高取町では体育の日辺りが運動会の催しとなっているため秋祭りの日程が大きく変化している。
佐田もご多分に漏れず元々8、9日だった祭りを繰り上げて第一土曜になった。
祭りはヨミヤ祭りとも言って夜に行われる。
漢字で充てれば宵になるのか夜であるのか判らないと話す住民たち。
3時間をかけて前夜に搗いたモチは佐田ふる里館に供えて提灯の出発を待つ実行委員会。
館の正面には天照皇大神の掛け軸を掲げる。
その前に供えた御供モチは2斗3升も搗いた。
御供桶(ごくおけ)の中に入れたモチ。
白い布のようなものをその上に被せた。
それはカサモチと呼ぶ。頂点には御幣を挿す。
それは三つある。
会食がほどなく半ばにさしかかったころ即興で歌が始まった。
佐田の伊勢音頭だ。
手拍子で歌う声が館外まで聞こえてくる。「(アーヨーホイナー)ここの やかたはーはーいなー (ヨイヨイ) めでたーいぃー やあーかぁーたあー (ヨーイセ コーラセ) つるが こがねのよー すを かーけーる (ホンマカヨー ドーコイセ ヨーイヤノ アレワイセー コレワイセー ソリャヨ-イトセー)」が流れた。
伊勢音頭は各地で歌われているが佐田は独特の節回しじゃろと言ってはばからない。
館の外には提灯が置かれている。
提灯立てがあるのだが、雨が降りそうだと軒先に置かれた提灯。
ご神灯が2基。
色彩された提灯が6基。
それはヤカタ(屋形)提灯とも呼ばれている高張提灯。
さらに笹竹に十二個の丸型提灯をぶら下げたものが2基ある。
それはススキ提灯の名がある。
葛城山麓で見られるススキ提灯とは趣が異なる形だが、十二振り提灯の変形とも考えられる。
この丸型提灯は10月末辺りに行われている下宮さんのお祭りでロープに数珠繋ぎして持っていったものだ。
同じ提灯も祭りによって使われ方が替わるのだ。
会場で30分も歌われた伊勢音頭。
その手拍子とともに会館を出た。
提灯にローソクを点してそれぞれの役目に就く。
先頭は委員長。次は御供桶を担ぐ3人の若者。
後続はヤカタ(屋形)提灯を掲げる6人。後ろはススキ提灯の2人だ。
北、中、南垣内から選ばれた人たちだ。
その後ろは村の人が続いて練り歩く。
一旦は集落の北の端まで練り歩く。
そこでUターンして中央に向かう。
そこからは南の端へ行く。
そこから戻って西側を歩く。
集落全域を錬り歩くのだ。
途中、2回ほど休憩したが、その間も伊勢音頭は途切れない。
昨年まではそうではなかった。
佐田には古座と新座の2座があった。
南のトーヤの家から出発して北へ行く。
そして氏神さんに行くコースだった。
ごちそう料理もトーヤが作っていた。
「ゴンザ」と呼ばれる雑煮。
サトイモ、ダイコンにコンニャクの煮染めだったそうだ。
それはタヌキ汁とも呼んでいた。
昔はカシワの肉だったという人も居る。
それがいつしかコンニャクに替わった。
肉をだましてコンニャクに化け、タヌキ汁になったんだろうと話す住民。
営んできた宮座を解体し、1座に統合して祭りを継続していきやすいように改正された初年度のヨミヤ祭り。
向かう先は束明神古墳に鎮座する春日神社だ。
圓常寺脇の参道階段を登り詰めた処が神社。
6個のヤカタ(屋形)提灯を鳥居に上げるとき、突然と掛声がかかった。
「ちくちくどん それっやってくれ」と大合唱が数回繰り返される。
「意味は判らんが、昔からやっているしきたりみたいなもんで、一種のセレモニーじゃ」と言う。
ススキ提灯は境内外れに置かれた。
会長の挨拶を終えたら祝いの手拍子が始まった。
「いおぅてくれ いおぅてしゃん しゃーんしゃん いおぅてしゃん おっしゃんしゃんの しゃーんしゃん」で境内は御供撒きに転じた。
村の人が連なってやってきてのはこれが目当てだったのだ。
手には袋。玉垣の後方から御供モチが撒かれると手入れようと手が伸びる。
真っ暗な境内での御供撒きは直接キャッチするのは難しいが、今宵のお祭りを楽しまれて家へ帰っていった。
明日は祭りの片付け。委員会の役目は会館で反省会をしてヨミヤ祭りを終えた。
(H22.10. 2 EOS40D撮影)
佐田もご多分に漏れず元々8、9日だった祭りを繰り上げて第一土曜になった。
祭りはヨミヤ祭りとも言って夜に行われる。
漢字で充てれば宵になるのか夜であるのか判らないと話す住民たち。
3時間をかけて前夜に搗いたモチは佐田ふる里館に供えて提灯の出発を待つ実行委員会。
館の正面には天照皇大神の掛け軸を掲げる。
その前に供えた御供モチは2斗3升も搗いた。
御供桶(ごくおけ)の中に入れたモチ。
白い布のようなものをその上に被せた。
それはカサモチと呼ぶ。頂点には御幣を挿す。
それは三つある。
会食がほどなく半ばにさしかかったころ即興で歌が始まった。
佐田の伊勢音頭だ。
手拍子で歌う声が館外まで聞こえてくる。「(アーヨーホイナー)ここの やかたはーはーいなー (ヨイヨイ) めでたーいぃー やあーかぁーたあー (ヨーイセ コーラセ) つるが こがねのよー すを かーけーる (ホンマカヨー ドーコイセ ヨーイヤノ アレワイセー コレワイセー ソリャヨ-イトセー)」が流れた。
伊勢音頭は各地で歌われているが佐田は独特の節回しじゃろと言ってはばからない。
館の外には提灯が置かれている。
提灯立てがあるのだが、雨が降りそうだと軒先に置かれた提灯。
ご神灯が2基。
色彩された提灯が6基。
それはヤカタ(屋形)提灯とも呼ばれている高張提灯。
さらに笹竹に十二個の丸型提灯をぶら下げたものが2基ある。
それはススキ提灯の名がある。
葛城山麓で見られるススキ提灯とは趣が異なる形だが、十二振り提灯の変形とも考えられる。
この丸型提灯は10月末辺りに行われている下宮さんのお祭りでロープに数珠繋ぎして持っていったものだ。
同じ提灯も祭りによって使われ方が替わるのだ。
会場で30分も歌われた伊勢音頭。
その手拍子とともに会館を出た。
提灯にローソクを点してそれぞれの役目に就く。
先頭は委員長。次は御供桶を担ぐ3人の若者。
後続はヤカタ(屋形)提灯を掲げる6人。後ろはススキ提灯の2人だ。
北、中、南垣内から選ばれた人たちだ。
その後ろは村の人が続いて練り歩く。
一旦は集落の北の端まで練り歩く。
そこでUターンして中央に向かう。
そこからは南の端へ行く。
そこから戻って西側を歩く。
集落全域を錬り歩くのだ。
途中、2回ほど休憩したが、その間も伊勢音頭は途切れない。
昨年まではそうではなかった。
佐田には古座と新座の2座があった。
南のトーヤの家から出発して北へ行く。
そして氏神さんに行くコースだった。
ごちそう料理もトーヤが作っていた。
「ゴンザ」と呼ばれる雑煮。
サトイモ、ダイコンにコンニャクの煮染めだったそうだ。
それはタヌキ汁とも呼んでいた。
昔はカシワの肉だったという人も居る。
それがいつしかコンニャクに替わった。
肉をだましてコンニャクに化け、タヌキ汁になったんだろうと話す住民。
営んできた宮座を解体し、1座に統合して祭りを継続していきやすいように改正された初年度のヨミヤ祭り。
向かう先は束明神古墳に鎮座する春日神社だ。
圓常寺脇の参道階段を登り詰めた処が神社。
6個のヤカタ(屋形)提灯を鳥居に上げるとき、突然と掛声がかかった。
「ちくちくどん それっやってくれ」と大合唱が数回繰り返される。
「意味は判らんが、昔からやっているしきたりみたいなもんで、一種のセレモニーじゃ」と言う。
ススキ提灯は境内外れに置かれた。
会長の挨拶を終えたら祝いの手拍子が始まった。
「いおぅてくれ いおぅてしゃん しゃーんしゃん いおぅてしゃん おっしゃんしゃんの しゃーんしゃん」で境内は御供撒きに転じた。
村の人が連なってやってきてのはこれが目当てだったのだ。
手には袋。玉垣の後方から御供モチが撒かれると手入れようと手が伸びる。
真っ暗な境内での御供撒きは直接キャッチするのは難しいが、今宵のお祭りを楽しまれて家へ帰っていった。
明日は祭りの片付け。委員会の役目は会館で反省会をしてヨミヤ祭りを終えた。
(H22.10. 2 EOS40D撮影)