山添村菅生の盆踊りに出番を待つ踊り子たち。
管生のおかげ踊り保存会の人たちで16人が集まった。
この夜は十二社神社参籠所で踊りの練習をされる。
盆踊りに練習をされるのはいずこもそうなのだろうか。
プロの踊り子ならばそれは当然なのであろうが村の踊り子たちもそうであった。
今夜の会場は公民館ともなっている参籠所だ。
公民館主催の村の納涼盆踊り行事であることから出番や曲の流れはこうしようと相談しながら練習曲を選定された。
始めに踊ったのはカラオケテープが演奏するバックソングで踊る山添音頭、江州音頭、炭坑節、河内音頭だ。
テープ演奏するのは役員たち。
演奏するとはいってもそのテープをセットしてスタートするだけなのだが頭出しが難しくて・・・と笑う。
踊り子たちは演奏曲に合わせて舞い踊る。
「止めてー」と踊り子から一声が。
あまりにも長い曲だった江州音頭。
「年寄りもおるさかいに息がきれてしまうわ。朝まで踊ってなあかんで」と役員たちに返す。
そうこうして1幕の練習を終えて一息つく。
冷たいお茶をいただいて汗もあがる。
山添は盆地部よりも2、3度も低い。
じっとりと汗ばむこともなくひんやりとした風が参籠所を通り抜けていく。
そしてメーンエベントのおかげ踊りや伊勢参りと住吉踊りが踊られた。
今年の11月20日には芸能大会で披露されることもあり熱気が入った練習だ。
この夜は太鼓打ちが参加できなかったが謡い手の囃子に合わせて舞い踊る。
昨年の演目は山添踊りと大和踊りで、伝統的な踊りはおかげ踊りと伊勢参りだった。
今年の踊りはわずかだが昨年よりも増えた。
14日の盆踊りは盛況になることだろう。
さて、おかげ踊りのことだ。
それは伊勢講が代参を終えて戻ってきたときにそれを祝って踊っていた。
「ヤマ」を作って代参を見送った。
戻ってきたときにはもてなして酒を酌み交わす。
仮装の衣装を着てオドリコミをしていた。
「それはすごかった」と話す区長。
4年に一度のことだったが何年も前から伊勢参りのバスツアーになっている。
来年はその年にあたっているが「若い人は何せんなんと言うし、たいへんなことなのでどうなるか現時点では復活の見込みは・・・難しい」という。
伊勢講は7組ある。
それぞれの組がチャーターしたバスに乗り込んで伊勢へ向かい参拝する。
昔は宿で泊ったが今は日帰りツアー。
講の人数が減った組は乗り合わせて出かけていく。
そのうちの1組は毎年の3月と12月に寄り合っているそうだ。謡い手のTさんの話では講ごとに当番の家に集まった。
だんどりをして「ヤマ」を作った。
お参りしてきた伊勢のお札を授かってきた代参を迎えるのは晩やった。
お風呂に浸かってさっぱりしてもらう。
身も心も清めることだそうだ。
その訳は歌に残っている。
代参が向う先はお伊勢さん。
江戸時代には五大遊郭があった古市。
伊勢のおかげ参りを終えて帰路につく前に訪れた色街。
いわゆる「精進落とし」のことで、そこに呼びこむ様子が歌になっている「住吉踊り」は、「吉田通れ(ば)」とも・・・。
江戸時代に流行った風流歌の富士吉田。
色街だった、江戸から数えて34番目の東海道五十三次の吉田宿(よしだじゅく)繁華街。
現在は豊橋となっているが吉田城の城下町として栄えた町だった。
二階から声をかける当時の様相が歌に残されているが伊勢古市ではない。
「吉田なー 通れば 二階イー からアー まねく ア、ヨイソレ しかも 鹿の子のヤンレ振りイー 袖で アーコリャコリヤートコセーノーヨーイヤナ アレワイサッサ コレワイサッサ ササナンデモセー」の1番に続いて、
2番 めでためでたは 三つ重さなりて 鶴は ご門で 巣をかける
3番 鶴が ご門で 巣をかけるなら 亀はお庭で 舞いをまう
伊勢代参が江戸まで足を伸ばしたのであろうか・・・それは判らないが、代参の人の目的はここにあったのだ。
翌日は慰労の「アシヤスミ」。
かつては徒歩で行ききしたお伊勢参り。
足を休めて慰労したのであろう酒盛りの宴。
「アーヨイサー お伊勢参りて ヨイヨイ アー飲んだかよ オオお酒を アーヨイセコラ 天のナーア 岩戸のソオレーエ 菊屋酒 ソリャヤートコセイ ヨーイヤナー アレワイセイ ア、コレワイセイ ソリャヨーイトセー」と1番。
2番 伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕さまえは 月参り
3番 お前百まで わしや九十九まで 共に白髪の生えるまで と、「伊勢参り」の歌詞にはその飲みっぷりが表現されている。
(H23. 8. 6 EOS40D撮影)
管生のおかげ踊り保存会の人たちで16人が集まった。
この夜は十二社神社参籠所で踊りの練習をされる。
盆踊りに練習をされるのはいずこもそうなのだろうか。
プロの踊り子ならばそれは当然なのであろうが村の踊り子たちもそうであった。
今夜の会場は公民館ともなっている参籠所だ。
公民館主催の村の納涼盆踊り行事であることから出番や曲の流れはこうしようと相談しながら練習曲を選定された。
始めに踊ったのはカラオケテープが演奏するバックソングで踊る山添音頭、江州音頭、炭坑節、河内音頭だ。
テープ演奏するのは役員たち。
演奏するとはいってもそのテープをセットしてスタートするだけなのだが頭出しが難しくて・・・と笑う。
踊り子たちは演奏曲に合わせて舞い踊る。
「止めてー」と踊り子から一声が。
あまりにも長い曲だった江州音頭。
「年寄りもおるさかいに息がきれてしまうわ。朝まで踊ってなあかんで」と役員たちに返す。
そうこうして1幕の練習を終えて一息つく。
冷たいお茶をいただいて汗もあがる。
山添は盆地部よりも2、3度も低い。
じっとりと汗ばむこともなくひんやりとした風が参籠所を通り抜けていく。
そしてメーンエベントのおかげ踊りや伊勢参りと住吉踊りが踊られた。
今年の11月20日には芸能大会で披露されることもあり熱気が入った練習だ。
この夜は太鼓打ちが参加できなかったが謡い手の囃子に合わせて舞い踊る。
昨年の演目は山添踊りと大和踊りで、伝統的な踊りはおかげ踊りと伊勢参りだった。
今年の踊りはわずかだが昨年よりも増えた。
14日の盆踊りは盛況になることだろう。
さて、おかげ踊りのことだ。
それは伊勢講が代参を終えて戻ってきたときにそれを祝って踊っていた。
「ヤマ」を作って代参を見送った。
戻ってきたときにはもてなして酒を酌み交わす。
仮装の衣装を着てオドリコミをしていた。
「それはすごかった」と話す区長。
4年に一度のことだったが何年も前から伊勢参りのバスツアーになっている。
来年はその年にあたっているが「若い人は何せんなんと言うし、たいへんなことなのでどうなるか現時点では復活の見込みは・・・難しい」という。
伊勢講は7組ある。
それぞれの組がチャーターしたバスに乗り込んで伊勢へ向かい参拝する。
昔は宿で泊ったが今は日帰りツアー。
講の人数が減った組は乗り合わせて出かけていく。
そのうちの1組は毎年の3月と12月に寄り合っているそうだ。謡い手のTさんの話では講ごとに当番の家に集まった。
だんどりをして「ヤマ」を作った。
お参りしてきた伊勢のお札を授かってきた代参を迎えるのは晩やった。
お風呂に浸かってさっぱりしてもらう。
身も心も清めることだそうだ。
その訳は歌に残っている。
代参が向う先はお伊勢さん。
江戸時代には五大遊郭があった古市。
伊勢のおかげ参りを終えて帰路につく前に訪れた色街。
いわゆる「精進落とし」のことで、そこに呼びこむ様子が歌になっている「住吉踊り」は、「吉田通れ(ば)」とも・・・。
江戸時代に流行った風流歌の富士吉田。
色街だった、江戸から数えて34番目の東海道五十三次の吉田宿(よしだじゅく)繁華街。
現在は豊橋となっているが吉田城の城下町として栄えた町だった。
二階から声をかける当時の様相が歌に残されているが伊勢古市ではない。
「吉田なー 通れば 二階イー からアー まねく ア、ヨイソレ しかも 鹿の子のヤンレ振りイー 袖で アーコリャコリヤートコセーノーヨーイヤナ アレワイサッサ コレワイサッサ ササナンデモセー」の1番に続いて、
2番 めでためでたは 三つ重さなりて 鶴は ご門で 巣をかける
3番 鶴が ご門で 巣をかけるなら 亀はお庭で 舞いをまう
伊勢代参が江戸まで足を伸ばしたのであろうか・・・それは判らないが、代参の人の目的はここにあったのだ。
翌日は慰労の「アシヤスミ」。
かつては徒歩で行ききしたお伊勢参り。
足を休めて慰労したのであろう酒盛りの宴。
「アーヨイサー お伊勢参りて ヨイヨイ アー飲んだかよ オオお酒を アーヨイセコラ 天のナーア 岩戸のソオレーエ 菊屋酒 ソリャヤートコセイ ヨーイヤナー アレワイセイ ア、コレワイセイ ソリャヨーイトセー」と1番。
2番 伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕さまえは 月参り
3番 お前百まで わしや九十九まで 共に白髪の生えるまで と、「伊勢参り」の歌詞にはその飲みっぷりが表現されている。
(H23. 8. 6 EOS40D撮影)