平成28年10月16日現在、奈良県でもなく奈良市にも文化財指定されていない大柳生の祭り。
そもそも長老や太鼓踊りを復活させたいと云っていた自治会長はどう思っているのか・・・。
こんな怒りをもってしまった大柳生の祭りである。
この日に通りがかった奈良市大柳生は祭りの最高潮。
時間的に間に合ったので立ち寄った。
祭りの場は夜支布山口神社。
今や神事が始まろうとしていた場には長老らが並んでいた。
右広庭には大勢の人たちが集まっていた。
お酒も入っているのだろう。
怒号とまではいかないが、とても賑やかな様相である。
それはともかく社殿下の拝殿である。
神輿の前に並べていた神饌御供がある。
お参りをさせていただいてはっと気がついた。
目に入ったのは豪華な盛りである。
二段の重ね餅やとても大きな生鯛にも度肝を抜かれるが、稔りの盛りである。
柿の盛りに蜜柑やバナナの盛り。
とかく目立つ色合いの盛りではなく収穫したばかりと思える野菜などの盛りである。
左奥には枝豆の盛り。
その次は土生姜の盛り。
クリにシイタケもある。
その中央辺りにあった盛りはたぶんにもぎたて柘榴である。
奈良県内の神饌御供は数々あれども柘榴はとんと見ない。
大柳生に柘榴があったことを初めて知る日であった。
神事を終えたら仮宮に向かう行列がある。
その際に配られる花笠は青空に広げるように置いていた。
その下辺りに落ちていた紫色のヒラヒラがある。
これは氏神さんに神事芸能を奉納する8人のガクウチが装着するハナガイに付いている御幣である。
御幣が落ちていることはどういうこと。
神事芸能はこれより始まる神事中に奉納される。
落ちているということはもぎ取ったということか。
それとも・・・。これは数分後にわかった。
神事に並んだガクウチの何人かがよれよれなのだ。
酒に酔っているのがわかる。
着用している装束の素襖の着こなしがとんでもない状態だった。
一目でわかる上下が逆。
いったいどういうことなのか。
しかもだ。
噂に聞いていたハナガイの装着である。
「旧木津川の地名を歩く会」がアップしている平成24年の実施模様がある。
その年、すでにハナガイはハナガイの意味を失くしていたことを知って愕然とする。
それが異様とも感じないのが実に残念なことだ。
民俗行事を知らない人たちは始めて見るそれが本当だと思ってしまうことも残念なのである。
私が大柳生の祭りを取材した年は平成18年10月15日である。
青年たち入り衆が当屋家に素晴らしい「田の草取り」と呼ぶ田楽芸を所作していた。
拝見したハナガイはまさに牛の鼻につけるハナガイと同じようにしていたのである。
この姿に感動したこともあって平成21年9月28日に発刊した初著書の『奈良大和路の年中行事』に掲載させていただいた。
一年間の大役。
「廻り明神」の祭りである大柳生の秋祭りで紹介した。
祭りはハナガイを装着するガクニンの当屋入り衆、奉納神事スモウ、当屋家で行われる祝いのセンバンに練り込む太鼓台に祭りが明けたのちに行われる当屋渡しの儀式などだ。
発刊した『奈良大和路の年中行事』の160頁から163頁を見ていただきたい。
ハナガイの装着がまったく違うことに気づいて欲しい。
この年もそうであったが、なんとなんとである。
平成29年1月のことである。
この「大柳生の宮座行事」が奈良県の無形民俗文化財に指定されたのである。
指定文化財概要文書(PDF形式)がネッ上トに公開されているので参照されたい。
ハナガイは頭にするものではない。
誤ったままのハナガイを挿入写真に掲載していること事態に憤りを感じる。
醜い状態であるにも関わらず指定したこと事態が問題である。
答申担当者もさることながら文化財審議官はどこをどう見ていたのか、はなはだ疑問ばかりである。
祭りは余興イベント的になってしまった。
ハナガイはガクウチ全員がキャップ被り。
ガクニンも人足も服装があまりにも乱れすぎ。
そう話していた地元民の女性。
「長老たちは注意することもなく、神事を神事とも思わないようにしてしまった」と嘆いていた独白が胸に残る。
(H28.10.16 EOS40D撮影)
そもそも長老や太鼓踊りを復活させたいと云っていた自治会長はどう思っているのか・・・。
こんな怒りをもってしまった大柳生の祭りである。
この日に通りがかった奈良市大柳生は祭りの最高潮。
時間的に間に合ったので立ち寄った。
祭りの場は夜支布山口神社。
今や神事が始まろうとしていた場には長老らが並んでいた。
右広庭には大勢の人たちが集まっていた。
お酒も入っているのだろう。
怒号とまではいかないが、とても賑やかな様相である。
それはともかく社殿下の拝殿である。
神輿の前に並べていた神饌御供がある。
お参りをさせていただいてはっと気がついた。
目に入ったのは豪華な盛りである。
二段の重ね餅やとても大きな生鯛にも度肝を抜かれるが、稔りの盛りである。
柿の盛りに蜜柑やバナナの盛り。
とかく目立つ色合いの盛りではなく収穫したばかりと思える野菜などの盛りである。
左奥には枝豆の盛り。
その次は土生姜の盛り。
クリにシイタケもある。
その中央辺りにあった盛りはたぶんにもぎたて柘榴である。
奈良県内の神饌御供は数々あれども柘榴はとんと見ない。
大柳生に柘榴があったことを初めて知る日であった。
神事を終えたら仮宮に向かう行列がある。
その際に配られる花笠は青空に広げるように置いていた。
その下辺りに落ちていた紫色のヒラヒラがある。
これは氏神さんに神事芸能を奉納する8人のガクウチが装着するハナガイに付いている御幣である。
御幣が落ちていることはどういうこと。
神事芸能はこれより始まる神事中に奉納される。
落ちているということはもぎ取ったということか。
それとも・・・。これは数分後にわかった。
神事に並んだガクウチの何人かがよれよれなのだ。
酒に酔っているのがわかる。
着用している装束の素襖の着こなしがとんでもない状態だった。
一目でわかる上下が逆。
いったいどういうことなのか。
しかもだ。
噂に聞いていたハナガイの装着である。
「旧木津川の地名を歩く会」がアップしている平成24年の実施模様がある。
その年、すでにハナガイはハナガイの意味を失くしていたことを知って愕然とする。
それが異様とも感じないのが実に残念なことだ。
民俗行事を知らない人たちは始めて見るそれが本当だと思ってしまうことも残念なのである。
私が大柳生の祭りを取材した年は平成18年10月15日である。
青年たち入り衆が当屋家に素晴らしい「田の草取り」と呼ぶ田楽芸を所作していた。
拝見したハナガイはまさに牛の鼻につけるハナガイと同じようにしていたのである。
この姿に感動したこともあって平成21年9月28日に発刊した初著書の『奈良大和路の年中行事』に掲載させていただいた。
一年間の大役。
「廻り明神」の祭りである大柳生の秋祭りで紹介した。
祭りはハナガイを装着するガクニンの当屋入り衆、奉納神事スモウ、当屋家で行われる祝いのセンバンに練り込む太鼓台に祭りが明けたのちに行われる当屋渡しの儀式などだ。
発刊した『奈良大和路の年中行事』の160頁から163頁を見ていただきたい。
ハナガイの装着がまったく違うことに気づいて欲しい。
この年もそうであったが、なんとなんとである。
平成29年1月のことである。
この「大柳生の宮座行事」が奈良県の無形民俗文化財に指定されたのである。
指定文化財概要文書(PDF形式)がネッ上トに公開されているので参照されたい。
ハナガイは頭にするものではない。
誤ったままのハナガイを挿入写真に掲載していること事態に憤りを感じる。
醜い状態であるにも関わらず指定したこと事態が問題である。
答申担当者もさることながら文化財審議官はどこをどう見ていたのか、はなはだ疑問ばかりである。
祭りは余興イベント的になってしまった。
ハナガイはガクウチ全員がキャップ被り。
ガクニンも人足も服装があまりにも乱れすぎ。
そう話していた地元民の女性。
「長老たちは注意することもなく、神事を神事とも思わないようにしてしまった」と嘆いていた独白が胸に残る。
(H28.10.16 EOS40D撮影)