下三橋の田んぼは先月末に村のタコダ池(池の傍らからは平城京十条坊跡が発掘された)から水を引いて田植えが始まりました。
かって二毛作だった田んぼにはハダカムギやコムギを耕作されていました。
戦後にイチゴを栽培するようになってムギは作らなんようになったといいます。
ハダカムギは五月、六月にコムギを刈り取っていた時期は「ムギ秋」と呼んでいたと仰る二人。
ナスの出荷が忙しいのだと、お参りを済ませると足早に立ち去っていきました。
下三橋の田んぼは五月初めに苗代を作ります。
田植えを終えたあとの田んぼの水は、6月の夏至のころに広大寺池から分水を受けて流してもらいます。
苗床ができあがると水口に春日大社でたばってきた松苗とお花を供えます。
佐保川から東側は横田町辺りまで広大な春日大社の領地でした。
これらの地域では水口に春日大社の松苗を多く拝見することができます。
春日さんとの関係は年末に祭礼される若宮のおん祭りにもあります。
下三橋町では稗田町と隔年でおん祭りの郡山藩時代行列に参加されています。
Oさんも甲冑装束になってお渡りをしたそうで、その時の感触を懐かしそうに話されました。
ところで、ノガミさんを参ったもう一人の方は、田んぼを見下ろして野の上にあるから「野上」さんと言った。
ノガミの字には野神や農神を充てられていますが初めて耳にする「野上」さんに興味を引かれます。
(H21. 6. 5 Kiss Digtal N撮影)
かって二毛作だった田んぼにはハダカムギやコムギを耕作されていました。
戦後にイチゴを栽培するようになってムギは作らなんようになったといいます。
ハダカムギは五月、六月にコムギを刈り取っていた時期は「ムギ秋」と呼んでいたと仰る二人。
ナスの出荷が忙しいのだと、お参りを済ませると足早に立ち去っていきました。
下三橋の田んぼは五月初めに苗代を作ります。
田植えを終えたあとの田んぼの水は、6月の夏至のころに広大寺池から分水を受けて流してもらいます。
苗床ができあがると水口に春日大社でたばってきた松苗とお花を供えます。
佐保川から東側は横田町辺りまで広大な春日大社の領地でした。
これらの地域では水口に春日大社の松苗を多く拝見することができます。
春日さんとの関係は年末に祭礼される若宮のおん祭りにもあります。
下三橋町では稗田町と隔年でおん祭りの郡山藩時代行列に参加されています。
Oさんも甲冑装束になってお渡りをしたそうで、その時の感触を懐かしそうに話されました。
ところで、ノガミさんを参ったもう一人の方は、田んぼを見下ろして野の上にあるから「野上」さんと言った。
ノガミの字には野神や農神を充てられていますが初めて耳にする「野上」さんに興味を引かれます。
(H21. 6. 5 Kiss Digtal N撮影)