旧西吉野村の永谷(えいたに)にハデ架けをしていると聞いたのは数週間前。
十津川村の内原、滝川、風屋、谷瀬など各地のハデ架けを取材して帰路途中に立ち寄った旧大塔村の阪本住民からである。
在地の阪本にもあったと云っていた。
Iさんが教えてくださった永谷のハデ架けの存在を確かめたく、この月の15日に取材した。
想像していた情景ではないが時間もなかったことから中途半端になった。
吉野町の香束で一本竿のハザカケ景観を撮っていた時間帯は午後3時。
日暮れる時間も早くなっている。
先を急がねばならないと走ってきた。
それから1時間半後。
着いた時間は午後4時15分だった。
着いて勢い集落を巡る。
十日も経てば稲刈りも終えてハデ架けをしているだろう。
街道に沿って峠まで行く。
その手前にもあったが下りながら撮らせてもらおうと思って奥に向かう。
峠を越えてさらに進めば和歌山県の西富貴に出る。
そこから山を下っていく道は旧大塔村阪本と結ぶ一般県道の732号線。
北上すれば五條市の大津町を経て犬飼町に着く。
西に少し走れば和歌山県の橋本市になる。
和歌山県と奈良県の境目にある県道だそうだが、私は走ったことがない。
話はUターンして永谷のハデ架けに戻そう。
例年であれば稲刈りはとっくに終えて、今の時期なら稲架けから干した稲を降ろして脱穀しているぐらい。
今年は珍しく秋雨前線や台風の影響で長雨が続いた。
天日干ししたお米はとても甘い。
ふっくら炊いたご飯はおかずがなくとも美味しい。
おかわりしたくなるご飯の味を忘れたくないと云ってわざわざ大阪から我が家までお米を買いに来る人がいると電話口で語ってくれたYさん。
四日前の21日だった。
それからも連続する晴天は見込めない日々。
天日干しの稲架けを下ろすのは天候次第。
晴れ間が数日続く日を選んで息子に来てもらうと話していた五條市・旧西吉野村の永谷を再び訪れた。
奥にあるお家は不在だった。
十日前に来たときはまだ稲刈りもしていなかった。
着いたこの日はすでに干してあった。
色合いからみれば日にちはずいぶんと経過している。
刈り取った間なしであれば稲の色がある。
青色が消えている状況からみれば一週間ぐらいかもしれない。
多段型の竿は何本あるのだろうか。
数えてみれば10本、いや1本の場もある。
下から4段目ぐらいまでは手が届く。
そこまでなら一人作業で済むが、それ以上の高さはそういうわけにはいかない。
ここのハデ場に梯子がある。
右端は数段までの高さ。
左側の梯子はもっとある。
てっぺん部分に上がることは可能だが、すぐ傍にある鉄製の台はなんだろう。
下部に車輪があるから左右に移動できる台である。
位置を固定しているのは角材。
そこへ揚げるにジャッキは要らないのだろうか。
いずれにしても梯子に乗ってその台に上がる。
安定している台も下でするのと同じように一人作業で済ませることができる。
上手いこと考えたものだと感心する。
さらに近寄ってみれば二股木の棒があった。
長さ違いの2本立ては刈った稲を多段型ハデ場に登った人に渡す道具。
若い人であれば地上から高い所に登った人には放り投げて届ける。
投げるには肩の力どころか体力が要る。
若い人にはできても高齢者では無理がある。
そこで役に立つのが二股木の登場である。
二股部分に稲束を架けて竿のように突き上げる。
それで届ける道具であるが、渡す距離によって使い分けているのだろう。
その場を下っていくときに目に入った二人。
お声をかけている時間がないから失礼したが思った通りの高齢者だった。
聞き取りをしたかったが、時間がない。
申しわけなく、頭を下げて次の場に向かう。
それほど遠くない場に多段型のハゼがある。
竿は10段である。
十日前に来たときは稲刈り真っ最中だったY夫妻。
そのときに撮らせてもらった写真を渡す。
今年の長雨に天候不順。
泥田の田んぼでも稲刈りをせざるを得ない状況に奥さんが天を見上げて高笑いしていたことを思い出す。
その表情をとらえた写真を渡したら、また笑ってくれた。
ちなみにご夫妻が住む家の前を通る道は西熊野街道と呼ぶ。
3年前の豪雨で谷から流れる水が溢れて前庭が水浸しになった。
牛小屋や厩にトイレもあった処が流されたと話す。
旅人が往来する“くもすきの山”に宿場があったと云われたが、“くもすき”って何だ?。
まさか“くもすけ”のことでは、と思ったがツッコミは入れなかった。
「ハゼ」、或は「ハデ」と呼んでいる多段型の稲架け。
11月の始めのころまでこうして干している。
干した稲は稲架けから降ろして籾をする。
それを「モミスリ」という。
「モミスリ」は動力電気でしている。
「モミスリ」したお米が美味しいと云って20年ほど前から毎年のように来て買ってくれる人が要る。
息子さんが広陵町に住んでいるらしく、今年も来るのだろう。
そんなに美味しいY夫妻が作付する品種はコシヒカリ。
タンカンコシもあるコシヒカリは風に強い。
5月20日頃に田植えをして育てたコシヒカリは天日干しで美味くなるという。
以前、何カ所かで貰った天日干しのお米をよばれたことがある。
ところが、私の舌では味に違いがわからない。
甘くて美味しいという永谷の米も試してみたいと思った。
ところで前庭に干し物があった。
今年になって初めて作ったゴーヤ。
知り合いから干したら美味しくなると云われて干している。
実成が悪くて、採りごろやと思っていたら赤い実になったゴーヤもあったそうだから天候不順が影響したのだろうか。
山で採れるゼンマイの収穫時期は5月初め。
これも干して保存食にしているという。
ここ永谷ではコウヤマキを栽培している。
15年ほど前から和歌山の新宮からわざわざ来られて買ってくれる人がいる。
さまざまなことを話してくれる永谷に年中行事がある。
3月の初午は川向こうの稲荷さん。
11月7日は山の神さん。
8月16日は地蔵寺で施餓鬼。
村の人たちが集まってくるようだ。
永谷の西熊野街道をさらに下った地に多段型のハデがある。
竿は10段である。
西熊野街道の端際に建てたハデは十日前に稲刈りを始めたY家が所有者。
入村した際に走っていた道路から見えた稲刈り親子がY家だった。
時間帯は午後5時15分。
滞在してから1時間も経過する。
西の方角をみれば黒い雲が被ってきた。
すぐにでも雨が降りそうな気配である。
高台から周りの景観を見る。
街道にはみ出すことのないように建てた構造物にある実成の稲の色は二色。
枯れた色は十日前の9月15日に刈って干したもの。
青々とした色は訪れたこの日に刈りとったもの。
遠景で拝見してもそれがよくわかるハゼの景観である。
ハデ向こう側の街道から架けていた息子さんの姿は見えない。
手の届く範囲内であるからなお見えない。
それ以上の高さに掛ける場合は梯子を架けて登らなければならない。
息子さんは登って竿を跨る。
跨るだけでは足を掛ける際に体制を崩すおそれがある。
そうならないように膝と足の部分を竿に絡ませる。
2カ所を固定することによって体制を保ちながら作業をする。
天候不順の毎日に待ってられないと判断されて、姉妹二人とともにこの日にやってきたという。
高い位置に跨っておれば降りることはない。
相方のお姉さんが下から稲束を放り投げてくれる。
受け取る弟は右手で竿を掴んで左手で飛んでくる稲束をがっちり。
絶妙なコントロールもあるが、呼吸合わせが大事だ。
作業を拝見していると左右とも同じ量の束ではないように見えた。
手渡してもらった稲束をくるりと返す。
その際に分量の多い方をくるりと180度も反転させるように竿の向こう側に。
こちら側は少ない。
次に受け取った稲束はカエシをつけずにそのままの状態で分量を分ける。
このときの向こう側にするのは少ない方。
およそ1/4と3/4ぐらいの量を交互に束分けて竿に架ける。
つまり、交互に量を分けて竿架けしていることがわかった。
何故にそうするのか。
簡単なことである。竿に架けた稲はぐっと押し込むようにして詰める。
そうすることで偏らずに左右のバランスもとれ、数多くの稲束を架けることができるのである。
単に写真を撮っているだけではそういう工夫に気がつかない。
民俗は作業の在り方も観察することも大事なのである。
この動作を何度も繰り返すうちに雨が降ってきた。
急がねばならない・・・。
母親を手伝う弟と二人の姉。
その作業をずっと見ていたら日が暮れる。
奥にあることがわかっている永谷のハゼ場。
少しずつであるが十日前に訪れたお家もハゼに架けていた。
色は枯れているからこの日ではない。
これより十日前も夕方近くまで作業をしていたようだ。
立ててあった二股の木。
長さが若干異なる木は何。
当家のご夫妻もまた年老いた二人。
お話は伺えなかったが、高齢ともなれば稲束は投げることもできない。
その作業を補助するのが二股の木である。
たぶんにご主人は高い竿に登る。
下におられる婦人が二股の木に稲束を架けて上に揚げる。
ご主人がおられる高さに木の棒を持ち上げる。
手の届くところ持ち上げるまで。
それで稲束を掴む。
これの繰り返し。
これもまたたいへんな作業である。
下から刈り取った稲を運んできたのは妹さん。
キャタピラ駆動の小型動力運搬車でガタゴトガタゴトの音をたてながら運んできた。
運搬車のエンジン部はクボタ社製SUPEROHV。
メーカーは違うかもしれないが、十五日ほど前に取材した十津川村の谷瀬のOさんも同じような運搬車に積んで運んでいた。
雨は小雨。
9月半ばであっても暮れる時間は早い。
急がねばならないハゼ架け作業。
弟さんはこの日しか仕事を休めなかった。
持越しはできないから照明器を持ち出した。
投げる方も受け取る方も難しい作業を難なくこなしていた。
永谷には国道沿いにも一カ所あるが、天気次第で伸び伸びのような雰囲気のようだ。
たいへんな労力をかけて干す作業を撮らせてもらった永谷。
翌年の平成29年3月12日に訪れた大淀町大岩に住むKさんは国道を通る度に構造物が気になっていたと云った。
とても大きく長い木製の構造物はダイコン干しでもなく柿を干すわけでもない。
私がとらえた写真展「ハデの景観に」を見られて納得したと云っていたことを付記しておく。
なお、永谷には宿泊できる温泉施設がある。
平成27年4月に創業した「西吉野桜温泉」である。
手軽にいただける一品料理もあるし、最近になっては始まったジビエのシカやシシ肉料理もある桜温泉は日帰り入浴も魅力的。
季節問わず、訪れてみたいと思うが・・・。
(H28. 9.25 EOS40D撮影)
十津川村の内原、滝川、風屋、谷瀬など各地のハデ架けを取材して帰路途中に立ち寄った旧大塔村の阪本住民からである。
在地の阪本にもあったと云っていた。
Iさんが教えてくださった永谷のハデ架けの存在を確かめたく、この月の15日に取材した。
想像していた情景ではないが時間もなかったことから中途半端になった。
吉野町の香束で一本竿のハザカケ景観を撮っていた時間帯は午後3時。
日暮れる時間も早くなっている。
先を急がねばならないと走ってきた。
それから1時間半後。
着いた時間は午後4時15分だった。
着いて勢い集落を巡る。
十日も経てば稲刈りも終えてハデ架けをしているだろう。
街道に沿って峠まで行く。
その手前にもあったが下りながら撮らせてもらおうと思って奥に向かう。
峠を越えてさらに進めば和歌山県の西富貴に出る。
そこから山を下っていく道は旧大塔村阪本と結ぶ一般県道の732号線。
北上すれば五條市の大津町を経て犬飼町に着く。
西に少し走れば和歌山県の橋本市になる。
和歌山県と奈良県の境目にある県道だそうだが、私は走ったことがない。
話はUターンして永谷のハデ架けに戻そう。
例年であれば稲刈りはとっくに終えて、今の時期なら稲架けから干した稲を降ろして脱穀しているぐらい。
今年は珍しく秋雨前線や台風の影響で長雨が続いた。
天日干ししたお米はとても甘い。
ふっくら炊いたご飯はおかずがなくとも美味しい。
おかわりしたくなるご飯の味を忘れたくないと云ってわざわざ大阪から我が家までお米を買いに来る人がいると電話口で語ってくれたYさん。
四日前の21日だった。
それからも連続する晴天は見込めない日々。
天日干しの稲架けを下ろすのは天候次第。
晴れ間が数日続く日を選んで息子に来てもらうと話していた五條市・旧西吉野村の永谷を再び訪れた。
奥にあるお家は不在だった。
十日前に来たときはまだ稲刈りもしていなかった。
着いたこの日はすでに干してあった。
色合いからみれば日にちはずいぶんと経過している。
刈り取った間なしであれば稲の色がある。
青色が消えている状況からみれば一週間ぐらいかもしれない。
多段型の竿は何本あるのだろうか。
数えてみれば10本、いや1本の場もある。
下から4段目ぐらいまでは手が届く。
そこまでなら一人作業で済むが、それ以上の高さはそういうわけにはいかない。
ここのハデ場に梯子がある。
右端は数段までの高さ。
左側の梯子はもっとある。
てっぺん部分に上がることは可能だが、すぐ傍にある鉄製の台はなんだろう。
下部に車輪があるから左右に移動できる台である。
位置を固定しているのは角材。
そこへ揚げるにジャッキは要らないのだろうか。
いずれにしても梯子に乗ってその台に上がる。
安定している台も下でするのと同じように一人作業で済ませることができる。
上手いこと考えたものだと感心する。
さらに近寄ってみれば二股木の棒があった。
長さ違いの2本立ては刈った稲を多段型ハデ場に登った人に渡す道具。
若い人であれば地上から高い所に登った人には放り投げて届ける。
投げるには肩の力どころか体力が要る。
若い人にはできても高齢者では無理がある。
そこで役に立つのが二股木の登場である。
二股部分に稲束を架けて竿のように突き上げる。
それで届ける道具であるが、渡す距離によって使い分けているのだろう。
その場を下っていくときに目に入った二人。
お声をかけている時間がないから失礼したが思った通りの高齢者だった。
聞き取りをしたかったが、時間がない。
申しわけなく、頭を下げて次の場に向かう。
それほど遠くない場に多段型のハゼがある。
竿は10段である。
十日前に来たときは稲刈り真っ最中だったY夫妻。
そのときに撮らせてもらった写真を渡す。
今年の長雨に天候不順。
泥田の田んぼでも稲刈りをせざるを得ない状況に奥さんが天を見上げて高笑いしていたことを思い出す。
その表情をとらえた写真を渡したら、また笑ってくれた。
ちなみにご夫妻が住む家の前を通る道は西熊野街道と呼ぶ。
3年前の豪雨で谷から流れる水が溢れて前庭が水浸しになった。
牛小屋や厩にトイレもあった処が流されたと話す。
旅人が往来する“くもすきの山”に宿場があったと云われたが、“くもすき”って何だ?。
まさか“くもすけ”のことでは、と思ったがツッコミは入れなかった。
「ハゼ」、或は「ハデ」と呼んでいる多段型の稲架け。
11月の始めのころまでこうして干している。
干した稲は稲架けから降ろして籾をする。
それを「モミスリ」という。
「モミスリ」は動力電気でしている。
「モミスリ」したお米が美味しいと云って20年ほど前から毎年のように来て買ってくれる人が要る。
息子さんが広陵町に住んでいるらしく、今年も来るのだろう。
そんなに美味しいY夫妻が作付する品種はコシヒカリ。
タンカンコシもあるコシヒカリは風に強い。
5月20日頃に田植えをして育てたコシヒカリは天日干しで美味くなるという。
以前、何カ所かで貰った天日干しのお米をよばれたことがある。
ところが、私の舌では味に違いがわからない。
甘くて美味しいという永谷の米も試してみたいと思った。
ところで前庭に干し物があった。
今年になって初めて作ったゴーヤ。
知り合いから干したら美味しくなると云われて干している。
実成が悪くて、採りごろやと思っていたら赤い実になったゴーヤもあったそうだから天候不順が影響したのだろうか。
山で採れるゼンマイの収穫時期は5月初め。
これも干して保存食にしているという。
ここ永谷ではコウヤマキを栽培している。
15年ほど前から和歌山の新宮からわざわざ来られて買ってくれる人がいる。
さまざまなことを話してくれる永谷に年中行事がある。
3月の初午は川向こうの稲荷さん。
11月7日は山の神さん。
8月16日は地蔵寺で施餓鬼。
村の人たちが集まってくるようだ。
永谷の西熊野街道をさらに下った地に多段型のハデがある。
竿は10段である。
西熊野街道の端際に建てたハデは十日前に稲刈りを始めたY家が所有者。
入村した際に走っていた道路から見えた稲刈り親子がY家だった。
時間帯は午後5時15分。
滞在してから1時間も経過する。
西の方角をみれば黒い雲が被ってきた。
すぐにでも雨が降りそうな気配である。
高台から周りの景観を見る。
街道にはみ出すことのないように建てた構造物にある実成の稲の色は二色。
枯れた色は十日前の9月15日に刈って干したもの。
青々とした色は訪れたこの日に刈りとったもの。
遠景で拝見してもそれがよくわかるハゼの景観である。
ハデ向こう側の街道から架けていた息子さんの姿は見えない。
手の届く範囲内であるからなお見えない。
それ以上の高さに掛ける場合は梯子を架けて登らなければならない。
息子さんは登って竿を跨る。
跨るだけでは足を掛ける際に体制を崩すおそれがある。
そうならないように膝と足の部分を竿に絡ませる。
2カ所を固定することによって体制を保ちながら作業をする。
天候不順の毎日に待ってられないと判断されて、姉妹二人とともにこの日にやってきたという。
高い位置に跨っておれば降りることはない。
相方のお姉さんが下から稲束を放り投げてくれる。
受け取る弟は右手で竿を掴んで左手で飛んでくる稲束をがっちり。
絶妙なコントロールもあるが、呼吸合わせが大事だ。
作業を拝見していると左右とも同じ量の束ではないように見えた。
手渡してもらった稲束をくるりと返す。
その際に分量の多い方をくるりと180度も反転させるように竿の向こう側に。
こちら側は少ない。
次に受け取った稲束はカエシをつけずにそのままの状態で分量を分ける。
このときの向こう側にするのは少ない方。
およそ1/4と3/4ぐらいの量を交互に束分けて竿に架ける。
つまり、交互に量を分けて竿架けしていることがわかった。
何故にそうするのか。
簡単なことである。竿に架けた稲はぐっと押し込むようにして詰める。
そうすることで偏らずに左右のバランスもとれ、数多くの稲束を架けることができるのである。
単に写真を撮っているだけではそういう工夫に気がつかない。
民俗は作業の在り方も観察することも大事なのである。
この動作を何度も繰り返すうちに雨が降ってきた。
急がねばならない・・・。
母親を手伝う弟と二人の姉。
その作業をずっと見ていたら日が暮れる。
奥にあることがわかっている永谷のハゼ場。
少しずつであるが十日前に訪れたお家もハゼに架けていた。
色は枯れているからこの日ではない。
これより十日前も夕方近くまで作業をしていたようだ。
立ててあった二股の木。
長さが若干異なる木は何。
当家のご夫妻もまた年老いた二人。
お話は伺えなかったが、高齢ともなれば稲束は投げることもできない。
その作業を補助するのが二股の木である。
たぶんにご主人は高い竿に登る。
下におられる婦人が二股の木に稲束を架けて上に揚げる。
ご主人がおられる高さに木の棒を持ち上げる。
手の届くところ持ち上げるまで。
それで稲束を掴む。
これの繰り返し。
これもまたたいへんな作業である。
下から刈り取った稲を運んできたのは妹さん。
キャタピラ駆動の小型動力運搬車でガタゴトガタゴトの音をたてながら運んできた。
運搬車のエンジン部はクボタ社製SUPEROHV。
メーカーは違うかもしれないが、十五日ほど前に取材した十津川村の谷瀬のOさんも同じような運搬車に積んで運んでいた。
雨は小雨。
9月半ばであっても暮れる時間は早い。
急がねばならないハゼ架け作業。
弟さんはこの日しか仕事を休めなかった。
持越しはできないから照明器を持ち出した。
投げる方も受け取る方も難しい作業を難なくこなしていた。
永谷には国道沿いにも一カ所あるが、天気次第で伸び伸びのような雰囲気のようだ。
たいへんな労力をかけて干す作業を撮らせてもらった永谷。
翌年の平成29年3月12日に訪れた大淀町大岩に住むKさんは国道を通る度に構造物が気になっていたと云った。
とても大きく長い木製の構造物はダイコン干しでもなく柿を干すわけでもない。
私がとらえた写真展「ハデの景観に」を見られて納得したと云っていたことを付記しておく。
なお、永谷には宿泊できる温泉施設がある。
平成27年4月に創業した「西吉野桜温泉」である。
手軽にいただける一品料理もあるし、最近になっては始まったジビエのシカやシシ肉料理もある桜温泉は日帰り入浴も魅力的。
季節問わず、訪れてみたいと思うが・・・。
(H28. 9.25 EOS40D撮影)