浄めに向かって行った。

この神水取りが行われる直前、土田の住吉神社に参る。

現在の住吉神社は妙見宮の傍らに鎮座しているが、近鉄電車が土田浦のケヤキの傍を通ることになり、そこから遷座されたものだ。

突然降り出した雨は止まない。

宮司、宮守さん、地区の役員は、神饌を供え、傘を差しての祭礼が行われた。

河原の水取り前、住吉神社にその「お断り」を祝詞奏上される。

例年なら梅雨も明けて夏空が広がる日だが、降雨、止雨の願いが通じたのでしょうか、水取りの際には小止みになっていた。

住吉神社に参る前、宮司は吉野へ抜ける伊勢南街道筋のIさん方の一軒の家に滞在する。

かつて「ハリマサマ」と呼ばれた水取りの一行は、ケヤキを目印に元旅籠だった当家に泊まっていた。

橿原から隊列を組んで壷坂峠を越えてきた。

明治維新の前は、「大谷播磨守」と名乗った宮司神職は十二人ものお供を連れてきたという。

亡くなられた先代大谷宮司が「今は電車に揺られて行くのだが、その前は馬に乗って行ったのだ」と話されたことを思い出した。

(H21. 7.26 Kiss Digtal N撮影)