山添村大塩には八柱神社と観音寺の年中行事がある。
それには含まれない「ゲー」と呼ばれている行事がある。
先月に大般若経転読が営まれた観音寺に集まってきたのは夏講と呼ばれている10軒の人たち。
「ゲー」の営みは「いったい何のことなのか判らない」と話す講中。
同寺の本尊は観音仏。
その傍らに納められているのが弘法大師坐像と掛け図。
この日はその弘法大師に向かってお参りをするので観音仏の扉は閉められた。
夏講はゲー講とも呼ばれている。
元々は8月10日だったが、現在は集まりやすいその日に近い日曜日にされている。
講中が来るまでに回り当番の人はお菓子などをテーブルに並べておく。
そして始まったゲーの営み。
それはキンを叩いて十三仏のお念仏を唱えるのであった。
一人の男性が弘法大師の前に座り「オン アボギヤ ベイロシヤノウ・・」と光明真言を9回唱えられた。
講中の人たちも手を合わせて唱える。
その後は「南無大聖不動明王、釈迦牟尼仏、文殊大菩薩、普賢大菩薩、地蔵大菩薩、弥勒大菩薩、薬師瑠璃光如来、観世音菩薩、勢至大菩薩、阿弥陀如来、阿閦如来、大日如来、虚蔵大菩薩、大師遍照金剛、遍照・・・南無阿弥陀仏・・・」と十三仏を2回唱和された。
大塩のゲーはこのように弘法大師坐像に向かって十三仏を唱えられるのだが、講中の話によれば「昔のこと・・・ある家の人曰く、子供がいないから継ぐことがでけん。持っている田で収穫した稲を売って、それで費用を賄ってほしい。そしてお参りをしてほしい」と願われた。
その願いを4軒の家筋に後継を頼まれた。
この日に集まったのはその本家と分家で10軒だった。
何時から始まったのかその年代を示す記録は一切残っていないが、こうしてそれからも続けてきた夏講のゲー。
「ゲー」と呼ぶ行事は都祁上深川(淡交社刊「奈良大和路の年中行事」で紹介した)にもあるが形式はまったく違う。
そこでは7月初めに行われているが、夏至(げし)、半夏生(はんげしょう)とあるように「夏」は「げ」とも読む。
確信はもてないが「ゲー」と呼ぶのは「夏」そのもの営みではないだろうか。
十日盆、或いはひと月遅れの半夏生にあたるのか、判然としないが「ゲー」の事例採録は今後も探っていかねばならない。
(H23. 8. 7 EOS40D撮影)
それには含まれない「ゲー」と呼ばれている行事がある。
先月に大般若経転読が営まれた観音寺に集まってきたのは夏講と呼ばれている10軒の人たち。
「ゲー」の営みは「いったい何のことなのか判らない」と話す講中。
同寺の本尊は観音仏。
その傍らに納められているのが弘法大師坐像と掛け図。
この日はその弘法大師に向かってお参りをするので観音仏の扉は閉められた。
夏講はゲー講とも呼ばれている。
元々は8月10日だったが、現在は集まりやすいその日に近い日曜日にされている。
講中が来るまでに回り当番の人はお菓子などをテーブルに並べておく。
そして始まったゲーの営み。
それはキンを叩いて十三仏のお念仏を唱えるのであった。
一人の男性が弘法大師の前に座り「オン アボギヤ ベイロシヤノウ・・」と光明真言を9回唱えられた。
講中の人たちも手を合わせて唱える。
その後は「南無大聖不動明王、釈迦牟尼仏、文殊大菩薩、普賢大菩薩、地蔵大菩薩、弥勒大菩薩、薬師瑠璃光如来、観世音菩薩、勢至大菩薩、阿弥陀如来、阿閦如来、大日如来、虚蔵大菩薩、大師遍照金剛、遍照・・・南無阿弥陀仏・・・」と十三仏を2回唱和された。
大塩のゲーはこのように弘法大師坐像に向かって十三仏を唱えられるのだが、講中の話によれば「昔のこと・・・ある家の人曰く、子供がいないから継ぐことがでけん。持っている田で収穫した稲を売って、それで費用を賄ってほしい。そしてお参りをしてほしい」と願われた。
その願いを4軒の家筋に後継を頼まれた。
この日に集まったのはその本家と分家で10軒だった。
何時から始まったのかその年代を示す記録は一切残っていないが、こうしてそれからも続けてきた夏講のゲー。
「ゲー」と呼ぶ行事は都祁上深川(淡交社刊「奈良大和路の年中行事」で紹介した)にもあるが形式はまったく違う。
そこでは7月初めに行われているが、夏至(げし)、半夏生(はんげしょう)とあるように「夏」は「げ」とも読む。
確信はもてないが「ゲー」と呼ぶのは「夏」そのもの営みではないだろうか。
十日盆、或いはひと月遅れの半夏生にあたるのか、判然としないが「ゲー」の事例採録は今後も探っていかねばならない。
(H23. 8. 7 EOS40D撮影)