13日の朝に家の餓鬼棚をこしらえた菅生のN家。
石の周りには四方を囲った竹。
それは頂点で結ばれている。
それはまるで屋根のように感じる覆い屋の形態だ。
棚には昔使っていた竹カゴを伏せて置き、その上に餓鬼に食べてもらうようにとお盆に盛ったナスビとキュウリ。
例年ならそのままであるのだが、この年は試しに足を付けてみたという。
お盆にはカキの葉が2枚。
それぞれに茹でて丸めたソーメンとそのままのソーメンがある。
話によれば長いままのソーメンはオーコで丸めたのは紐だという。
餓鬼が供えた食べ物を持って帰るのに担ぐオーコとそれを縛る紐だという。
箸はといえばカキの枝だそうだ。
両脇に花立てを立ててミソハギやオミナエシを飾っていたという。
13日の夕方はオチツキダンゴ、14日の朝はお粥やお漬物、昼はごはんにヒユのおひたし、夜はソーメンと決まっていると婦人はいう。
「菅生でこんなことをやっているのはもう一軒しかない」と話す当主。
先代が亡くなってからもそれを引き継いで30年にもなるそうだ。
珍しい形態のガキダナは他所でもあるのだろうか聞き取りの範囲を広げなくてはならない。
やまぞえ双書によれば大西のそれの写真が掲載されている。
竹籠を伏せてタロ箕をする松尾の事例がある。
ちなみに婦人の実家は都祁南之庄。
菅生ではトビウオだったがサシサバがあったという。
桜井から来ていた行商がそれを売っていたそうだ。
ヒダラもあったという。
トビウオは伊勢で仕入れて名張経由で来ていたらしい。
2尾のサシサバ、トビウオ、ヒダラ、いすれにしても両親が揃っている家ではそれを食べていたという。
(H23. 8.15 EOS40D撮影)
石の周りには四方を囲った竹。
それは頂点で結ばれている。
それはまるで屋根のように感じる覆い屋の形態だ。
棚には昔使っていた竹カゴを伏せて置き、その上に餓鬼に食べてもらうようにとお盆に盛ったナスビとキュウリ。
例年ならそのままであるのだが、この年は試しに足を付けてみたという。
お盆にはカキの葉が2枚。
それぞれに茹でて丸めたソーメンとそのままのソーメンがある。
話によれば長いままのソーメンはオーコで丸めたのは紐だという。
餓鬼が供えた食べ物を持って帰るのに担ぐオーコとそれを縛る紐だという。
箸はといえばカキの枝だそうだ。
両脇に花立てを立ててミソハギやオミナエシを飾っていたという。
13日の夕方はオチツキダンゴ、14日の朝はお粥やお漬物、昼はごはんにヒユのおひたし、夜はソーメンと決まっていると婦人はいう。
「菅生でこんなことをやっているのはもう一軒しかない」と話す当主。
先代が亡くなってからもそれを引き継いで30年にもなるそうだ。
珍しい形態のガキダナは他所でもあるのだろうか聞き取りの範囲を広げなくてはならない。
やまぞえ双書によれば大西のそれの写真が掲載されている。
竹籠を伏せてタロ箕をする松尾の事例がある。
ちなみに婦人の実家は都祁南之庄。
菅生ではトビウオだったがサシサバがあったという。
桜井から来ていた行商がそれを売っていたそうだ。
ヒダラもあったという。
トビウオは伊勢で仕入れて名張経由で来ていたらしい。
2尾のサシサバ、トビウオ、ヒダラ、いすれにしても両親が揃っている家ではそれを食べていたという。
(H23. 8.15 EOS40D撮影)