山添村桐山・和田の観音寺で毎月18日にお勤めをしている桐山の観音講。
6人の婦人たちに男性が一人。
講中の世話人をしているという。
毎月のお勤めだが5月は休む。
「5月だけはお茶の収穫で一番忙しい時期だけに拝んでられへんのや、9月は宮さんのコモリもあるし、彼岸の念仏も。なにかと忙しいからその月も休んでいる」と話す。
お勤めをする前にはいつもの通り寺回りを奇麗に清掃される。
雑草がすぐに生えてくるから何度やっても疲れると汗をぬぐう。
先月には草を刈りこんだ。
白い花を咲かせたテッポウユリだけはそのままにしていたから美しく咲いている。
「ササユリやったら香りがあるけど、テッポユリは香らん。コスモスもあったんやけどなあ・・・」と話す境内にはバナナの木のような植物がある。
青い実の房がたわわに実っているその植物は大木のように広がっている。
「房はできてるけど、食べられる実にならんのや・・・」。
どうやら冬には枯れてしまうらしい。

そのような話からこれはバナナに似ているバショウ(芭蕉)であろう。
奇麗になったところでひと休み。
タオルで汗を拭って、飲み物で喉を潤す。
吹き抜ける風がほてった身体を冷ましてくれる。
こうして清掃を終えた講中はお堂に登ってお勤めを始めた。

導師は男性。
本尊に向かってお参りをする。
回りを囲む婦人たち。
バチで叩いてキンをお念仏。
「三信条」、「仏前勤行次第」、「般若心経」、「十三仏真言」、「光明真言」から「回向」で終えた。
毎月のお勤めで「参らへんかったら気持ち悪い。
観音さんのおかげでありがたい」と話す。

婦人たちが話すには桐山にはサシサバの風習があるという。
それは両親が揃っている家の風習で、吉野膳に載せたサシサバをおがみ膳をするという。
その年の歳徳神(さいとくしん)、つまりアキの方向に向かって膳を頭の上にあげていただく格好をする。
親から「いただけ」というて、教えられた通りにそれをしていた。
「親がいない家はいただけへんが正月にはモチやミカンなどの正月膳も同じようにする家もある」という。
婦人たちの話によれば「嫁入りしたときにはそれをしなくなっていた」という人もいるが、サケやトビウオであった人もいる。
トビウオは実家に送った。
正月はブリで中元や歳暮にも持っていったトビウオは半分をさばいて持って帰った。
それを「オタメ」と呼んでいた。
それは祝いのお返しだと話す婦人たち。
若いときにはタマネギやジャガイモを入れたリュックを担いで笠置まで歩いたそうだ。
朝の3時に出発するから手には提灯。
春日山へも行ったと回想される。
それは今でいうハイキングだったのだろう。
その頃の修学旅行は煙が車内に入り込む汽車だったそうだ。
行先は東京、「私のときはそれがなくて海洋訓練やった。尋常小学高等科時代だった。」と60年以上も経ったころの話題が広がっていく。
また、盆のときに聞いた桐山のK氏の話によれば盆にはアラジョオライ(新精霊)を祭るらしい。
らしいというのはそれを供えているのは婦人。
今年は入院しているし嫁はどうするか判らんというがドロイモとカキの葉は準備されていた8月13日。
トーシに載せたカキの葉の上にはソーメンを三本。
そこにボタモチを供える。
ミソハギの花も添える。
それは五つで門を入った石の上に供えるそうだ。
花は他にもあって根が長いヒユ。
それはホウレンソウに似た青物だという。
どうやらヒユは野の草。
根はホウレンソウに近い。
青物の葉っぱはおひたしや和えものにして料理される。
炒め物にもあうが苦味がない春のころが美味いらしい。
また黄色い花をつけるカルカもあるという。
カルカとは聞きなれない花の名だ。
どんな花なのだろうか。
それはともかく、おなごし(女性)がそれを用意している間は墓へ向かうおとごし(男性)。
奇麗には墓を掃除していた。
先祖さんは家に戻っているので墓はもぬけの殻。
石塔に登っても構わんし、そこで酒を飲んでいたと話す。
夕方には門先でワラ火を燃やして先祖を迎えたという。
しかも、サシサバの儀式もあったようだ。
昔はトビウオのときもあった。
干もののサバは開きで2枚。
それを重ね合わせるように頭を挿しこむ。
「いただいとけよー」というて、頭の上にサシサバをあげた。
食べるのはその日でなかったようだ。
(H23. 8.18 EOS40D撮影)
6人の婦人たちに男性が一人。
講中の世話人をしているという。
毎月のお勤めだが5月は休む。
「5月だけはお茶の収穫で一番忙しい時期だけに拝んでられへんのや、9月は宮さんのコモリもあるし、彼岸の念仏も。なにかと忙しいからその月も休んでいる」と話す。
お勤めをする前にはいつもの通り寺回りを奇麗に清掃される。
雑草がすぐに生えてくるから何度やっても疲れると汗をぬぐう。
先月には草を刈りこんだ。
白い花を咲かせたテッポウユリだけはそのままにしていたから美しく咲いている。
「ササユリやったら香りがあるけど、テッポユリは香らん。コスモスもあったんやけどなあ・・・」と話す境内にはバナナの木のような植物がある。
青い実の房がたわわに実っているその植物は大木のように広がっている。
「房はできてるけど、食べられる実にならんのや・・・」。
どうやら冬には枯れてしまうらしい。

そのような話からこれはバナナに似ているバショウ(芭蕉)であろう。
奇麗になったところでひと休み。
タオルで汗を拭って、飲み物で喉を潤す。
吹き抜ける風がほてった身体を冷ましてくれる。
こうして清掃を終えた講中はお堂に登ってお勤めを始めた。

導師は男性。
本尊に向かってお参りをする。
回りを囲む婦人たち。
バチで叩いてキンをお念仏。
「三信条」、「仏前勤行次第」、「般若心経」、「十三仏真言」、「光明真言」から「回向」で終えた。
毎月のお勤めで「参らへんかったら気持ち悪い。
観音さんのおかげでありがたい」と話す。

婦人たちが話すには桐山にはサシサバの風習があるという。
それは両親が揃っている家の風習で、吉野膳に載せたサシサバをおがみ膳をするという。
その年の歳徳神(さいとくしん)、つまりアキの方向に向かって膳を頭の上にあげていただく格好をする。
親から「いただけ」というて、教えられた通りにそれをしていた。
「親がいない家はいただけへんが正月にはモチやミカンなどの正月膳も同じようにする家もある」という。
婦人たちの話によれば「嫁入りしたときにはそれをしなくなっていた」という人もいるが、サケやトビウオであった人もいる。
トビウオは実家に送った。
正月はブリで中元や歳暮にも持っていったトビウオは半分をさばいて持って帰った。
それを「オタメ」と呼んでいた。
それは祝いのお返しだと話す婦人たち。
若いときにはタマネギやジャガイモを入れたリュックを担いで笠置まで歩いたそうだ。
朝の3時に出発するから手には提灯。
春日山へも行ったと回想される。
それは今でいうハイキングだったのだろう。
その頃の修学旅行は煙が車内に入り込む汽車だったそうだ。
行先は東京、「私のときはそれがなくて海洋訓練やった。尋常小学高等科時代だった。」と60年以上も経ったころの話題が広がっていく。
また、盆のときに聞いた桐山のK氏の話によれば盆にはアラジョオライ(新精霊)を祭るらしい。
らしいというのはそれを供えているのは婦人。
今年は入院しているし嫁はどうするか判らんというがドロイモとカキの葉は準備されていた8月13日。
トーシに載せたカキの葉の上にはソーメンを三本。
そこにボタモチを供える。
ミソハギの花も添える。
それは五つで門を入った石の上に供えるそうだ。
花は他にもあって根が長いヒユ。
それはホウレンソウに似た青物だという。
どうやらヒユは野の草。
根はホウレンソウに近い。
青物の葉っぱはおひたしや和えものにして料理される。
炒め物にもあうが苦味がない春のころが美味いらしい。
また黄色い花をつけるカルカもあるという。
カルカとは聞きなれない花の名だ。
どんな花なのだろうか。
それはともかく、おなごし(女性)がそれを用意している間は墓へ向かうおとごし(男性)。
奇麗には墓を掃除していた。
先祖さんは家に戻っているので墓はもぬけの殻。
石塔に登っても構わんし、そこで酒を飲んでいたと話す。
夕方には門先でワラ火を燃やして先祖を迎えたという。
しかも、サシサバの儀式もあったようだ。
昔はトビウオのときもあった。
干もののサバは開きで2枚。
それを重ね合わせるように頭を挿しこむ。
「いただいとけよー」というて、頭の上にサシサバをあげた。
食べるのはその日でなかったようだ。
(H23. 8.18 EOS40D撮影)