マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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滝川の十五夜芋たばり

2017年05月13日 09時25分12秒 | 十津川村へ
旧暦十五夜に行われる「芋たばり」の風習がある。

一般的には中秋の名月と云われている「十五夜」である。

その日の夜は観月祭とかの名で行われている各地のイベントが盛ん。

だが、村々では「芋名月」や、と云って十五夜のお月さんを愛でる夜になる。

我が家もときおりふっと思い出したようにススキを立てて和菓子屋が作った月見ダンゴ(月見モチ)を供えたこともある。

村々ではダンゴでもなく、モチ、あるいは饅頭でもなく、「イモ」である。

これまで拝見してきた「イモ」は皮を剥いた丸っこいコイモである。

白い肌をみせるコイモはお月さんに見立てている。

十五夜のころはイモの収穫期。

豊作に感謝してお月さんに向けて供える。

供えた「イモ」は村の子どもが盗っていく風習があるが、廃れてしまったのか、県内事例は多くない。

地域限定の事例に生駒市の高山平群町がある。

高山は子供が多く、今でも継承されている伝統行事であるが、盗っていくのはお菓子である。

和歌山の山間地もしていると、FB知人のKさんが伝えていた。

地域限定であるがゆえ、しかも少子化によって中断となった地域もあり、どこでもしているわけでもない。

それが山間部の十津川村にあった。

少子化の現代において、今でもしていること事態に驚きである。

しかも、である。

毎年訪れる民宿津川(津川の在地は風屋)から滝川沿いの集落でしていたなんて、とても驚いたものだ。

この風習を今でもしていると知ったのは十津川村の内原(ないはら)である。

集落で「ハダ」と呼ばれる何段にも高く揚げる稲架けをしていた83歳の男性が教えてくれたことによるものだ。

30年前、もっと前かも知れないが、子どもたちが集落にいた時代は内原でも「芋たばり」をしていたという。

話してくれた男性は、「滝川は今でもしているで」と云った言葉に驚いたのである。

「たばり」は「たばる」こと。

漢字でいえば賜るということでありがたく貰う特有の訛り言葉である。

滝川は五つの垣内に別れていることも初めて知った。

わかりやすいように民宿津川から内原に行く道中沿いに云えば、民宿津川から一番近い集落が下地(しもぢ)垣内。

次は向地(むこおぢ)垣内になるのだが、下地垣内中央に橋が架かっている。

そこを渡ったところが閉校した旧小学校跡地の高原(たこはら)垣内になる。

橋の向こうにある人が通れるぐらいの広さの暗がりトンネル向こうが高原である。

滝川を遡上していけば鉄橋手前が向地(むこおぢ)垣内。

放棄された「ハダ」が残っている。

橋を渡ったところが裏地(うらぢ)垣内。

ここが滝川の中心地になると滝川の総代に教えてもらった。

さらに向地垣内の山を登ったところにも集落がある。

そこは上津野(うえつの)と呼ぶ垣内になる。

大字滝川の集落は45、6戸。

それほど多くの集落が建っていたことを始めて知るが、実際はその戸数すべてに住んでいるわけではない。

何軒かは住居を残して平坦に住んでいる家もあるらしい。

数日前に聞いていた総代の話し。

どこからか子どもが集まってきて山影から月が出たら「芋たばり」が始まると聞いていたが、実際は違った。

この日の月の出は午後5時過ぎであるが、山に隠れて実際に見えるのは少なくとも午後5時半ころと想定していた。

その時間に合わせて向かった滝川。

着いて総代に聞けば午後7時ころになると云う。

つまりは月の出の時間とは関係なく、都合の良い時間に家を出るらしい。

待っている時間は長い。



早めですが、うちのお供えをしておきましょうとしてくれたお月見のお供え。

近くで採取した穂付きのススキ。

旧暦の十五夜は毎年動く。

今年は9月15日だが、平成27年は同月の27日。

平成26年は同月の8日。

平成24年は同月の30日。

平成21年であれば10月の3日になる。

ほぼ一月間の間隔であるだけにススキの成長具合と一致しない。

早ければ穂は出ていない。

遅ければ穂は消えている。

当地では見られないが、平坦部のお月見はススキにハギの花を供えるところが多い。

そのハギも時期によったら蕾どころか芽もない。

咲いた花は散っていることもある。

まことに難しい名月のお供えである。

総代家は採れたてサツマイモに長細い形のサトイモを盛った。

サツマイモはムラサキサツマイモ。

入手したツルを植えて育てたという。

サツマイモは冬の食事に登場する。

収穫したイモを蔵で保存する。

ひと冬越したイモはタネイモにする。

食事にするのは干したイモ。

それを「ホシカイモ」と呼ぶ。

イモは湯がいて縦に切る。

藁で括って干していた。

逆にそのまま切って干すのは「シラボシ」。

炊いて食べると話していた。

子供らに貰って帰ってもらうお菓子を並べて待つが、実際にやってきたのは午後8時であった。

いつ、どこから子供が現われるのか、見つけたらついていって撮らせてもらおうと思っていたが真っ暗になっても誰一人現われない。

不安な予感がする・・・。

下地垣内から裏地垣内までの行程を行ったり、来たりで何度往復したことか・・・。

そのときに見つかったススキ立て。



お供えはまだのようだが撮らせてもらったススキ立ては一升瓶。

これこそ民俗だと思ってしまう被写体に感動した。

時間帯は午後6時半を過ぎていた。

対岸の川向うを見れば、ふと、人影が動いた。

慌ててその場に行けば子供さんと一緒にススキと彼岸花を採っていたお母さんがおられた。

それを持っていることは間違いなく十五夜さん。

子供さんがおられることであれば芋たばりに出かけられる。

そう思ってお声をかけたら「うちの子どもたちは書道に出かけるので少し早いですが、いいですか・・」という。

ありがたいお言葉に甘えて、喜んでついていかせてもらいますと云えば快諾してくださった。



お母さんは出がけに我が家のお供えをされる。

時間帯は午後6時45分だった。

サツマイモに串挿しダンゴ。

赤リンゴに青リンゴなどの果物にお菓子を盛って供えたところで出発する。



まずは隣家に出かけて「芋たばりに来ましたーー」と声をかける。

家人を呼び出してからたばっていく。

それがたばりの礼儀である。

そこから滝川支流に沿って下流に向かう。

家々をたばりに廻っていく。

ひと通り巡ってきて今度は上流にある家に向かう。



ある家はススキを立ててなかったが、塩茹でした皮剥きコイモに蒸しサツマイモがほくほく。

暗闇に照らしたライトでわかるだろうか。



ほくほくのおイモさんに思わず手が出る小っちゃな子どもたち。

兄ちゃんも姉ちゃんも嬉しそうに駆け巡る。

同行取材させてもらっている私も今夜の芋たばりのお相伴にあずかる。

思った以上に甘味のあるサツマイモも美味しいが、私の好みはサトイモだ。

民宿津川のねーちゃんから聞いていた塩茹でしたサトイモはつるっと皮が剥ける。

手で掴んだサトイモはつるっ。

落としそうになったが、おっとっと、で口に放り込んだ。

とても美味い、のである。

民宿津川を継いだ二人のねーちゃんも家で食べていた記憶があるそうだ。

それがこの味だったかはわからない。

塩加減、湯加減で味わいがかわる。

家の料理とはそういうものだ。

それはともかく民宿津川がある在所は風屋(かぜや)。

十五夜のお供えはしていたが、芋たばりの風習はなかったと話していた。

何軒か廻って隣家に向かう。

隣家は明かりが煌々と点いていた。

この家は縁にお供えをしていた。



お月さんを愛でる場は縁とか庭、或は戸口に多く見られるが・・・。

ここも蒸したサツマイモにコイモを供えている。

ガラス戸を開けておイモさんが欲しい子らはここから盗ってもらう。

私もいただいたおイモさん。

とても美味しい家庭の味がする。



大多数の子どもたちは玄関に廻ってお菓子もらい。

お盆に盛ったお菓子に群がるイモ嫌いの子たち。

ここでたまたま遭遇したも一組の子どもたち。

事前に聞いていた子供の数は7、8人だったが、この日は17人にも膨れ上がった。

なんで、であるか。

事情を聞けばこちらに住んでいるお姉さんから、滝川に芋たばりがあると聞いた隣村に住む妹家族が大勢の子供たちを連れてやってきたのである。

あっちへ、こっちへと各戸を巡る子どもたちの後を追いかけるのもたいへんである。



車路に建っているお家は明かりもあるからわかりやすい。

ところが筋を一本入って登り坂の先にあるお家を見つけるには難しい地域外の私。

40年も通っている車路は存じているが、登り詰めた通りはまったく知らない。

しかも暗闇をぬってのあっちへ、こっちへ、である。

車路に面したお家は庭先にお供えを出していた。

ライトを照らしていない庭先。

申しわけないがストロボを当てさせてもらった。



さらに車路を歩いて・・・。

実際は歩きではなく、お母さんが運転する車に子どもたちを乗せて走っていく。

後尾ライトを目印に追っかけをする。

呼び鈴がないお家は大きな声で「芋たばりに来ましたーー」。

大急ぎで用意しておいたお菓子を玄関にもってきてくれた。

その家の向かい側にもお菓子を盛っている。

夕方、陽が暮れた直後に拝見した一升瓶にススキを立てたお家である。

奥さんは大慌てでそこに供えたとたんにゲットする4人の兄弟姉妹たち。



そして高台にある総代家にやっと着いた。

このときの時間帯は夜の8時。

例年よりは1時間遅いという見方もあるが、もう一組の子どもたちはとうにやってきていたのかもしれない。



暗がりであっても踏みなれた石段はひょい、ひょい、ひょい・・。

女児はどちらかといえばお菓子には目もくれずサツマイモに手が伸びていく。



何十軒も同行しておればそれがよくわかる。

60云歳の総代が子供のころの体験談。

イモよりお菓子が欲しかったと云っていたのは真逆になる。

結局はその子の好みであったかもしれない。

総代が云うには、十津川村では折立や上野地、川津で芋たばりをしているようだと話してくれた。

数時間の長時間に亘って同行取材をさせてくださったK親子に感謝する滝川の十五夜芋たばりはこうして終えた。

取材時間は午後8時半を過ぎていた。

ぼちぼち帰ろうと帰路につく。

近年は十津川村の小中学校の閉校が多くなるほどの少子化時代。

隣村の内原や風屋に谷瀬など地域の芋たばり状況を知って、ただただ驚くばかりの滝川風情に浸っていた。

雨は降らなかったが、汗はびっしょりかいた。

滝川より車を走らせて30分ほど。

上野地トンネルに入ろうとしたそのときだ。

トンネル手前十数メートル付近を歩いている集団を見た。

子どももいるし大人もいる。

人数や持ち物ははっきりと認識できなかったが一瞬のこと。

親子連れと思われる集団は間違いなく上野地の十五夜を歩く芋たばりであろう。

来年の旧暦十五夜は10月4日の水曜日になる。

さて、どこへ行くか・・・。

後日、前述した滝川の芋たばりや生駒の月見どろぼうの状況を、9月10日、11日にともに民宿津川に宿泊した連れのAくんに伝えた。

拝読した彼は「まるで、ハロウィンの日本版ですね」とコメントをくれた。

とんでもない。ハロウィンは元来、先祖迎え、もひとつに悪霊祓いである。

先祖迎えの点では日本のお盆の在り方と同じであるが、十五夜の風習にはハロウィン特有の仮装は登場しない。

ましてや悪霊祓いもない。

お菓子を貰うのは似ていても、芋たばりとか月見どろぼうの名で呼ばれる意味はあくまで収穫に感謝する風習である。

お供えを子供が盗っていく村公認の風習は決してハロウィンでもなんでもない。

似て非なり、だと返答した。

収穫祭ともいえる村の行事に野菜で人面を作って供える「御膳」と呼ぶ行事もあるが、大きなカボチャが顔やー、それやからハロウィンやという人も多いのは、本来の日本文化を知らないからそう思うのだろう。

テレビなどが伝えるニュースや報道の影響もあるのかもしれない。

(H28. 9.15 EOS40D撮影)