マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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八島の新盆の六斎念仏

2011年09月12日 06時45分47秒 | 奈良市へ
7日に盆入りの六斎念仏が営まれた奈良市八島町。

その夜は公民館であったそうだ。

それから一週間後の13日はオショウライサンを迎える日だ。

その夜はそれまでに亡くなられた新仏の家を巡って念仏を唱える鉦講の人たち。

この年は奇しくも講中の会長と前会長家も含まれていた3軒。

一軒、一軒ずつ座敷にあがって念仏を唱える。

長年に亘って講中を教え導いてきた重鎮の弔いは「これで安心して任せられる」と言ってくれただろうかと後任を背負ったI氏たちはそう話す。

直径20cmぐらいの鉦を撞木(しゅもく)で叩いて「ナムアミダーブツ」と抑揚をつけた節で唱える六斎念仏。

「南無阿弥陀仏」の六字名号の調べだ。

ご遺影を前に左右縦に座った講員は20人ほど。

始めに唱えたのは太鼓念仏。

中央に据えた胴長のカンコと呼ばれる小太鼓と大太鼓がバチで打たれる。

軽快なリズムで叩く太鼓念仏は独特の調子である。



新仏(新盆)には「念仏行者」、「地獄地獄」、「西院の河原」の太鼓鉦念仏があるが順当であったことから「念仏行者」の1曲であった。

「念仏行者をたのむれば 播磨の国の書写の寺 紫硯に唐の墨 筆は何筆おさま筆鹿の蒔絵のその筆であそばすお経はかげんの経 ひちくはちかん八の巻 これぞ行者の三ぶの経 助け給えや地獄菩薩 たのめよたのめ念仏を はあなんまいだ はあなんまいだ」と供養の詞章が唱えられた。

そしてもう一つ、鉦念仏が唱えられた。

おそらく「ハクマイ」であろう。

すべての新仏に念仏を唱えた講員たちは汗をぬぐった。

ご存命だったころの前会長が話してくれたことは今でも覚えている。

ご了解をいただき新仏の前で手を合わせてご冥福を祈り合掌。

(H23. 8.13 EOS40D撮影)