山添村の吉田から再び旧都祁村の小倉に着く。
そこからどこへ行く。
そうするかもなにも決めていない。
これといった行事はあるにはあるが、飛びつくほどの興味をみせなかった。
刻々と過ぎていく時間は旅行く村々の景観を眺めながら帰路につく。
小倉から室生の下笠間に出る。
そこからは川沿いに遡っていく。
小原から染田、多田、無山を経て旧都祁村の吐山、白石に出るコースを選んだ。
心地いい風が金色に染めた稲穂を揺らす。
通りがかった稲田は稲刈りを始めていた。
早稲であれば早い所で8月末の地域もあるが、だいたいが9月初旬から中旬までだ。
バインダーが忙しく動き回っていた。
この時期はまだまだ暑さが残る。
ほっかむりを被って稲刈りをしている男性はひょっとして・・・と思って車を停めてみる。
しばらく見ていた稲刈り作業。
この田んぼの持ち主は知っている。
平成22年5月8日に取材した田の作業がある。
育苗した苗を植えていく作業である。
親父さんは水田を均して息子さんは田植え機を操作して植えていく。
その場より家近くの田んぼでは昔にしていた手植えの田植えを・・。
その田植え初めに12本のカヤを水田に挿してフキダワラを供える。
そこには正月初めに祈祷したオコナイのネコヤナギを立てる。
これを「ウエゾメ」と呼ぶ。
「ウエゾメ」を充てる漢字は「植え初め」である。
親父さんは野鍛冶師。
11月8日に鍛冶屋さんの祭りであるフイゴの祭りを取材させてもらったことがある。
平成18年に続いて平成23年も伺ったことがある。
その野鍛冶屋さんとは旧都祁村の藺生町と小山戸町の造営事業でお会いしたことがある。
藺生町葛神社の造営は平成27年の10月11日。
その一週間後の10月18日は小山戸都祁山口神社も出合った。
婚姻関係にある両村で出合うとは思ってもみなかった。
ところは代わってまたもやお会いしたことがある。
その年の12月13日だった。
まさかと思ったがそこは私が入院していた病院だった。
鍛冶屋さんも入院であったが退院直前のであった。
奇遇といえば奇遇な出会いであった。
その後の私は週一ペースで通院している身。
不完全な状態ではあるが、元気な姿になったことを伝えたい。
そう思って稲刈りしていた稔りの田に向かって歩いていた。
そのうちに気づかれた野鍛冶屋さん。
奥さんや息子さんにちょっと家に戻ると告げて招かれる。
作業場の前にはいつもと同じように順番待ちの農具が並んでいる。
注文は農繁期にくる。
こんな道具は見たことがないだろうと紹介してくれた鉄製の棒。
先端は直角に付いている鉄棒がある。
曲げたものではなく溶接でくっつけたものだろう。
これは何に使う農具なのかといえばタケノコ掘りとくる。
特殊な注文だったそうだ。
テレビなどで紹介されるタケノコ掘りの道具とはちょっと構造が違うが、いずれもテコを利用して掘る道具には違いない。
その横に立ててあった農具がある。
なんとなく構造は違うが同じタケノコ掘りのように思えた道具に注文主の名前が書いてある。
まあ、なんと、である。
存じている奈良市窪之庄在住の男性である。
平成24年6月5日に田植え作業を撮らせてもらった男性だった。
出会いというものはほんまに奇遇である。
ちなみにタケノコ掘りの道具は唐鍬と呼ぶ地域もあるようだ。
最近はこういう手のものも注文を受ける場合もあると動き出した。
腰を屈めて何をするのかと思えば雑草取りである。
室生の地にある広大なやすらぎの花園がある。
そこから受けた大量の注文。
一本あるからと云ってくれた。
後日というか後月の後月。
雑草が我が家の庭にもはびこる時期がくる。
だいたいが4月半ば辺りから目につくようになる。
5月辺りともなれば目を覆いたくなる。
放置すればするほど雑草刈りは難儀するから早めに北側の庭の雑草刈りにこの日貰った道具を使う。
丸い刃の先から根の部分に入れて土ごと掘り返すように刈る。
特に根っこの部分を当てて刈れば効果的。
ざっくり上がってくる雑草は手で掴んでゴミ袋行き。
とにかく使い易い野鍛冶師の道具だったことをここで報告しておこう。
尤も汗を拭きながら説明をしてくれる野鍛冶屋さんは元気である。
フイゴの祭りはこの場ですると説明してくださる。
この日、ともに行動していた写真家のKさんは是非とも取材させて欲しいと願われた。
今冬になるが、楽しみが一つ増えた。
(H28. 9.17 EOS40D撮影)
そこからどこへ行く。
そうするかもなにも決めていない。
これといった行事はあるにはあるが、飛びつくほどの興味をみせなかった。
刻々と過ぎていく時間は旅行く村々の景観を眺めながら帰路につく。
小倉から室生の下笠間に出る。
そこからは川沿いに遡っていく。
小原から染田、多田、無山を経て旧都祁村の吐山、白石に出るコースを選んだ。
心地いい風が金色に染めた稲穂を揺らす。
通りがかった稲田は稲刈りを始めていた。
早稲であれば早い所で8月末の地域もあるが、だいたいが9月初旬から中旬までだ。
バインダーが忙しく動き回っていた。
この時期はまだまだ暑さが残る。
ほっかむりを被って稲刈りをしている男性はひょっとして・・・と思って車を停めてみる。
しばらく見ていた稲刈り作業。
この田んぼの持ち主は知っている。
平成22年5月8日に取材した田の作業がある。
育苗した苗を植えていく作業である。
親父さんは水田を均して息子さんは田植え機を操作して植えていく。
その場より家近くの田んぼでは昔にしていた手植えの田植えを・・。
その田植え初めに12本のカヤを水田に挿してフキダワラを供える。
そこには正月初めに祈祷したオコナイのネコヤナギを立てる。
これを「ウエゾメ」と呼ぶ。
「ウエゾメ」を充てる漢字は「植え初め」である。
親父さんは野鍛冶師。
11月8日に鍛冶屋さんの祭りであるフイゴの祭りを取材させてもらったことがある。
平成18年に続いて平成23年も伺ったことがある。
その野鍛冶屋さんとは旧都祁村の藺生町と小山戸町の造営事業でお会いしたことがある。
藺生町葛神社の造営は平成27年の10月11日。
その一週間後の10月18日は小山戸都祁山口神社も出合った。
婚姻関係にある両村で出合うとは思ってもみなかった。
ところは代わってまたもやお会いしたことがある。
その年の12月13日だった。
まさかと思ったがそこは私が入院していた病院だった。
鍛冶屋さんも入院であったが退院直前のであった。
奇遇といえば奇遇な出会いであった。
その後の私は週一ペースで通院している身。
不完全な状態ではあるが、元気な姿になったことを伝えたい。
そう思って稲刈りしていた稔りの田に向かって歩いていた。
そのうちに気づかれた野鍛冶屋さん。
奥さんや息子さんにちょっと家に戻ると告げて招かれる。
作業場の前にはいつもと同じように順番待ちの農具が並んでいる。
注文は農繁期にくる。
こんな道具は見たことがないだろうと紹介してくれた鉄製の棒。
先端は直角に付いている鉄棒がある。
曲げたものではなく溶接でくっつけたものだろう。
これは何に使う農具なのかといえばタケノコ掘りとくる。
特殊な注文だったそうだ。
テレビなどで紹介されるタケノコ掘りの道具とはちょっと構造が違うが、いずれもテコを利用して掘る道具には違いない。
その横に立ててあった農具がある。
なんとなく構造は違うが同じタケノコ掘りのように思えた道具に注文主の名前が書いてある。
まあ、なんと、である。
存じている奈良市窪之庄在住の男性である。
平成24年6月5日に田植え作業を撮らせてもらった男性だった。
出会いというものはほんまに奇遇である。
ちなみにタケノコ掘りの道具は唐鍬と呼ぶ地域もあるようだ。
最近はこういう手のものも注文を受ける場合もあると動き出した。
腰を屈めて何をするのかと思えば雑草取りである。
室生の地にある広大なやすらぎの花園がある。
そこから受けた大量の注文。
一本あるからと云ってくれた。
後日というか後月の後月。
雑草が我が家の庭にもはびこる時期がくる。
だいたいが4月半ば辺りから目につくようになる。
5月辺りともなれば目を覆いたくなる。
放置すればするほど雑草刈りは難儀するから早めに北側の庭の雑草刈りにこの日貰った道具を使う。
丸い刃の先から根の部分に入れて土ごと掘り返すように刈る。
特に根っこの部分を当てて刈れば効果的。
ざっくり上がってくる雑草は手で掴んでゴミ袋行き。
とにかく使い易い野鍛冶師の道具だったことをここで報告しておこう。
尤も汗を拭きながら説明をしてくれる野鍛冶屋さんは元気である。
フイゴの祭りはこの場ですると説明してくださる。
この日、ともに行動していた写真家のKさんは是非とも取材させて欲しいと願われた。
今冬になるが、楽しみが一つ増えた。
(H28. 9.17 EOS40D撮影)