マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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番条町北のお大師さま参り

2016年02月12日 09時27分39秒 | 大和郡山市へ
荒蒔の取材を終え一旦帰宅。

再び番条町にでかけた。

午前中は南垣内。

午後は北垣内である。

北には大師堂がある。

朝から1時間交替で北の大師講が巡礼に来られる方々の接待をしていた。

近くに茅葺大和棟の建物があるお家に寄った。

訪ねてみれば分家で村を出た弟さんがおられた。

小・中学校の同級生である小林町新福寺の住職を案内されていた。

「オコナイ」行事をされている新福寺は真言宗豊山派。

番条町のお大師さんのことは存じていなかった住職。

それならば、と案内人からお声がかかってこの日初めての来村。

各戸それぞれが門屋にお大師さんを出開帳をされていることを知った。

住職は云う。

僧侶も法要もない村の在り方に驚いたという。

よろしければ大師堂で般若心経をさせてもらいたいと申し出た。

初めてのことだという大師講の承諾を受けて心経を唱えられた。

午後3時で北の大師堂は幕締め。

造り酒屋の会長と2年ぶりのご対面。

しばらくは身体状況や解散された宮座の件を話してくれた。

佐保川は昭和9年に改修工事があった。

このときに導水路を付け替えた。

川堤にある南の藪大師は祠もなく藪に佇んでいた。

当時は藪の木が茂っていた。

大正末期に菩提山川が決壊して水ツキになった。

昭和6年、7年にも決壊した佐保川。

番条村は再度、水ツキになった。

このときに持ちあがったのが導水路の付け替えだった。

明治時代の末のころだ。

南は堀本家で北の鈴村家や分家の中谷家は庄屋だった。

その庄屋家が建てたのが藪大師。

村の大師講で守っていた。

その頃か、その後であるのかどうか不明であるが、北に大師講、南も大師講の二つの講組に分かれた。

分かれた北の大師講が営む場は北の大師堂であるが、南の大師講は藪大師に集まることなく廻り当番の講中の家の営みだ。

かつて熊野神社境内に光明院があった。



廃仏毀釈の波をもろに被った光明院は廃寺になったが、その後において立ち上がった有志が大正年間に今の北の大師堂を建てたと話す。

(H27. 4.21 EOS40D撮影)