山添村室津から京都府木津川市の加茂町岩船を取材してきた。
その道中に素通りした奈良市須川町。
須川信号の角地に白いものが見えた。
それはなんだろうか。
もしかとして祭礼の道具であるかも。
何であるのか、確かめたくて戻った。
それは紛れもない幣であった。
砂盛りした所にビニールパイプを立てている。
そこに挿した幣はサカキ。
萎れぐあいから計算して一週間前を想定した。
須川には戸隠神社がある。
この信号よりそれほど遠くない位置に鎮座する。
この場はもしかとすればお旅所ではないだろうか。
柴垣に囲まれた様相から想定できる神聖な地に御幣を立てる。
秋祭りにお渡りがあったのか存じ上げないが、十年ほど前にたまたま通りがかったときに祭りを終えて片づけていた神職がおられた。
神職はなんとなく村神主のように思えた。
帰宅してから調べてみれば秋祭典におけるお渡りに行幸したお旅所の神事のようだ。
かつては当家制度もあったが現在は廃止されているようだ。
拝読した史料は平成26年3月に奈良県教育委員会の編集・発刊した『奈良県の民俗芸能―奈良県民俗芸能緊急調査報告書』。
戸隠神社からお旅所までの参道で稚児が弓を射るマトウチ(流鏑馬)があると記していた。
また、神事スモウもあるらしく、それは土俵を設えた神社境内で行われていると書いてあった。
報告書の調査年は平成24年。
現況はあまり替わっていないように思える祭礼は来年にお願いするとして行事日はいつか、である。
現在は祝日の体育の日であるが、元々の祭礼は旧暦九月六日であった。
近代になってからは10月17日であった。
その後の平成18年に体育の日に移したとあるが、神事スモウは祭礼が終わった数日後に行われているようである。
当家制度は廃れたようだが、大座、助郎座、今座、新座の四つの宮座がある。
特に祭礼のお渡りに於ける配役は四座が担っている。
その配役を決める日は10月1日の御幣切り。
また、猿田彦にお渡りを検知する陣配見張り役というのがあるそうだ。
(H28.10.16 EOS40D撮影)
その道中に素通りした奈良市須川町。
須川信号の角地に白いものが見えた。
それはなんだろうか。
もしかとして祭礼の道具であるかも。
何であるのか、確かめたくて戻った。
それは紛れもない幣であった。
砂盛りした所にビニールパイプを立てている。
そこに挿した幣はサカキ。
萎れぐあいから計算して一週間前を想定した。
須川には戸隠神社がある。
この信号よりそれほど遠くない位置に鎮座する。
この場はもしかとすればお旅所ではないだろうか。
柴垣に囲まれた様相から想定できる神聖な地に御幣を立てる。
秋祭りにお渡りがあったのか存じ上げないが、十年ほど前にたまたま通りがかったときに祭りを終えて片づけていた神職がおられた。
神職はなんとなく村神主のように思えた。
帰宅してから調べてみれば秋祭典におけるお渡りに行幸したお旅所の神事のようだ。
かつては当家制度もあったが現在は廃止されているようだ。
拝読した史料は平成26年3月に奈良県教育委員会の編集・発刊した『奈良県の民俗芸能―奈良県民俗芸能緊急調査報告書』。
戸隠神社からお旅所までの参道で稚児が弓を射るマトウチ(流鏑馬)があると記していた。
また、神事スモウもあるらしく、それは土俵を設えた神社境内で行われていると書いてあった。
報告書の調査年は平成24年。
現況はあまり替わっていないように思える祭礼は来年にお願いするとして行事日はいつか、である。
現在は祝日の体育の日であるが、元々の祭礼は旧暦九月六日であった。
近代になってからは10月17日であった。
その後の平成18年に体育の日に移したとあるが、神事スモウは祭礼が終わった数日後に行われているようである。
当家制度は廃れたようだが、大座、助郎座、今座、新座の四つの宮座がある。
特に祭礼のお渡りに於ける配役は四座が担っている。
その配役を決める日は10月1日の御幣切り。
また、猿田彦にお渡りを検知する陣配見張り役というのがあるそうだ。
(H28.10.16 EOS40D撮影)