平成18年のマツリトウヤを務めたU婦人に教えてもらって県道から下る里道。
神社の右手辺りの石垣がある家だと聞いていたが、道を間違ったらしく行先がわからなくなった。
畑仕事に一服されていた村の人に聞いてUターン。
ようやく着いた今年の当屋家。
門屋に笹竹を立てて注連縄を張っていた男性は斎主を務めている宮司のOさんだ。
山添村などの地域で行われている神事ごとに出仕される宮司さん。
取材に際する度にお世話になっている宮司さんだ。
今年は当屋家に当たることになったが兼社になる各地域の祭主もしなければならない。
村の神事ごともあるからそれも外すことはできない。
そういう状況を考えて、息子さんに室津の当屋を務めてもらうことにされた。
O宮司と初めてお会いしたのは平成18年12月23日だった。
当年のマツリトウヤを務めたU家やD総代長に撮らせてもらった写真をさしあげようと思って来た日だった。
その日は室津戸隠神社の申祭りだった。
時間帯の都合がつかずに他所へ向かうのであるが、そのときにO宮司が声をかけてくださった。
未完成な部分があるのだが、と云って示されたのは『東山村神社調書(大正4年調写し)』である。
宮司を務めることになったことを機会にかつての調書をわかりやすく現代表記に読み下してデータ化したと云っていた。
書の文字見やすい、わかりやすいワープロ文字。
神社の配置までも整えて、見やすく、使いやすく紐綴じされていた。
許しを得てその場でデジタル写しをさせてもらった。
神社調書は室津の戸隠神社だけでなく近隣村の松尾の遠瀛(おおつ)神社、的野の八幡神社、峯寺の六所神社、桐山の戸隠神社、北野の天神社に今では奈良市に行政区割りされた別所の金毘羅神社や水間の八幡神社もある。
神社の変遷もあるが特に興味深かったのは祭礼行事の詳細である。
130頁からなる室津宮司のOさんがデータ化した『東山村神社調書(大正4年調写し)』の史料価値は後年において相当数活用させていただいた。
その件については当ブログの「奈良県の民俗芸能―奈良県民俗芸能緊急調査報告書―発刊」の項で若干触れさせてもらった。
この報告書文中に、O宮司名が数多く登場する。
翻刻に4カ所もその名はあるが、文中も多く8カ所。
それほど価値があるO宮司翻刻の『東山村神社調書(大正4年調写し)』。
あの日からさらに整備をしたという。
O宮司とはお会いする度にこの「写し」を役立たせてもらっていると伝えていた。
実はこの日の午前中に室津の戸隠神社に出かけて参っていたそうだ。
本日は仮当屋が参拝する日。
氏子総代(オトナ)がその年にあたる仮当屋と楽人の渡り衆を集めて月次祭に参拝する。
そこで正式に当屋が決定したことを氏子に報告する目出度い日であった。
縁とはこういう重なりがあって繋がっていくのだと思った。
報告を終えた当屋は自宅に戻って当屋家を示す注連縄を門屋に立てる。
丁度のそのときに伺ったのであった。
ところで気になっていたのは戸隠神社の境内に張っていた注連縄である。
期日はバラバラであるが、その注連縄はいつもあるように思えて仕方がなかった。
神社の鳥居から拝殿辺りに張られている一本の注連縄である。
通年、そうしている注連縄は薬音寺(真言宗)との関係性を示す結界の意味があると教えてくださった。
かつては神社下に勧請綱があったようだという。
史料も残っていないが小字に「カンジョ」がある。
その名からしておそらく「カンジョバ」。
充てる漢字が勧請ノ場であるから間違いないと話される。
(H28.10. 1 EOS40D撮影)
神社の右手辺りの石垣がある家だと聞いていたが、道を間違ったらしく行先がわからなくなった。
畑仕事に一服されていた村の人に聞いてUターン。
ようやく着いた今年の当屋家。
門屋に笹竹を立てて注連縄を張っていた男性は斎主を務めている宮司のOさんだ。
山添村などの地域で行われている神事ごとに出仕される宮司さん。
取材に際する度にお世話になっている宮司さんだ。
今年は当屋家に当たることになったが兼社になる各地域の祭主もしなければならない。
村の神事ごともあるからそれも外すことはできない。
そういう状況を考えて、息子さんに室津の当屋を務めてもらうことにされた。
O宮司と初めてお会いしたのは平成18年12月23日だった。
当年のマツリトウヤを務めたU家やD総代長に撮らせてもらった写真をさしあげようと思って来た日だった。
その日は室津戸隠神社の申祭りだった。
時間帯の都合がつかずに他所へ向かうのであるが、そのときにO宮司が声をかけてくださった。
未完成な部分があるのだが、と云って示されたのは『東山村神社調書(大正4年調写し)』である。
宮司を務めることになったことを機会にかつての調書をわかりやすく現代表記に読み下してデータ化したと云っていた。
書の文字見やすい、わかりやすいワープロ文字。
神社の配置までも整えて、見やすく、使いやすく紐綴じされていた。
許しを得てその場でデジタル写しをさせてもらった。
神社調書は室津の戸隠神社だけでなく近隣村の松尾の遠瀛(おおつ)神社、的野の八幡神社、峯寺の六所神社、桐山の戸隠神社、北野の天神社に今では奈良市に行政区割りされた別所の金毘羅神社や水間の八幡神社もある。
神社の変遷もあるが特に興味深かったのは祭礼行事の詳細である。
130頁からなる室津宮司のOさんがデータ化した『東山村神社調書(大正4年調写し)』の史料価値は後年において相当数活用させていただいた。
その件については当ブログの「奈良県の民俗芸能―奈良県民俗芸能緊急調査報告書―発刊」の項で若干触れさせてもらった。
この報告書文中に、O宮司名が数多く登場する。
翻刻に4カ所もその名はあるが、文中も多く8カ所。
それほど価値があるO宮司翻刻の『東山村神社調書(大正4年調写し)』。
あの日からさらに整備をしたという。
O宮司とはお会いする度にこの「写し」を役立たせてもらっていると伝えていた。
実はこの日の午前中に室津の戸隠神社に出かけて参っていたそうだ。
本日は仮当屋が参拝する日。
氏子総代(オトナ)がその年にあたる仮当屋と楽人の渡り衆を集めて月次祭に参拝する。
そこで正式に当屋が決定したことを氏子に報告する目出度い日であった。
縁とはこういう重なりがあって繋がっていくのだと思った。
報告を終えた当屋は自宅に戻って当屋家を示す注連縄を門屋に立てる。
丁度のそのときに伺ったのであった。
ところで気になっていたのは戸隠神社の境内に張っていた注連縄である。
期日はバラバラであるが、その注連縄はいつもあるように思えて仕方がなかった。
神社の鳥居から拝殿辺りに張られている一本の注連縄である。
通年、そうしている注連縄は薬音寺(真言宗)との関係性を示す結界の意味があると教えてくださった。
かつては神社下に勧請綱があったようだという。
史料も残っていないが小字に「カンジョ」がある。
その名からしておそらく「カンジョバ」。
充てる漢字が勧請ノ場であるから間違いないと話される。
(H28.10. 1 EOS40D撮影)