マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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白土町白坂神社の祭り

2010年11月13日 09時28分51秒 | 大和郡山市へ
早朝から集まってきた白土町白坂神社の当家六人衆。

年長から一老、二老と呼ばれている。

集落の北、西、中、東、城垣内から選ばれた年番六人衆(2月3日までの一年間)のお勤めは朝早い。

事前に用意された野菜類。芽付きレンコン、ゴボウ、エダマメ、サトイモなどの野菜にコンニャクが加わる。

これを造りものの形に調える。

レンコンを土台にゴボウ2本とエダマメ数本を立てる。

下部は2個のサトイモを置く。

レンコンにはコンニャクを串で挿している。

これらを括ってできあがった生御膳。

特に名称はなくオソナエの一種であろう。

一時間ほどで7体ができあがった。

生御膳は人身御供だとも言う。

もうひとつはモッソと呼ばれる盛り飯だ。

今年はモチゴメを1割混ぜたそうだ。

昨年まではメシを大釜で炊いていた。

モッソの型に押し込んで作るのだが型崩れし易いことからモチゴメをいれた蒸しメシにされた。

手間を省いてお店で五合ずつに分けて作ってもらった。

それはともかくこれをモッソの型枠に詰め込むのだ。

型枠はブリキ。寸胴に近い円錐型だ。

小さな穴の方からメシを押し込んでいく。

適量に分けてあるのでそれが無くなればモッソ型枠を引っこ抜く。

するりというわけにはいかない。

そろそろと持ち上げていくにも多少時間がかかる。

スポッと抜けたらそこにはモッソメシが現れた。

これに7月に採取したコモ(新庄町鉾立よりの天理の川)で周りを巻いていく。

何重にもなるコモ巻き。縛り止めが難しい。

最後のコモを巻いたら束ねた茎の部分に水引で括る。

やっと一つができた。

これを高杯に乗せる。

その後は順調に出来上がるモッソ作り。

生御膳もそうだが「匠の技じゃ」と言って一個作るたびに上手くなる。



これも一時間半ほどで7個ができあがった。

両御供は本殿に2対、境内内末社に3対。

ご神木にも1対。境内外の弁天さんにも1対。合計7対だ。

これは祭りを終えて六人衆と自治会長が氏子たちの参拝を終える夜8時ころに持ち替える数でもある。

モッソの形は隣町の石川八坂神社と同形だったが関係があるのかどうかは判らない。

なお、型抜きししたメシは一般的に「モッソウ飯」と呼ばれている。

漢字を充てれば「物相」。

世間では計量する型そのものが「物相」と呼ぶようだ。

そういう面から言えば梅型のご飯を作る型もモッソウとなる。

すべての御供ができあがる時間は丁度昼前。

自治会長を呼んで公民館で軽食をよばれる。

お酒も入って歓談の時間が過ぎていく。

そうこうするうちにお渡りをする時間が近づいてきた。

7人は一旦家に帰る。

六人衆は出発前にお風呂(シャワー)に浸かって身を清める。

かつては三室の龍田川で禊をして、小石を拾いそれを風呂に入れていたと話す一老。

小学校のことやからおよそ65年くらい前だったと思い出された。

当時は17日が祭礼だった。

学校終えてランドセルを降ろした。

農繁期だったので手伝いしていたと話す。

再び集まった六人衆と自治会長にトモたちはスーツ姿で現れた。

出発地は地区の中央の辻。おもむろに歩き出した。

お渡りは自治会長が先頭だ。

六文銭の首飾りを着けた一老、二老と続き御幣を持つトモが並ぶ。

トモは一、二老の男性家族で日の丸御幣を持つ。

次は三老、四老だ。そのトモは実付き稲と桶、酒樽を担ぐ役目だ。

そして五老、六老となり提灯を持つ。



沿道ではお渡りを一目見ようと待ち構えている。

鳥居を潜り本殿へまっしぐら。

御幣などは本殿前に置いた。

そして始まった神事。宮司がいなくとも粛々と行われる。

本殿に左側の末社をお参りすると裏側に回って右の末社前に整列し参拝。

再び本殿前で参拝して神事を終えた。

そこころ子供御輿は地区を巡っていった。

囃す子供の声が集落に聞こえてくる。

普段着に着替えてきた人たち。

神社で参拝者を待つのだ。

夕刻間近、拝殿に登って直会が始まった。

特別な料理はなくなってパック詰め料理の膳だ。



「宵宮は大勢参りに来よったな」と話すも本祭は人影が見られない。

そして暗がりの時間に近づいた。



燈籠にローソクを点していくのだ。

同時刻、地区の担当当番の人もローソクを点けていく。

この人たちは神社内でなく神社の外回りの火点け役であるのだ。

言葉を交わして出屋敷のほうまで歩いていった。

(H22.10.11 EOS40D撮影)