十津川の谷瀬(たにぜ)は、内原(ないはら)、滝川、風屋(かぜや)からの帰り道に立ち寄った。
吊り橋があまりにも有名だが、奥まで入ったことはない。
民宿津川のねーちゃんが話していた十五夜に谷瀬がやっている可能性があると聞いて立ち寄った。
谷瀬に架かる吊り橋を越えて集落に向かう。
尤も越えたのは吊り橋を歩いたわけでもなく、トンネルを抜けた直後の廻り道。
そこには吊り橋でなく、石橋があった。
車はそこそこ走る橋の幅はそれほど広くない。
向こう岸に車があればどちらかが優先しなくてはならない橋渡りである。
そこより登って行けば吊り橋の対岸に出る。
谷瀬の集落はそこよりもう少し。
距離はそれほど遠くない処に大きな構造物が目に入った。
内原や滝川で拝見したハダ同様の多段型ハサ架けであるが、屋上が物干しにしている一階部分に、であった。
この場であれば雨が降っても大丈夫、だと思った。
谷瀬に多段型のハザ架けがあるとわかってさらに奥を目指す。
バタバタと音がするキャタピラタイプの運搬機に刈った稲藁を乗せて運ぶ男性がいた。
お声をかけて運ぶ様相を撮らせてもらう。
奥まった所がご自宅だ。
これまで運んだ稲藁は田んぼに積んでいた。
奥の田んぼは一本竿に稲架け。
もうすぐ雨が降りそうだからといった男性は、運搬車を操作してさらなる奥に進んでいく。
見事な多段型のハザ架けがここにもあった。
男性が云うにはこれを「ハデ場」と呼んでいた。
前項に挙げた滝川や内原では「ハダ」と呼ぶ。
同じ滝川でも下地垣内は「ハデ」と呼ぶ。
地域によってさまざまな呼び名があることがわかった。
男性は「ハデ場」に稲束を架けていく。
見ればわかるが、4段目まで。
下の段から上の段へ架けていく。
一段を積んだらもう一段上に架けていく。
見ての通り、これ以上の段には架けることはない。
少なくとも上にはまだ4段もあるが、何もしない。
理由は二つ。
梯子を架けて登るのも可能だが、万が一の事故に安全性をとった。
もしも梯子から落ちればたいへんなことになる。
危険性は避けるということだ。
もう一つの理由は作業が一人でしかないからだ。
一人で上の段まで架けるには無理がある。
一人作業では手が届く範囲までしか架けることができない。
残った稲架けは一本竿にする。
これなら一人でも架けることができる。
作業を支援する者がいなければそうするしかない多段型のハダ架けの残りは四方形に組んだ一本竿。
横並び一直線に設えた稲架けは大風吹けば倒れる。
そうなったら起こすのがたいへん。
それもあるが泥田に塗れて一からやり直し。
そう零していたのはカメラのキタムラ奈良南店の店員さん。
かつて住んでいた淡路島はそれが一般的だった。
そういえば平成29年1月7日に訪れた大阪能勢町住民も同じように云っていた。
横一列の一本竿は横風に弱い。
しかもや。
一本倒れたら将棋倒しや・・と・。
それはともかく「ハデ」場に稲架けをする順序がある。
内原でも聞いたように下から上へと順番に架けるのである。
こうして架けて干した稲は何時下ろすのか、である。
お仕事の関係もあるかもしれないが、翌月の10月末まで干していると云った男性が作付け・栽培している品種は三重県購入のアキニシキ苗。
これもまた早稲品種であった。
(H28. 9.11 EOS40D撮影)
吊り橋があまりにも有名だが、奥まで入ったことはない。
民宿津川のねーちゃんが話していた十五夜に谷瀬がやっている可能性があると聞いて立ち寄った。
谷瀬に架かる吊り橋を越えて集落に向かう。
尤も越えたのは吊り橋を歩いたわけでもなく、トンネルを抜けた直後の廻り道。
そこには吊り橋でなく、石橋があった。
車はそこそこ走る橋の幅はそれほど広くない。
向こう岸に車があればどちらかが優先しなくてはならない橋渡りである。
そこより登って行けば吊り橋の対岸に出る。
谷瀬の集落はそこよりもう少し。
距離はそれほど遠くない処に大きな構造物が目に入った。
内原や滝川で拝見したハダ同様の多段型ハサ架けであるが、屋上が物干しにしている一階部分に、であった。
この場であれば雨が降っても大丈夫、だと思った。
谷瀬に多段型のハザ架けがあるとわかってさらに奥を目指す。
バタバタと音がするキャタピラタイプの運搬機に刈った稲藁を乗せて運ぶ男性がいた。
お声をかけて運ぶ様相を撮らせてもらう。
奥まった所がご自宅だ。
これまで運んだ稲藁は田んぼに積んでいた。
奥の田んぼは一本竿に稲架け。
もうすぐ雨が降りそうだからといった男性は、運搬車を操作してさらなる奥に進んでいく。
見事な多段型のハザ架けがここにもあった。
男性が云うにはこれを「ハデ場」と呼んでいた。
前項に挙げた滝川や内原では「ハダ」と呼ぶ。
同じ滝川でも下地垣内は「ハデ」と呼ぶ。
地域によってさまざまな呼び名があることがわかった。
男性は「ハデ場」に稲束を架けていく。
見ればわかるが、4段目まで。
下の段から上の段へ架けていく。
一段を積んだらもう一段上に架けていく。
見ての通り、これ以上の段には架けることはない。
少なくとも上にはまだ4段もあるが、何もしない。
理由は二つ。
梯子を架けて登るのも可能だが、万が一の事故に安全性をとった。
もしも梯子から落ちればたいへんなことになる。
危険性は避けるということだ。
もう一つの理由は作業が一人でしかないからだ。
一人で上の段まで架けるには無理がある。
一人作業では手が届く範囲までしか架けることができない。
残った稲架けは一本竿にする。
これなら一人でも架けることができる。
作業を支援する者がいなければそうするしかない多段型のハダ架けの残りは四方形に組んだ一本竿。
横並び一直線に設えた稲架けは大風吹けば倒れる。
そうなったら起こすのがたいへん。
それもあるが泥田に塗れて一からやり直し。
そう零していたのはカメラのキタムラ奈良南店の店員さん。
かつて住んでいた淡路島はそれが一般的だった。
そういえば平成29年1月7日に訪れた大阪能勢町住民も同じように云っていた。
横一列の一本竿は横風に弱い。
しかもや。
一本倒れたら将棋倒しや・・と・。
それはともかく「ハデ」場に稲架けをする順序がある。
内原でも聞いたように下から上へと順番に架けるのである。
こうして架けて干した稲は何時下ろすのか、である。
お仕事の関係もあるかもしれないが、翌月の10月末まで干していると云った男性が作付け・栽培している品種は三重県購入のアキニシキ苗。
これもまた早稲品種であった。
(H28. 9.11 EOS40D撮影)