吉野町入野(しおの)の子安地蔵尊に会式をしていると知ったのは前月の8月28日だった。
調べていたのは子安地蔵ではなく吉野町津風呂・鬼輪垣内で行われていた旧暦の八月十五日のイモ名月である。
鬼輪垣内は開発された津風呂湖中に全村もろとも沈んだ。
行事は見つからなかったが隣村の入野(しおの)で子安地蔵会式をされていることがわかった。
着いた時間帯は午後1時前。
何人もの人たちが地蔵堂に集まっていた。
前月にお話ししてくださったKさんもおられる。
参拝される村の人たちにお声をかけて取材の主旨を伝える。
代表を受けてくださったのは区長のUさん。
珍しい地蔵さんも行事も大いに宣伝してくださいと云われて取材に入る。
普段の地蔵堂は扉が閉まっている。
格子戸から見えなくもないが、本尊の扉は閉まっているので実態は見えない。
ご開帳されるのは一月二十四日と九月二十四日。
ただ、平成22年からはいずれも第三日曜に移された。
それがこの日である。
本尊の地蔵さんは「元正天皇期の霊亀元年(715)に入野の亀之尾という所に霊亀に乗って金色の光を放ちながら天から降りてこられた」という伝承がある。
安置されている「子安地蔵は江戸時代作の塑像であるが、蓮華座でなく、亀の背に乗っている」ということだ。
特徴的なのは一般的に胸にかける涎掛けであるが、入野の地蔵さんは亀の首にかけているそうだ。
さて、行事日のことである。
毎年の正月と九月の年二回。
いずれも24日が会式(看板では例祭とあるが仏行事なので会式であろう)である。
お堂に近寄ってみれば但し書きが貼ってあった。
平成22年からはいずれも第三日曜日に移されている。
浄土宗の僧侶が来られて法要をするらしいと聞いていたが、どうであったのだろうか。
もっと早くに済まされていたのでろうか聞かずじまいだった。
見上げるように子安地蔵さんを拝ませてもらった。
安産などを祈願した涎掛けがあるその首は龍でもない。
耳があることからもしかとすれば玄武だろうという村人たち。
確かに亀のような脚が見える。
のっそり、のっそり今でも歩きそうな脚に似つかわしくもない顔は一体何であろうか。
中国の説話に龍の一番末っ子が亀の形をしていると云う。
調べてみれば龍の頭に身体が亀の龍亀のようである。
それにしてもだ。
龍であれば長い髭があるのでは・・・と思ったのだが、類例が見当たらない。
地蔵尊を称える板書がある。
要約すれば「霊験あらたかな子安地蔵さんは子供を安らかに生ませて、健康を守り、病気や悪い癖まで治してくれる。首にかけてある涎掛けを一枚受けて、腹帯に差入する。安産が叶えば新しい涎掛けを持ってお礼参りをする習慣、信仰がある」である。
子供に恵まれたい人は願掛けにくる。
生まれたら新調した涎掛け寄進する。
古いのは1月14日の午後2時から行われるとんどで燃やす。
そう話してくれたのは村の人たちだ。
入野(しおの)の戸数は15、6軒。
かつては20軒もあったが、少なくなったという。
この日の当番は4軒当家(とうや)さん。
上、下の組のそれぞれ2軒が務める。
左手に珠を持つ地蔵尊の目の前に当家(とうや)さんが仏飯を供えていた。
云われてみなければ失念していたかも知れない。
仏飯杯を納めていた箱も見せてもらった。
年号を示すものがあればと思ったが時間がない。
適当な時間までここに居て参拝者を待つ。
そろそろ場を替えましょうといって会所に移動する。
会所は入野生活改善センター。
これより始まるのはゴクマキだ。
この日は朝から雨が降っていた。
本来ならば地蔵堂の場でゴクマキをされるのだが、雨天の場合は安全を考慮して入野生活改善センターで行われる。
参拝者の楽しみはゴクマキ。
当家が撒く御供餅に手を伸ばす。
子どもたちも大人も大はしゃぎで餅を手に入れる。
僅か数分で終えたゴクマキ。
降り出した小雨に傘をさして家に戻っていった。
ちなみに入野に鎮座する神社がある。
この場より少し外れた処にあると聞いて立ち寄った上宮(じょうぐう)神社。
11月23日の午後3時からこの日もゴクマキをすると話していた上宮神社は神社庁表記では「うえのみや」になるそうだ。
(H28. 9.18 EOS40D撮影)
調べていたのは子安地蔵ではなく吉野町津風呂・鬼輪垣内で行われていた旧暦の八月十五日のイモ名月である。
鬼輪垣内は開発された津風呂湖中に全村もろとも沈んだ。
行事は見つからなかったが隣村の入野(しおの)で子安地蔵会式をされていることがわかった。
着いた時間帯は午後1時前。
何人もの人たちが地蔵堂に集まっていた。
前月にお話ししてくださったKさんもおられる。
参拝される村の人たちにお声をかけて取材の主旨を伝える。
代表を受けてくださったのは区長のUさん。
珍しい地蔵さんも行事も大いに宣伝してくださいと云われて取材に入る。
普段の地蔵堂は扉が閉まっている。
格子戸から見えなくもないが、本尊の扉は閉まっているので実態は見えない。
ご開帳されるのは一月二十四日と九月二十四日。
ただ、平成22年からはいずれも第三日曜に移された。
それがこの日である。
本尊の地蔵さんは「元正天皇期の霊亀元年(715)に入野の亀之尾という所に霊亀に乗って金色の光を放ちながら天から降りてこられた」という伝承がある。
安置されている「子安地蔵は江戸時代作の塑像であるが、蓮華座でなく、亀の背に乗っている」ということだ。
特徴的なのは一般的に胸にかける涎掛けであるが、入野の地蔵さんは亀の首にかけているそうだ。
さて、行事日のことである。
毎年の正月と九月の年二回。
いずれも24日が会式(看板では例祭とあるが仏行事なので会式であろう)である。
お堂に近寄ってみれば但し書きが貼ってあった。
平成22年からはいずれも第三日曜日に移されている。
浄土宗の僧侶が来られて法要をするらしいと聞いていたが、どうであったのだろうか。
もっと早くに済まされていたのでろうか聞かずじまいだった。
見上げるように子安地蔵さんを拝ませてもらった。
安産などを祈願した涎掛けがあるその首は龍でもない。
耳があることからもしかとすれば玄武だろうという村人たち。
確かに亀のような脚が見える。
のっそり、のっそり今でも歩きそうな脚に似つかわしくもない顔は一体何であろうか。
中国の説話に龍の一番末っ子が亀の形をしていると云う。
調べてみれば龍の頭に身体が亀の龍亀のようである。
それにしてもだ。
龍であれば長い髭があるのでは・・・と思ったのだが、類例が見当たらない。
地蔵尊を称える板書がある。
要約すれば「霊験あらたかな子安地蔵さんは子供を安らかに生ませて、健康を守り、病気や悪い癖まで治してくれる。首にかけてある涎掛けを一枚受けて、腹帯に差入する。安産が叶えば新しい涎掛けを持ってお礼参りをする習慣、信仰がある」である。
子供に恵まれたい人は願掛けにくる。
生まれたら新調した涎掛け寄進する。
古いのは1月14日の午後2時から行われるとんどで燃やす。
そう話してくれたのは村の人たちだ。
入野(しおの)の戸数は15、6軒。
かつては20軒もあったが、少なくなったという。
この日の当番は4軒当家(とうや)さん。
上、下の組のそれぞれ2軒が務める。
左手に珠を持つ地蔵尊の目の前に当家(とうや)さんが仏飯を供えていた。
云われてみなければ失念していたかも知れない。
仏飯杯を納めていた箱も見せてもらった。
年号を示すものがあればと思ったが時間がない。
適当な時間までここに居て参拝者を待つ。
そろそろ場を替えましょうといって会所に移動する。
会所は入野生活改善センター。
これより始まるのはゴクマキだ。
この日は朝から雨が降っていた。
本来ならば地蔵堂の場でゴクマキをされるのだが、雨天の場合は安全を考慮して入野生活改善センターで行われる。
参拝者の楽しみはゴクマキ。
当家が撒く御供餅に手を伸ばす。
子どもたちも大人も大はしゃぎで餅を手に入れる。
僅か数分で終えたゴクマキ。
降り出した小雨に傘をさして家に戻っていった。
ちなみに入野に鎮座する神社がある。
この場より少し外れた処にあると聞いて立ち寄った上宮(じょうぐう)神社。
11月23日の午後3時からこの日もゴクマキをすると話していた上宮神社は神社庁表記では「うえのみや」になるそうだ。
(H28. 9.18 EOS40D撮影)