マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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津越のサシサバのイタダキサン

2011年09月15日 06時43分58秒 | 山添村へ
津越の大橋にある商店。

サシサバを売っているお店だ。

ご主人が朝から塩干もののサバを2尾。

頭から差しこんで作ったサシサバは当家でも供えてお祭りをされる。

新盆であれば縁側にヒノキ(スギの場合もある)の葉で覆ったヤカタを立てる。

そこにはオガラのハシゴを掛けると話す。

ご先祖さんへのお供えはソーメンやごはん。

キュウリやサツマイモ、オクラ。

キュウリやニンジンのおひたし料理を並べるという。

オモチは夕方にコモチを1個。

これを「オミヤゲ」と呼ぶそうで帰ってこられた先祖さんに持って帰ってもらうと話す。

さて、当家のサシサバはどうするのかと言えば、2尾を皿に盛って神棚に供える。

一般的には仏壇であるそうだが当家は神道。

仏と神の違いはあるが先祖さんには違いない。

その前に正座した男性は当家の息子さん。

サシサバが盛られた皿を持って頭の上に差し出した。

「いただきます」と心に念じて2回する。



この作法は東山中の一部で見られる正月の「イタダキサン」と同じである。

正月のイタダキサンは当主がされるがサシサバのイタダキサンは子供である。

この作法をされるのは両親が健在である家に限って行われる個人の風習である。

大きくはなったが子供の息子さん。

次男も嫁いだ長女も同様にこの作法をされる。

両親が健在といえば孫たちもそれに該当するから同じようにされる。

春にヤッコメの行事で地区を巡ってお菓子をもらっていた子供たちだ。

ご無理を言ってこの作法を拝見させていただいた。

ありがたく感謝するサシサバであった。

このように家族が揃っていなければできないサシサバのイタダキサン。

幸せな家族の団らんは商店を営んでいるだけに揃って食事をすることが難しいという。

そのサシサバは焼いてから水に浸けて塩抜きをする。

それを二杯酢に浸して食するそうだ。

サシサバはいただきの作法を済ませばいつ食べても構わないようでトビウオを使ったこともあると話す。

このようなサシサバの風習は隣村の桐山や松尾、室生の毛原、奈良市和田町(14日の昼に蓮の葉に包んで両親が健在な家で食べる。主に孫だった)、田原本町の平田(両親がいる家では15日の昼に子供の膳にサシサバを据えた)もあったそうだが布目ダム北に位置する奈良市の邑地町、柳生町では見られないようだ。

ちなみに「やまぞえ双書」にこれを庭で食べる風習が紹介されている。

14日、15日の夕食は庭に蓆を敷いて家族がそこへ集まる。

その食卓に並べられたなかにトビウオ(本来はサシサバだと)があったそうだ。

両親が揃っている家は2尾で片親なら1尾。

星空の下で焼いて食べたそうで、それを庭食(にわじき)といったそうだ。

後日に同村の遅瀬でご婦人たちに聞き取りした結果、それはサシサバでなくトビウオだった

両親が揃っている家では14日の夜に食べたという。

一枚目はカンカラカンに干した開きのトビウオ。

それに重ねるように上から置いたのが焼いたトビウオだった。

庭に蓆を敷いて子供たちが座った。

そこでドロイモの葉に載せた2尾のトビウオを頭の上にかざした。

食べる前に両親から「いただけよ」と言われてそうした。

片親であれば13日に食べたという婦人もいる。

そうした作法によく似ているのが正月元旦を迎えた夜。

除夜の鐘がなったあとだった。

家族全員に膳が並べられる。

もうひとつは回り膳と呼ぶ膳だ。

それを当主から順に回していく。

その際の作法がトビウオのイタダキとよく似ているというのだ。

それは「ちょうじゃどん」と呼ぶ膳だったとUさんは話す。

(H23. 8.14 EOS40D撮影)