マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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池田の念仏鉦

2011年09月18日 08時10分51秒 | 奈良市へ
かつて春、秋の二度の彼岸のときや葬式の際に唱えていた池田町の六斎念仏。

彼岸の日、念仏を唱えたあとは公民館で会食をしていた。

アブラアゲ、ゼンマイ、ドロイモ、コンニャクが入ったイロゴハンを食べていた。

葬式のときには鉦を3回鳴らした。

早朝に辻で鳴らす1番鉦、出棺を知らせる2番鉦、出棺の際に門で「バンドー」を唱える鉦だった。

それは埋葬後の墓地でもされていた。

葬式の翌日や35日の夜にも唱えていた。

いたという過去形であるのはかつてのことだ。

昭和24年辺りから下火になって60年にはほとんどがなくなった。

アラタナ(新棚)を参る8月10日の十日念仏もあったがそれもなくなった。

当時は家の門口に設えたアラタナで、その周りに蓆を敷いて座って念仏をしていた。

そのときにはソラマメの塩炊きをだした。

今でも毎月営みをしている尼講の女性たちはその日を外して新盆の家を巡り御詠歌を唱えていたと記録されている。

葬式のときの念仏が続いていたがいつしかされなくなったが、広大寺池畔で燃やされるタイマツの日だけは今でも続いている。

池田町の念仏は講と呼ばれる特別な組織体ではなく、したい人があれば鉦叩きを譲るというふうらしい。

この年に集まった男性は20人。

そのうち13人が鉦叩きをしていた。

念仏を唱えているのは割れた音で奏でる録音カセットテープ。

昭和46年に収録されたテープは今でも現役で活躍している。

鉦念仏をされる人たちは腰にシキビ小枝を差している。



かつてはタイマツを燃やすときに「カンカラカン」と打ち鳴らして集まってきた。

出た煙を合図に太鼓を打って踊った。

念仏の人たちはそれに合わせて鉦を打って全員が唱和した「勇み踊り」をしていたそうだが、今はなくタイマツが倒れたら鉦念仏の人たちは墓地へ向かう。

めいめいが墓参りをしてシキビを供える。

六地蔵にもそれを供える。



そして始まった鉦念仏。

ほとんど聞き取れなくなった念仏テープに合わせて鉦を打つ。

夕日は生駒の山にさしかかり墓地は闇の時に入っていく。



念仏鉦を叩いた人たちは揃って公民館に戻っていった。

オショウライサンを迎えたのは13日。

線香をくゆらして仏壇に遷された。

15日には先祖さんを天に送って行くのだが、この念仏鉦が叩かれた墓地は先祖さんがいない。

であるのに墓参りや念仏がされる。

これはどういうことなのか判らないと鉦を叩いていたIさんは不可思議だと首を傾げた。

(H23. 8.14 EOS40D撮影)