「その昔のことだ」と前置きされて話された南田原町のお寺。
南福寺と呼ばれているお寺は、それは広い堂宇であったそうだ。
「宝永元年(1704)7月17日」の棟札が残されている南福寺。
鰐口も古く延宝六年(1678)のものだという。
明治時代まではその南福寺に住職が居た。
その住職の命日にあたる8月18日には「ボザイノサケ」の行事が行われる。
「ボザイノサケ」を充てる漢字は「菩提の酒」であろうというからに、菩提が訛って「ボザイ」になったのであろう。
行事が行われるのはお寺ではなく公民館だ。
南田原は30軒余り。
その中から「にんにょ(年用)」と呼ばれる年当番の人がせわしく動く。
世話人は3軒。
10年に一度は家回りであたる村行事の当番だ。
9月のイセキは大勢が来られるので準備がたいへんだがこの日は平日とあって集まる人も多くない。
公民館の座敷にテーブルを並べて座布団が敷かれた。
用意しておくものと言えばローソクに線香。
それに平鉦とT字型の撞木(しゅもく)だけだ。
鉦には「室町住出羽大掾宗味作」の刻印があるが年代記銘は見られない。
どこかで見たような刻印名と思って思い出してみれば大和郡山市白土町の子供のチャチャンコで叩かれていた鉦と同じものだった。
それはともかく自治会長の挨拶で始まった菩提命日の供養はその場で選ばれた導師が祭壇前に座って鉦を叩いた。
にわか導師は十三仏のお念仏を唱えていく。
「南無大聖不動明王、釈迦牟尼仏、文殊大菩薩、普賢大菩薩、地蔵大菩薩、弥勒大菩薩、薬師瑠璃光如来、観世音菩薩、勢至大菩薩、阿弥陀如来、阿閦如来、大日如来、虚蔵大菩薩・・・南無阿弥陀仏」のお念仏は繰り返すこと3回。
およそ3分間で弔いの念仏を終えた。
(H23. 8.18 EOS40D撮影)
南福寺と呼ばれているお寺は、それは広い堂宇であったそうだ。
「宝永元年(1704)7月17日」の棟札が残されている南福寺。
鰐口も古く延宝六年(1678)のものだという。
明治時代まではその南福寺に住職が居た。
その住職の命日にあたる8月18日には「ボザイノサケ」の行事が行われる。
「ボザイノサケ」を充てる漢字は「菩提の酒」であろうというからに、菩提が訛って「ボザイ」になったのであろう。
行事が行われるのはお寺ではなく公民館だ。
南田原は30軒余り。
その中から「にんにょ(年用)」と呼ばれる年当番の人がせわしく動く。
世話人は3軒。
10年に一度は家回りであたる村行事の当番だ。
9月のイセキは大勢が来られるので準備がたいへんだがこの日は平日とあって集まる人も多くない。
公民館の座敷にテーブルを並べて座布団が敷かれた。
用意しておくものと言えばローソクに線香。
それに平鉦とT字型の撞木(しゅもく)だけだ。
鉦には「室町住出羽大掾宗味作」の刻印があるが年代記銘は見られない。
どこかで見たような刻印名と思って思い出してみれば大和郡山市白土町の子供のチャチャンコで叩かれていた鉦と同じものだった。
それはともかく自治会長の挨拶で始まった菩提命日の供養はその場で選ばれた導師が祭壇前に座って鉦を叩いた。
にわか導師は十三仏のお念仏を唱えていく。
「南無大聖不動明王、釈迦牟尼仏、文殊大菩薩、普賢大菩薩、地蔵大菩薩、弥勒大菩薩、薬師瑠璃光如来、観世音菩薩、勢至大菩薩、阿弥陀如来、阿閦如来、大日如来、虚蔵大菩薩・・・南無阿弥陀仏」のお念仏は繰り返すこと3回。
およそ3分間で弔いの念仏を終えた。
(H23. 8.18 EOS40D撮影)