マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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山添菅生十二社神社だんな祭り

2010年11月08日 07時43分51秒 | 山添村へ
下駄履き和服姿の男性たちが集まってきた。

村の氏神さんである山添村管生の十二社神社だ。

お参りを済ませたあとは境内に群がった。

長老は言った。和装になるのは年に2回。正月の初参会のときと秋の大祭のときだけで、今日は虫干しだと笑う。

服装は特に和服でなければならないことはない。

礼服やスーツ姿でも構わないという。

境内中央に氏子総代や長老、区長が並び、進行役が勤める神事が始まった。

興ヶ原の宮司が拝殿に上がって、修祓などの神事を進めていく。

その途中、進行役の指示で当家の若い衆が赤ん坊を抱えて本殿前に立った。

これから始まるのは子供の相撲だ。

氏子の家で生まれた男の赤ちゃん。

相撲を取り組むのは3組だが今回は2組だった。

紋服上着を着せて登場した。

相互に向かい合い、両手で掲げて高く上げる。

その所作で1本の取り組みを終えた。

もう一組の取り組みは上げる前に泣きだし拍手がわき起こった。

泣いたら負けだという相撲は氏子へのお披露目のように思える。

赤ちゃんが複数揃わなければできない相撲。

場合によったら1歳児以上でも参加するそうだ。

神事には供えものがある。



今年に収穫刈り取りされた稲穂の束。

まな板と思えるような台に乗せたセキハン(赤飯)が中央に。

モチ米でこしらえたコワメシだ。

傍らには鏡餅とは異なる形の白モチがある。

丸い平皿に盛られたのはまさしくシラモチ。

モチという名が付いているがモチ米ではない。

上新粉を水で練って作ったものだという。

これらは下げられてこれから始まる座の祭りに配られる。

座は4軒の当家があたる。

そのなかで最も長老にあたる人が大当家と呼ばれる。

神事の最中も忙しく動き回る当家衆。

実は当家の若い衆が和服姿で神事進行を勤め、父親は普段着で座敷の膳を並べていく手伝い役になっている。

80個余りの膳は並べるだけでも相当な時間がかかる。



すでにカキ、チクワ、カマボコ、コンニャク、サトイモを竹串に挿した串肴が並べられた。

串肴は近隣の春日神波多で見られるものとよく似ている。

席に座ったのは上座が長老たちで、周りをかためた男性たち。

家長の人たちだ。そういうことからだろうか、だんな(旦那を充てるのか)祭りとも称している。

かつては嘉永九年の年代があった幕。

式典が始まる直前に数年前に新調された幕を張った当家。

まずは当家の挨拶から始まった。

下座に座り「本日は当氏神さまのお祭りで御同様におめでとうございます。例年の通り祭りの儀式を行いますから銚子が廻りましたらよろしくお上がりください」と口上を述べる。

式典は1.当家挨拶、2.御神酒、3.澗酒、4.謡い酒盛りの儀、5.当家閉式、6.区長挨拶、7.残酒、8.当家渡しである。

若い衆が酒を酌して廻る。

赤ん坊を抱いた母親も列席する。これもお披露目であろうか。

台所では当家の女性たちが忙しくなる。

お下がりをパックに詰めていくのだ。

数は多い。

欠席の人にも配られるパックは「セキハン、シロモチ、タイ、サバズシ、コンブ、ノリ、モチ、カキ」だ。

「高砂」の謡も唄われるがカセットテープの音声になっている。

酒盛りは延々と続いていた。

そうして「これで祭りの行事もとどこおりなく終わりました。後は残でございますからごゆっくりお上がりください」の口上を述べて一旦式典を締めたがその後も残酒で酒宴はさらに続く。

最後に行われるのが当家渡しだが、これを始めるのは長老が決めること。

あるときの当家渡しは夕方になったこともあるそうだ。

当家渡しは次の役目にあたる受け当家に引き継ぐ儀式だ。

四人の当家は長老の席の前に座る。

後方の列は受け当家の四人。

さらに列が並んでいる。

これらの人は「スケ」と呼ばれる人たち。

当家が飲み干すことができなかった飲み酒を助ける役目だ。

儀式は初めに「一年間ご苦労さんだった」と挨拶。

それから毒味と称して長老が先に酒を飲む。

そして当家の杯に並々と酒が注がれる。

杯は汁椀。かつてはメシ椀だった。

その方が多めだったと話す。



当家はそれを持ったままで謡いが始まった。

謡曲は「養老」。

カセットの唄が聞こえなくなったことから謡い手が名乗り出た。

謡いが終わるまで静止状態。

柳生などで行われている「ザザンダー」の儀式になるが「ザザンダー」とは発声しない。

一気に飲み干す当家衆。

が、僅かに残った酒は杯とともに後方に移動する。

それぞれの列の「スケ」が支援する。

当然ながら酒はさらに注がれていったのだ。

最後方まで飲んでは注いで、飲んでは注いでと回る。

この様相は東山間の室生小倉で祭典される当家渡しと同じ作法のように思えた。

最端までいって酒杯が戻ってくる。



そうすると当家は杯を頭に被るような格好をする。

空っぽになった証の作法だという。

次は受け当家が並ぶ。

「これからの一年間よろしく」と挨拶をする。

そして謡は「明石」に替わった。

異様に「スケ」がはしゃぎ回る当家渡しの儀式。

酒がたっぷり身体に浸みていた。

にぎやかな儀式は当家と同じ作法で杯を頭に被って終えた。

(H22.10.10 EOS40D撮影)