マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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中畑のハザカケに出合う

2017年05月29日 10時28分05秒 | 奈良市(旧五ケ谷村)へ
午前中はマツリ取材願いで旧五ケ谷村の米谷(まいたに)に来ていた。

白山比咩神社に参進、参拝されるトウヤ(唐屋)のマツリを拝見したく訪れていた。

郷倉の名がある公民館にマツリ道具があった。

その場におられた唐屋家族に話を伺い許可をいただいていた。

マツリは午後になるが、それより早く行事をされる地区がある。

幾たびか取材させてもらっている奈良市佐紀町に鎮座する亀畑佐紀神社の行事である。

そこは午後の一番。

それまでの時間はどうするか。

10月のやや半ばに移りつつある時期は稲刈りを済ませて地域も多い。

多い中にここだと思って行先を決めた。

米谷の隣村の奈良市中畑町である。

中畑はこれまで神縫縄掛けやトンド焼き毘沙門会式の籠りの行事を取材したことがある。

中でもお世話になったのは水口マツリしていた二人の婦人である。

初めて取材した神縫縄掛けのときもトンド焼きの時もなにかと話してくれたⅠさんが居る。

もしかとして畑にでているかもしれないと思ってハンドルを切った。

中畑は傾斜地。

見下ろせば段々畑が美しい。



その向こうに架かる橋は名阪国道。

左カーブを曲がり切った所に五ケ谷ICがある。

そこより下れば興隆寺町から高樋町に抜ける。

登れば米谷町からここ中畑町に着く。



旧五ケ谷村の現在は奈良市精華地区に属している。

大字は先に挙げた中畑町、米谷町、興隆寺町、高樋町の他、北部の虚空蔵町、菩提山町、北椿尾町、南椿尾町からなる八カ大字村の成立は明治22年。

現町名の奈良市に編入、属したのは昭和30年になる。

稲刈りを終えたものは一本竿のハザカケにかけて干していた。



付近の稲田はもう少し期間がいるようだ。

上から見下ろす景観も素敵だが、見上げる場も良い。

上から或は下から撮るハザカケは家の真ん前に干している処もある。



稔った稲穂が垂れるラインは曲線を描く。

風景を専門に撮る人はここに彼岸花があれば尚良いというだろう。



私が撮る被写体は民俗がテーマ。

農家の方々が精魂込めて栽培している状況を伝えたい。

生業は営み。

営みに人がいると思って探してみるが見つからない。

この日は第二土曜日。

奈良県内では第二日曜が最も多いマツリがある日。

稔りの豊作物を氏神さんに供える秋のマツリだ。

ここ旧五ケ谷村においても中畑をはじめとして興隆寺、高樋、米谷にマツリがある。

各村を受け持つ神職は小刻みに駆け巡る。

どことも収穫を喜び合う日で賑わう。

そんなことを思いながら細く曲がりくねった村の急坂道を車で走る。

稔りの田園が美しい中畑。

右も左も収穫の歓びが目に映るようだ。



大きくなった柿の木にも稔りがつく。



色づき始めた柿もあれば赤身を増した柿もあるが、これらはたぶんに渋柿。

その付近にもハザカケがあった。

ひと通り拝見して道を下る。

そこにおられた親子。

ほっかむりをしていた婦人はすぐにわかった。

もんぺ姿が愛おしい婦人は嫁入りの際に持参した云十年も前の絣のもんぺも見せてくれたⅠさん。

息子さんとともに稲刈りをされていた。



昨日に刈った稲は家近くのハザに架けていたという。

そのハザ場は水口マツリをしていた場のすぐ傍の田んぼだ。

今日は朝から残っている稲田の刈りいれ。



強い風に煽られて稲田は倒れた。

倒れた稲は田んぼで水浸し。

起こさずそのままにしていたら根が出てきた。

根の成長は早く、水分がある処であればモヤシのような根が生える。



豆ならモヤシになるが、稲の実から生えてきた根はどうしようもない。

そこに置いてあるから見てみなと云われてシャッターを押す。

たしかに根が生えているし、春の苗のようにぐんぐん伸びている。

どうにもならんから一服していたという。

そんな話をしてくれるⅠさんに気になっていたサシサバはどうかと尋ねてみれば、もうしやんようになったと返された。

ところで中畑町にもマツリがある。

中畑町の氏神さんは春日神社。

明日の土曜日の夕刻はヨイミヤ。

昼は御幣切りで夕刻に八人衆が公民館でヨバレの会食。

翌日の日曜日がマツリになる。



かつては太鼓御輿が出ていたが、今では・・・ずいぶんと寂しくなったという。

(H28.10. 8 EOS40D撮影)