嵩の山の神行事は1月7日。
日にちが替わった7日の夜の時間帯からお参りに来るひともいるらしい。
遅くても朝8時には村の人すべてが参っているであろうという場は八柱神社と薬師寺の裏地である。
これがそうだと云われなければ気がつかない山の神の印しは埋もれた小岩である。
家の男の数だけ作った藁ズト。
1戸について1個の餅を詰め込む藁ズトはフクダワラ(村史ではホウデン)と呼ぶ。
それを山の神の木に結びつけてぶら下げる。
その木の枝にホウソ(ナラの木)の木で作った「カギ」を引っかける。
カギを引っ張り揺らすように作法をしながら「うーちのくーらへどっさりこ」と言いながらおじいさんがしていた。
山の神に参りにくるのは今では6軒ぐらいと話してくれたのは宮総代のⅠさんだ。
ちなみに村史によれば、コウジミカンを山の神の地に立てていたようだ。
また、「カギ」引きの詞章は「東の国の銭金(ぜにかね) 西の国の糸綿(いとわた) 赤牛につけて こちの蔵へ皆ござれ 皆ござれ」であった。
嵩では春と秋に道造りをしている。
朝は村の農道で、昼は県農道。
道造りにつきものの料理は大釜で煮るオデンがある。
オデンは春であるが、秋はマツタケご飯になる。
かつてはマツタケすき焼きだった。
当時のすき焼きは牛肉よりも松茸の方が多かった。
今から40~50年前のマツタケすき焼きにイロゴハンもあった。
料理の材料費は村でもつ。
料理をするのは村の役員。
この年は9月25日の実施。
例年も9月の最終日曜日にしていた秋の道造り。
春もそうだがいずれも雨天決行である。
夏の第一日曜日は墓サラエ(浚え)。
おそらくは7日盆の墓掃除のことであろう。
盆の風習にサシサバがあった。
ちなみに嵩には主に女性で構成される薬師講がある。
この年は1月10日だった大般若行事は六百巻の大般若経を転読法要。
聞くところによれば天理市福住の別所でお会いした僧侶が来られるようだ。
なお、昭和10年までは厄年の人の餅一重村各戸配りをしていたそうだ。
(H28.10.22 EOS40D撮影)
日にちが替わった7日の夜の時間帯からお参りに来るひともいるらしい。
遅くても朝8時には村の人すべてが参っているであろうという場は八柱神社と薬師寺の裏地である。
これがそうだと云われなければ気がつかない山の神の印しは埋もれた小岩である。
家の男の数だけ作った藁ズト。
1戸について1個の餅を詰め込む藁ズトはフクダワラ(村史ではホウデン)と呼ぶ。
それを山の神の木に結びつけてぶら下げる。
その木の枝にホウソ(ナラの木)の木で作った「カギ」を引っかける。
カギを引っ張り揺らすように作法をしながら「うーちのくーらへどっさりこ」と言いながらおじいさんがしていた。
山の神に参りにくるのは今では6軒ぐらいと話してくれたのは宮総代のⅠさんだ。
ちなみに村史によれば、コウジミカンを山の神の地に立てていたようだ。
また、「カギ」引きの詞章は「東の国の銭金(ぜにかね) 西の国の糸綿(いとわた) 赤牛につけて こちの蔵へ皆ござれ 皆ござれ」であった。
嵩では春と秋に道造りをしている。
朝は村の農道で、昼は県農道。
道造りにつきものの料理は大釜で煮るオデンがある。
オデンは春であるが、秋はマツタケご飯になる。
かつてはマツタケすき焼きだった。
当時のすき焼きは牛肉よりも松茸の方が多かった。
今から40~50年前のマツタケすき焼きにイロゴハンもあった。
料理の材料費は村でもつ。
料理をするのは村の役員。
この年は9月25日の実施。
例年も9月の最終日曜日にしていた秋の道造り。
春もそうだがいずれも雨天決行である。
夏の第一日曜日は墓サラエ(浚え)。
おそらくは7日盆の墓掃除のことであろう。
盆の風習にサシサバがあった。
ちなみに嵩には主に女性で構成される薬師講がある。
この年は1月10日だった大般若行事は六百巻の大般若経を転読法要。
聞くところによれば天理市福住の別所でお会いした僧侶が来られるようだ。
なお、昭和10年までは厄年の人の餅一重村各戸配りをしていたそうだ。
(H28.10.22 EOS40D撮影)