神前で一年先の控頭家を決める1日(ついたち)の頭家座が行われる宇陀市野依(のより)の白山神社。
5月のオンダ祭で勤める大頭(だいとう)と小頭(しょうとう)を決める籤引きだ。
引くというよりも籤を上げる神事である。
大頭はオジイとも呼ばれる田主役、オバア役が小頭だ。
これを野依では男の神さんと女の神さんだと呼んでいる。
籤は氏子の名前を記した紙片でそれは丸められている。
伊勢神宮から授かってきたお札のケンサキを使ってそれを引き上げる。
三方に被せた半紙の上に籤。
ケンサキの角をそっと静かに落としていく。
すると不思議なことに一つがくっついていく。
二つあがるときもあるようだ。
そのときはもう一度し直すという。
次年度の大頭と小頭は既に昨年の頭家座で決まっている。
今回、引かれるのはその一年先を勤める大頭と小頭。
そういう意味から控頭家と呼ばれている。
社務所に集まってきた氏子たち。
宇陀川を境に西と東の垣内に分かれている宮(みや)、学校(がっこう)、川井阪(かわいざか)、かもいけさん、向出(むかいで)、水車(すいしゃ)など7垣内の人たちだ。
氏子総代を入れて30数人が集まった。
もちろん現頭家も含まれる。
現頭家は本社や末社、社務所の本尊など七カ所に神饌を供えておく。
座敷にあがった人たちにはお茶の接待。
籤に入る入らんは自主的に申告される。
服忌で辞退する人も居れば、早く終わりたい人も居る。
それぞれの家庭の事情で抜ける人も居る。
さまざまな事情を考慮されて籤に入れる人を承認された。
会計報告などを済ませると本殿に登っていった。
大頭と小頭は西と東で毎年入れ替わる。
今年は東だと言って大頭を決める籤が引かれた。
名前を呼び出された人はそれを「よろしくお願いします」と承諾された。
次は西の小頭に移った。
ケンサキのヒゲが少ないのかなかなかあがってこない。
引き者は何度も繰り返す。
そのとき一つの籤があがってきた。
2年前の様相を語るオバア役の小頭。
「これこそ神意だ」と身体が震えたそうだ。
決まった小頭の名前を呼び出すが返答がない。
実は神社に参拝できない服忌中だったのだ。
やむなく携帯電話をかけて神占いの結果を伝えた。
それは受話器の向こうで承諾された。
文明利器がなかった時代は伝令が走ったという。
頭家座は直会に移った。
社務所では机が並べられ席が設けられた。
目の前の料理は2品。
一つはカツオのナマブシ。
魚屋から仕入れてきたカツオ。
4等分に分けられたカツオは蒸しカツオ。
それを手頃な大きさに切って皿に盛る。
そこへ擂ったショウガに醤油をかけて食べる。
もう1皿はできあがりの煮染め。
カマボコ、ゴボウ天に昆布巻きだ。
以前は頭家が料理をこしらえていた。
たいそうになったことから質素に簡略化された。
当時の献立はコーヤドーフ、シイタケ、コイモ、ダイコンの煮染め。
味噌仕立ての味だったそうだ。
輪切りにしたスダチを添えた。
ニヌキのタマゴもあったという。
ご飯の「オシヌキ」もあった。
3升炊いたご飯は一割ほどモチ米を加えて塩をパラパラ。
お弁当やというて朝から作っていた。
「オシヌキ」は細長い木の型枠だった。
ご飯を適量入れて上から蓋を押していく。
底から抜くと「オシヌキ」がでてくる。
中央には梅干しをひとつ乗せる。
それをカンナで削ったヒノキの皮で包んだ。
香りが強かったそうだ。
これらは頭家の家でこしらえていたと話す婦人方。
両頭家の婦人と隣りの家の人たちだ。
隣りだけでは人手が足らずに親戚も加わったそうだ。
平成8年に大改正された頭家座などがある野依の儀式。
手間がかかるのは頭家を勤めてはじめて判ると語った大頭役。
直会では現頭家が挨拶をする。
一年間の奉公のお礼を述べた。
が、酒杯に回る頭家は座が終わるまでは接待をしなくてはならない。
現頭家の挨拶に続いて新頭家もこれから一年間お勤めされると挨拶された。
10日先にはオトウ渡しの儀式が控えている。
(H22.10. 1 EOS40D撮影)
5月のオンダ祭で勤める大頭(だいとう)と小頭(しょうとう)を決める籤引きだ。
引くというよりも籤を上げる神事である。
大頭はオジイとも呼ばれる田主役、オバア役が小頭だ。
これを野依では男の神さんと女の神さんだと呼んでいる。
籤は氏子の名前を記した紙片でそれは丸められている。
伊勢神宮から授かってきたお札のケンサキを使ってそれを引き上げる。
三方に被せた半紙の上に籤。
ケンサキの角をそっと静かに落としていく。
すると不思議なことに一つがくっついていく。
二つあがるときもあるようだ。
そのときはもう一度し直すという。
次年度の大頭と小頭は既に昨年の頭家座で決まっている。
今回、引かれるのはその一年先を勤める大頭と小頭。
そういう意味から控頭家と呼ばれている。
社務所に集まってきた氏子たち。
宇陀川を境に西と東の垣内に分かれている宮(みや)、学校(がっこう)、川井阪(かわいざか)、かもいけさん、向出(むかいで)、水車(すいしゃ)など7垣内の人たちだ。
氏子総代を入れて30数人が集まった。
もちろん現頭家も含まれる。
現頭家は本社や末社、社務所の本尊など七カ所に神饌を供えておく。
座敷にあがった人たちにはお茶の接待。
籤に入る入らんは自主的に申告される。
服忌で辞退する人も居れば、早く終わりたい人も居る。
それぞれの家庭の事情で抜ける人も居る。
さまざまな事情を考慮されて籤に入れる人を承認された。
会計報告などを済ませると本殿に登っていった。
大頭と小頭は西と東で毎年入れ替わる。
今年は東だと言って大頭を決める籤が引かれた。
名前を呼び出された人はそれを「よろしくお願いします」と承諾された。
次は西の小頭に移った。
ケンサキのヒゲが少ないのかなかなかあがってこない。
引き者は何度も繰り返す。
そのとき一つの籤があがってきた。
2年前の様相を語るオバア役の小頭。
「これこそ神意だ」と身体が震えたそうだ。
決まった小頭の名前を呼び出すが返答がない。
実は神社に参拝できない服忌中だったのだ。
やむなく携帯電話をかけて神占いの結果を伝えた。
それは受話器の向こうで承諾された。
文明利器がなかった時代は伝令が走ったという。
頭家座は直会に移った。
社務所では机が並べられ席が設けられた。
目の前の料理は2品。
一つはカツオのナマブシ。
魚屋から仕入れてきたカツオ。
4等分に分けられたカツオは蒸しカツオ。
それを手頃な大きさに切って皿に盛る。
そこへ擂ったショウガに醤油をかけて食べる。
もう1皿はできあがりの煮染め。
カマボコ、ゴボウ天に昆布巻きだ。
以前は頭家が料理をこしらえていた。
たいそうになったことから質素に簡略化された。
当時の献立はコーヤドーフ、シイタケ、コイモ、ダイコンの煮染め。
味噌仕立ての味だったそうだ。
輪切りにしたスダチを添えた。
ニヌキのタマゴもあったという。
ご飯の「オシヌキ」もあった。
3升炊いたご飯は一割ほどモチ米を加えて塩をパラパラ。
お弁当やというて朝から作っていた。
「オシヌキ」は細長い木の型枠だった。
ご飯を適量入れて上から蓋を押していく。
底から抜くと「オシヌキ」がでてくる。
中央には梅干しをひとつ乗せる。
それをカンナで削ったヒノキの皮で包んだ。
香りが強かったそうだ。
これらは頭家の家でこしらえていたと話す婦人方。
両頭家の婦人と隣りの家の人たちだ。
隣りだけでは人手が足らずに親戚も加わったそうだ。
平成8年に大改正された頭家座などがある野依の儀式。
手間がかかるのは頭家を勤めてはじめて判ると語った大頭役。
直会では現頭家が挨拶をする。
一年間の奉公のお礼を述べた。
が、酒杯に回る頭家は座が終わるまでは接待をしなくてはならない。
現頭家の挨拶に続いて新頭家もこれから一年間お勤めされると挨拶された。
10日先にはオトウ渡しの儀式が控えている。
(H22.10. 1 EOS40D撮影)