マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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三輪高宮地蔵盆の御供配り

2011年09月27日 06時42分33秒 | 桜井市へ
この日の午前中に地蔵盆を終えた三輪高宮。

観音講の婦人たちが三巻の般若心経、そして西国三十三番のご詠歌を唱えられた。

それは毎月17日の営みとおなじであるが地蔵盆のときには延命地蔵の前に座って般若心経を三巻唱えていたそうだ。

その後はひっそりとしている時間帯だが、5人の自治会役員は忙しい。

その日の夕刻までに地蔵盆で供えられた御供を村人に配らなければならないのだ。

かつては60軒もあったが徐々に減りだし今は50軒余り。

梵鐘の音が聞こえてくれば会所にやってくる。

それまでの時間までの準備といえば御供を1軒ずつ袋に入れておくことだ。

お菓子など御供はさまざま手際よく分けて袋詰めしていく。

会所に納められた本尊十一面観音立像や延命地蔵に供えられたナシ、ミカン、ピーマン、サツマイモなどの果物、野菜の生御膳は分配を手伝った人たちにお礼として配られる。

かつては地蔵さんに願掛けのお参りを個々にされお供えをしていた。

拝むと病気が治ったとか風邪をひかなくなったとかで御利益があったが、お供えは年々派手になってきたことから自治会で運営することにしたと区長は話す。

そして案内していた時刻になれば吊った梵鐘を打ち鳴らす。



カーン、カーーンと高い音で鳴る青銅製の梵鐘は「和州式上郡高宮村観音堂什物 寛政七年八月吉日」の刻印がある。

寛政七年といえば西暦1796年。

およそ200年以上も前の寺の什物であった。

大切な梵鐘は盗られないように鎖を取り付けている。

その音色は三輪駅の方まで聞こえる。

昭和18年のころ、高宮から見下ろせば藁屋根ばかりだったという。

参道は松並木。

鉄道を跨ぐ太鼓橋もその参道の一部で三輪の大神神社に参る人が多かったと区長は語る。

その付近に住むYさんは東映映画の撮影隊がその松並木で映画を撮っていたことを覚えていた。

当時の様相の面影はまったくみられないが梵鐘の音が聞こえてきたからYさんもお下がりをもらいに来た。

一人、一人と増えて行列ができて名前を告げ貰って帰る。



来られなかった家へは役員が持っていかれる。

こうして地蔵盆の行事を終えると再び梵鐘が鳴らされた。

(H23. 8.23 EOS40D撮影)