奈良市の旧都祁村の小倉町に着いた時間帯は午前10時過ぎだった。
この日は朝早くから観音堂に集まってきた男性たちが村の人から寄進された野菜に向き合って苦戦していた。
今年のお供えはどういう形にすればいいのやら、向き合い思案する。
出来あがりの姿を思い描いてパーツを集める。
パーツは寄進された野菜。
野菜そのままの形を利用し組み立てるお供えの造形物。
一人で何体も作っていく。
完成すれば木台に並べる。
大きなものから小さなものまで、いろんな形が並んだ。
出来上がりの形は思い思いの姿。
なんとなくメルヘンちっくな造形物に笑みが漏れる。
可愛らしい、面白い、優しい、奇妙なものもあれば子供や女子受けするトトロもいる。
その横には愛を確かめ合う姿もある。
毎年、作られる野菜の造形物は二つとない。
育ての親が云うにはもっと嫌らしいものを造っていたそうだ。
先代の意思を継いだ嫌らしい形。
今年も数体がそれに近いものもこしらえたという。
お供えは正面にずらりと並べた野菜造りのものもあるが、内陣左側に並べたものもある。
折敷一枚、一枚に盛ったものは決まりがある材料はダイコン葉とカボチャである。
ダイコン葉は軸ごと切って数本を束にしている。
カボチャは薄めの半月切り。
底面を切って立てる。
盛った折敷は底板で繋がっている七つの板皿。
10枚並べて計70皿。
数は何を意味しているのかわかっていないが、かつてはこれに赤飯も盛られていたというだけに御膳であろう。
これらはこの日の十七夜の御膳御供。
観音寺の年中行事は多い。
一月六日は初祈祷(※)。
三月十七日は春季観音講。
六月十六日は田の虫送り(※)。
八月二日の下向、墓掃除や十五日の施餓鬼(※)もある。
九月中旬は大般若百万遍に十七日の秋季観音講。
十一月十四日の十夜に十二月三十日の正月準備。
一年の廻りの他、十一面観世音菩薩を本尊として真言宗豊山派を広め、儀式行事を行い、信者さん教化育成のために、毎月の21日は大師講のお勤めがある。
これら年中行事を務めるのは6人(丸山、西区、東区、中区、南出、北出の六垣内代表者)の檀家総代と二人の責任役員である。
時間ともなれば村の人らも参集されて三巻の般若心経を唱える。
導師は一段前の野菜御供棚向こう側に座っていた。
平成20年に訪れたときは木魚を叩いていたが、この日は見られなかった。
小倉町の観音寺に野菜作りをしていると聞いたのは平成20年6月4日だった。
小倉町ではなく同じ旧都祁村内になる小山戸である。
都祁山口神社で行われたおんだ祭の写真をお礼に渡そうと伺ったⅠ総代家。
おられた奥さんと奈良の祭りや行事の話題に盛り上がった。
その前年である平成19年9月15日に取材した地域行事に天理市福住の上入田・不動寺に野菜造りの御膳があったことを伝えていた、そのときだ。
それと同じかどうかわからないが、奥さんが生まれ育った地にもよう似たものがあると話してくれた。
これは是非とも拝見したい。
そう思って予め訪ねた小倉町の観音寺。
普段のお寺は無住寺であるが、会式法要の場合は真言宗豊山派の僧侶が来られるという。
小山戸住民が話した件を尋ねたら9月17日だという。
そして訪れた日が平成20年9月17日。
寺行事を主宰していた責任役員の承諾を得て取材させてもらった。
これには驚いたものだった。
この日の行事に村の小学生がやってきた。
出来あがった御供を見つめるタンドセルを背負った小学校帰りの子どもたちの姿。
寺役をしていたお爺ちゃんとともに記念の写真を撮っていた。
微笑ましいその姿は淡交社から発刊した著書の『奈良大和路の年中行事』に飾らせてもらった。
お寺の行事に野菜で作った造形物をお供えする。
隣村の相河の観音寺会式にも見られる。
他の地域にもしているのではと思って探してみれば多々ある収穫の恵みに感謝する行事だ。
小倉町も上入田も9月の同時期。
寄進の作物をもって造形物を作る。
形式の大小はあるものの神社行事に野菜作りの何某を供える地域も多い。
ちなみに小倉町のこの日の本来は「会式」。
その夜は「イセキの盆踊り」があったという。
「イセキ」は「会式」が訛った表現だ。
奈良県内各地で聞かれる「イセキ」は「イシェキ」とか「イシキ」の呼び名の地域もあるが、そのすべては「会式」である。
小倉町は8月中旬のお盆に月末の風の祈祷にこの日の観音講会式が最後だという。
その夜が〆に「イセキの盆踊り」をしていたが今は見られない。
(H28. 9.17 EOS40D撮影)
この日は朝早くから観音堂に集まってきた男性たちが村の人から寄進された野菜に向き合って苦戦していた。
今年のお供えはどういう形にすればいいのやら、向き合い思案する。
出来あがりの姿を思い描いてパーツを集める。
パーツは寄進された野菜。
野菜そのままの形を利用し組み立てるお供えの造形物。
一人で何体も作っていく。
完成すれば木台に並べる。
大きなものから小さなものまで、いろんな形が並んだ。
出来上がりの形は思い思いの姿。
なんとなくメルヘンちっくな造形物に笑みが漏れる。
可愛らしい、面白い、優しい、奇妙なものもあれば子供や女子受けするトトロもいる。
その横には愛を確かめ合う姿もある。
毎年、作られる野菜の造形物は二つとない。
育ての親が云うにはもっと嫌らしいものを造っていたそうだ。
先代の意思を継いだ嫌らしい形。
今年も数体がそれに近いものもこしらえたという。
お供えは正面にずらりと並べた野菜造りのものもあるが、内陣左側に並べたものもある。
折敷一枚、一枚に盛ったものは決まりがある材料はダイコン葉とカボチャである。
ダイコン葉は軸ごと切って数本を束にしている。
カボチャは薄めの半月切り。
底面を切って立てる。
盛った折敷は底板で繋がっている七つの板皿。
10枚並べて計70皿。
数は何を意味しているのかわかっていないが、かつてはこれに赤飯も盛られていたというだけに御膳であろう。
これらはこの日の十七夜の御膳御供。
観音寺の年中行事は多い。
一月六日は初祈祷(※)。
三月十七日は春季観音講。
六月十六日は田の虫送り(※)。
八月二日の下向、墓掃除や十五日の施餓鬼(※)もある。
九月中旬は大般若百万遍に十七日の秋季観音講。
十一月十四日の十夜に十二月三十日の正月準備。
一年の廻りの他、十一面観世音菩薩を本尊として真言宗豊山派を広め、儀式行事を行い、信者さん教化育成のために、毎月の21日は大師講のお勤めがある。
これら年中行事を務めるのは6人(丸山、西区、東区、中区、南出、北出の六垣内代表者)の檀家総代と二人の責任役員である。
時間ともなれば村の人らも参集されて三巻の般若心経を唱える。
導師は一段前の野菜御供棚向こう側に座っていた。
平成20年に訪れたときは木魚を叩いていたが、この日は見られなかった。
小倉町の観音寺に野菜作りをしていると聞いたのは平成20年6月4日だった。
小倉町ではなく同じ旧都祁村内になる小山戸である。
都祁山口神社で行われたおんだ祭の写真をお礼に渡そうと伺ったⅠ総代家。
おられた奥さんと奈良の祭りや行事の話題に盛り上がった。
その前年である平成19年9月15日に取材した地域行事に天理市福住の上入田・不動寺に野菜造りの御膳があったことを伝えていた、そのときだ。
それと同じかどうかわからないが、奥さんが生まれ育った地にもよう似たものがあると話してくれた。
これは是非とも拝見したい。
そう思って予め訪ねた小倉町の観音寺。
普段のお寺は無住寺であるが、会式法要の場合は真言宗豊山派の僧侶が来られるという。
小山戸住民が話した件を尋ねたら9月17日だという。
そして訪れた日が平成20年9月17日。
寺行事を主宰していた責任役員の承諾を得て取材させてもらった。
これには驚いたものだった。
この日の行事に村の小学生がやってきた。
出来あがった御供を見つめるタンドセルを背負った小学校帰りの子どもたちの姿。
寺役をしていたお爺ちゃんとともに記念の写真を撮っていた。
微笑ましいその姿は淡交社から発刊した著書の『奈良大和路の年中行事』に飾らせてもらった。
お寺の行事に野菜で作った造形物をお供えする。
隣村の相河の観音寺会式にも見られる。
他の地域にもしているのではと思って探してみれば多々ある収穫の恵みに感謝する行事だ。
小倉町も上入田も9月の同時期。
寄進の作物をもって造形物を作る。
形式の大小はあるものの神社行事に野菜作りの何某を供える地域も多い。
ちなみに小倉町のこの日の本来は「会式」。
その夜は「イセキの盆踊り」があったという。
「イセキ」は「会式」が訛った表現だ。
奈良県内各地で聞かれる「イセキ」は「イシェキ」とか「イシキ」の呼び名の地域もあるが、そのすべては「会式」である。
小倉町は8月中旬のお盆に月末の風の祈祷にこの日の観音講会式が最後だという。
その夜が〆に「イセキの盆踊り」をしていたが今は見られない。
(H28. 9.17 EOS40D撮影)