朝8時に一番太鼓を打って座祭りに供える饗(きよう)の膳を作ると聞いて山添村の大字大西を訪れた。
饗の膳の主役はシンコモチを頂点に載せた赤飯饗(せきはんきよう)と白飯饗の2品。
これを拝見したくて取材願いをしたのは写真家Kさんだ。
予め訪れて山添村観光協会局長にお願いしたところ大字大西の大当家を紹介してもらった。
取材の承諾を得てこの日に訪れたのである。
調理した饗の膳を盛りつけるのは大当家と相当家の婦人方。
次の年を担うことになっている婦人も予備学習に手伝っていた。
盛り付けを拝見しているのは区長さんに両当家である。
赤飯饗、白飯饗はお椀に盛って逆さにした円錐型。
予め作っておいた。
ナスビとシイタケにサトイモの煮しめ。
ダイコンやサヤマメにダイコン、結びコンニャクなどもそれぞれ煮たもの。
茹でた頭付きのエビもある。
この他に生の鰯もある。
これらの黒塗りの椀に盛りつける。
高膳も黒塗り。
祝いの膳は黒一色である。
そこに載せる桧葉がある。
ヒノキの葉だからヒバである。
饗の飯がくっつかないように皿代わりのヒバを敷く。
二尾の鰯も同じようにヒバを敷いたところに載せる。
手前に添えるのは一膳の箸。
杉材の箸もあればその横に木片もある。
斜めにカットしている形から刃物のようにも思えるが、そうではなく楊子である。
この楊子の形、大きさともは隣村の大字春日のオトナ祭り(若宮祭)の饗応膳と同じである。
これまでずっと刀と思い込んでいたが・・・。
作り終えて八王子神社に運んで供える大当家の後方に見られる黒字染めの白い幕がある。
中央に扁額も描いた文字は八王子神社。
その左右にある紋様は牛玉の宝印である。
大きな牛玉の宝印に三つの炎がある。
牛玉の宝印といえばごーさん札である。
ごーさんに押す朱印は牛玉の宝印。
その形をあしらっていた。
会所は旧極楽寺。
正月初めの6日にオコナイが行われる。
春日の不動院住職がオコナイの法要に神名帳詠みやオリン鳴らし机叩きのランジョーをされる。
その日に初祈祷されるハゼウルシに挟んだごーさん札が床の間に置いてあった。
村人の話しによれば正月初めに同寺で行われる初祈祷されたお札であった。
早朝に大字春日の不動院住職が来られて祈祷法要をされる。
話しを参拝、神事を斎行される八王子神社に戻そう。
大当家が運んだ高膳盛りの本膳・饗の飯は八王子神社の祭壇に供える。
三尾の生鮎に丸餅のように形成したシンコ餅(シンコダンゴとも)、祝い昆布、洗米、お神酒、水、塩、ゴボウ、葉付きダイコン、シイタケ、海苔に果物などの神饌は予め供えておく。
現在は生鮎であるが、かつては生きた鯉だった。
神事中に鯉が跳ねないように紙片を眼にあてておとなしくさせていた。
また、今ではシイタケであるが、かつてはマツタケだったと話す。
なお、八王子神社の左にある社は津島神社である。
こうして始まる本祭に合図がある。
1番太鼓は朝8時。
本祭の始まりであるが、そのときより本膳の盛り付けならびに八王子神社に供える神饌ものの準備である。
準備が整ったところで打ち鳴らす2番太鼓は朝8時半。
呼び出し太鼓を打つ時間は決まっている。
ちなみに打つ回数はだいたいが5回のようだ。
この日は小雨の祭り日。
八王子神社にはテントを設えた内部で神事が行われる。
定刻時間は8時45分。
上老人(かみのおとな)によって祝詞を奏上される。
実はそれより2時間ほど前は宵宮祭を行っていた。
7時過ぎに集まって本祭同様に上老人が祝詞を奏上する。
宵宮祭に供えた神饌御供のすべてを下げて本祭の神饌を供えていたそうだ。
神饌の違いは二つ。
本膳の饗の飯はもちろんであるが、宵宮は鮎ではなく一尾の鯖であった。
また、宵宮祭の直会膳に塩もみ一重の大根葉や煮しめ料理もあったが、改正されて現在はその献立はないようだ。
こうした宵宮祭を終えた一行は旧極楽寺でもある会所で直会をしていた。
酒杓子に注ぐ燗の酒。
当家は上座に座る上老人に「酒を出してよいでしょうか」と尋ねて「出してくれ」と云われてから一老、二老の前に進み出る。
お重を置いてから酒杯に移る。
酒を飲む。
頃合いを見計らって上老人に「お神酒を下げてよろしいでしょうか」に尋ねる。
「よろしい」と云われたらお神酒をヤカンの酒に混ぜて燗をする。
献の直会をこうして終えた直後に訪れていたのであった。
平成20年までの直会は煮しめや大根葉があった。
これを廃してジャコとチクワの直会食になった。
お菓子、饅頭接待もあったが、これも廃したそうだ。
さて、本祭を終えた上老人、当家はその場で本祭の直会。
御供下げしたスルメや昆布でお神酒をいただく。
氏子たちは境内下で同じように直会をする。
その間には境内下で待っていた婦人たちも八王子神社に登って参拝していた。
こうして八王子神社の本祭を終えたら会所にあがる。
最長老四人衆の上老人は上座に並ぶ。
長老以下の61歳以上の人のすべては老人(おとな)と呼ぶ。
村入りした村の男たちは17歳になれば座入りする。
それを記帳した『座祭典下り記帳』がある。
まずは区長が中央に座って名前を読みあげる。
『座祭典下り記帳』に沿って読みあげた名前を告げられてから席につく。
上老人も、老人も次々に読上げられたら「ハイ」と応えて動く。
欠席の人も読上げる。
読上げられた人たちは中央を一番に二番は左席、三番は右席の順で席につく。
以下順に左、右、左、右の順に席につく。
こうして全員の名を告げた『座祭典下り記帳』は上老人が座る席に置いて区長は下がる。
この『座祭典下り記帳』は回覧される。
これより始まる大当家、相当家の引き渡し儀式の前に行われる記帳検分である。
検分を終えて下座に着いた大当家はお礼と当家渡しの始まりの口上を述べる。
「ご一同さま、本日は八王子神社の祭典が行われます。おめでとうございます。早朝よりご参集いただきありがとうございます。また、本日は八王子神社の祭典に区よりご神酒をいただきました。ありがとうございました。当家渡しの儀式が行われるまで、みなさま方、ご歓談をよろしくお願いします」だった。
当家が上老人の前に出て儀式を始める断りを述べる。
「当家渡しをしてもよろしいいでしょうか」と尋ねれば「どうぞしてください」と伝えられてから下がる。
当家の引き渡しに「渡し膳」がある。
膳にヒバを敷く。
その上に生の鰯を二尾載せる。
朱塗りの盃は三枚。
下から大、中、小の大きさであるが大きくもない。
酒杓子も添えた膳をもって出る手伝いの与力とともに上老人の前に出る大当家。
鰯は上老人から見て頭が右になるように載せている。
膳を中央に両者が向かい合う。
まずは盃を手にする上老人。
そこに神酒を注ぐ。
一口で飲み干して懐紙で盃を拭く。
今度は大当家の番になる。
同じ盃を手にして神酒を注ぐ。
一口で飲み干して懐紙で拭う。
次の返杯は上老人に戻る。
「渡し膳」はその都度に膳を回して神酒をいただく人から見て鰯の頭が右になるようにする。
そして、上老人が述べる口上は「本年度の八王子神社祭典の大当家、無事にあいすみましたことご報告します。ご苦労さまでございました」と礼を述べる。
こうして大当家の献が終わる。
膳を抱えて下座に戻る。
次に登場するのはこれより次年度の大当家を引き受ける人である。
新しく載せ替えた鰯の渡し膳をもつ手伝いの与力とともに進み出る。
神酒の献も同じように三杯。
上老人、受け大当家、上老人の順で神酒を飲み干す。
そして上老人が述べる口上は「次年度の八王子神社祭典の大当家をしていただきます」と伝えられて下がる。
下座についた次の大当家に対して上老人が口上を述べる。
「今年度の八王子神社祭典に大当家を受けていただきます。よろしくお願いします」に対して受けた大当家は「ご一同さまに、来年度の八王子神社祭典に大当家を私が務めさせてもらいます。何卒、よろしくお願いします」と応えたら、一同は揃って「よろしくお願いします」と述べて頭を下げる。
こうして受けの大当家が決まれば、これまで務めた大当家が挨拶を述べる。
「ご一同さんに、本年度の八王子神社祭典の大当家を務めさせていただきました。みなさんのおかげであいすませていただきました。ありがとうございました」と礼を述べて下がる。
次に登場するのは今年度の祭典を務めた相当家。
鰯はこれもまた新しく載せ替えた渡し膳をもう一人の手伝いの与力に替わって上老人の前にでる。
出向いた上老人は二老に替わる。
盃を手にする上老人に注ぐ酒は三度注ぎ。
これを退く相当家も三度注ぎ。
再び戻って上老人も三度注ぎ。神酒をいただくときも口は三度。
一口、二口の三口目は一気に飲み干す。
いわゆる三献の儀の酒杯の作法である。
上老人は「本年度、八王子神社祭典の相当家をお願いしましたところ、無事、目出度く済まさせていただきました。ありがとうございます。」と正面に座る相当家に向けてお礼を述べる。
下座についたときも同じように口上を述べるがご一同に対してである。
「ご一同さまに、本年度の八王子神社祭典の相当家をお願いしましたところ、無事、目出度く済まさせていただきました。ありがとうございました」と礼を述べる。
そしてこれまで務めた相当家が挨拶を述べる。
「ご一同さまに、本年度の八王子神社の相当家をお受けさせていただき、みなさま方のご協力をいただきまして、無事にまっとうさせていただくことができました。ほんとにありがとうございました」と礼を述べて席を外した。
最後に登場するのは受けの相当家。
先ほどに上座で口上を述べていた上老人の二老であった。
立場は上老人であるが、受けの相当家を務めることになった。
下座についてから上座に出向く。
受ける上老人も長老。
おそらく順番からいえば三老であろう。
上老人、受け相当家、上老人の順で神酒を飲み干す三献の作法である。
次もこれまでと同じく「・・・相当家をお願いします・・」といえば受け相当家は「本日、相当家は療養中の身、欠席とあいなるため代理の与力(上老人)が代わりとなりまして務めさせていただきますのでよろしくお願いします」と挨拶された。
一同は揃って「よろしくお願いします」と述べて頭を下げる。
やむない事情もあるが、こうして大当家、相当家は八王子神社祭典の当家受けをされたのである。
まことに厳格な儀式をもって両当家は受けて務めることになったのである。
両当家は年齢順の廻り。
大西の戸数は30戸であるから15年に一度の廻りになるそうだ。
これをもって大西の座は酒宴の直会に移る。
上座に座る上老人席の前には八王子神社に供えた本膳・饗の飯が置かれる。
そして酒杯を上老人に渡されて神酒を注ぐ。
一口飲んで、手伝いの与力は左右それぞれに分かれて座中にも同じように酒杯をして飲んでもらう。
これを「流れ酒」と呼ぶ。
このときは儀式で緊張していたが、うってかわって気を許した座中は声もでる。
ひと通り飲み干したら座も賑やかさを取り戻す。
ほっとした場にパック詰め料理の膳を座中席に配っていく。
準備が整えば受け大当家が「直会の準備が整いました。ごゆっくりお召し上がりください」と申し上げて始まる。
しばらくは杓が進む最中に当家は上老人に、本膳の品々を下げて、座中に分けてもいいか尋ねる。
許しがでれば「渡し膳」の鰯も下げて焼く。
焼き終わった鰯は上老人に食べていただく。
一老から右の座中。
二老からは左の座中それぞれに回す。
本膳の海老は皮を剥いて四つ切。
四人の上老人に食べていただく。
煮しめのシイタケ、コンニャクに白飯、赤飯などは少量ずつに分けて座中に配られて酒宴の直会に移った。
(H28.10. 9 EOS40D撮影)
饗の膳の主役はシンコモチを頂点に載せた赤飯饗(せきはんきよう)と白飯饗の2品。
これを拝見したくて取材願いをしたのは写真家Kさんだ。
予め訪れて山添村観光協会局長にお願いしたところ大字大西の大当家を紹介してもらった。
取材の承諾を得てこの日に訪れたのである。
調理した饗の膳を盛りつけるのは大当家と相当家の婦人方。
次の年を担うことになっている婦人も予備学習に手伝っていた。
盛り付けを拝見しているのは区長さんに両当家である。
赤飯饗、白飯饗はお椀に盛って逆さにした円錐型。
予め作っておいた。
ナスビとシイタケにサトイモの煮しめ。
ダイコンやサヤマメにダイコン、結びコンニャクなどもそれぞれ煮たもの。
茹でた頭付きのエビもある。
この他に生の鰯もある。
これらの黒塗りの椀に盛りつける。
高膳も黒塗り。
祝いの膳は黒一色である。
そこに載せる桧葉がある。
ヒノキの葉だからヒバである。
饗の飯がくっつかないように皿代わりのヒバを敷く。
二尾の鰯も同じようにヒバを敷いたところに載せる。
手前に添えるのは一膳の箸。
杉材の箸もあればその横に木片もある。
斜めにカットしている形から刃物のようにも思えるが、そうではなく楊子である。
この楊子の形、大きさともは隣村の大字春日のオトナ祭り(若宮祭)の饗応膳と同じである。
これまでずっと刀と思い込んでいたが・・・。
作り終えて八王子神社に運んで供える大当家の後方に見られる黒字染めの白い幕がある。
中央に扁額も描いた文字は八王子神社。
その左右にある紋様は牛玉の宝印である。
大きな牛玉の宝印に三つの炎がある。
牛玉の宝印といえばごーさん札である。
ごーさんに押す朱印は牛玉の宝印。
その形をあしらっていた。
会所は旧極楽寺。
正月初めの6日にオコナイが行われる。
春日の不動院住職がオコナイの法要に神名帳詠みやオリン鳴らし机叩きのランジョーをされる。
その日に初祈祷されるハゼウルシに挟んだごーさん札が床の間に置いてあった。
村人の話しによれば正月初めに同寺で行われる初祈祷されたお札であった。
早朝に大字春日の不動院住職が来られて祈祷法要をされる。
話しを参拝、神事を斎行される八王子神社に戻そう。
大当家が運んだ高膳盛りの本膳・饗の飯は八王子神社の祭壇に供える。
三尾の生鮎に丸餅のように形成したシンコ餅(シンコダンゴとも)、祝い昆布、洗米、お神酒、水、塩、ゴボウ、葉付きダイコン、シイタケ、海苔に果物などの神饌は予め供えておく。
現在は生鮎であるが、かつては生きた鯉だった。
神事中に鯉が跳ねないように紙片を眼にあてておとなしくさせていた。
また、今ではシイタケであるが、かつてはマツタケだったと話す。
なお、八王子神社の左にある社は津島神社である。
こうして始まる本祭に合図がある。
1番太鼓は朝8時。
本祭の始まりであるが、そのときより本膳の盛り付けならびに八王子神社に供える神饌ものの準備である。
準備が整ったところで打ち鳴らす2番太鼓は朝8時半。
呼び出し太鼓を打つ時間は決まっている。
ちなみに打つ回数はだいたいが5回のようだ。
この日は小雨の祭り日。
八王子神社にはテントを設えた内部で神事が行われる。
定刻時間は8時45分。
上老人(かみのおとな)によって祝詞を奏上される。
実はそれより2時間ほど前は宵宮祭を行っていた。
7時過ぎに集まって本祭同様に上老人が祝詞を奏上する。
宵宮祭に供えた神饌御供のすべてを下げて本祭の神饌を供えていたそうだ。
神饌の違いは二つ。
本膳の饗の飯はもちろんであるが、宵宮は鮎ではなく一尾の鯖であった。
また、宵宮祭の直会膳に塩もみ一重の大根葉や煮しめ料理もあったが、改正されて現在はその献立はないようだ。
こうした宵宮祭を終えた一行は旧極楽寺でもある会所で直会をしていた。
酒杓子に注ぐ燗の酒。
当家は上座に座る上老人に「酒を出してよいでしょうか」と尋ねて「出してくれ」と云われてから一老、二老の前に進み出る。
お重を置いてから酒杯に移る。
酒を飲む。
頃合いを見計らって上老人に「お神酒を下げてよろしいでしょうか」に尋ねる。
「よろしい」と云われたらお神酒をヤカンの酒に混ぜて燗をする。
献の直会をこうして終えた直後に訪れていたのであった。
平成20年までの直会は煮しめや大根葉があった。
これを廃してジャコとチクワの直会食になった。
お菓子、饅頭接待もあったが、これも廃したそうだ。
さて、本祭を終えた上老人、当家はその場で本祭の直会。
御供下げしたスルメや昆布でお神酒をいただく。
氏子たちは境内下で同じように直会をする。
その間には境内下で待っていた婦人たちも八王子神社に登って参拝していた。
こうして八王子神社の本祭を終えたら会所にあがる。
最長老四人衆の上老人は上座に並ぶ。
長老以下の61歳以上の人のすべては老人(おとな)と呼ぶ。
村入りした村の男たちは17歳になれば座入りする。
それを記帳した『座祭典下り記帳』がある。
まずは区長が中央に座って名前を読みあげる。
『座祭典下り記帳』に沿って読みあげた名前を告げられてから席につく。
上老人も、老人も次々に読上げられたら「ハイ」と応えて動く。
欠席の人も読上げる。
読上げられた人たちは中央を一番に二番は左席、三番は右席の順で席につく。
以下順に左、右、左、右の順に席につく。
こうして全員の名を告げた『座祭典下り記帳』は上老人が座る席に置いて区長は下がる。
この『座祭典下り記帳』は回覧される。
これより始まる大当家、相当家の引き渡し儀式の前に行われる記帳検分である。
検分を終えて下座に着いた大当家はお礼と当家渡しの始まりの口上を述べる。
「ご一同さま、本日は八王子神社の祭典が行われます。おめでとうございます。早朝よりご参集いただきありがとうございます。また、本日は八王子神社の祭典に区よりご神酒をいただきました。ありがとうございました。当家渡しの儀式が行われるまで、みなさま方、ご歓談をよろしくお願いします」だった。
当家が上老人の前に出て儀式を始める断りを述べる。
「当家渡しをしてもよろしいいでしょうか」と尋ねれば「どうぞしてください」と伝えられてから下がる。
当家の引き渡しに「渡し膳」がある。
膳にヒバを敷く。
その上に生の鰯を二尾載せる。
朱塗りの盃は三枚。
下から大、中、小の大きさであるが大きくもない。
酒杓子も添えた膳をもって出る手伝いの与力とともに上老人の前に出る大当家。
鰯は上老人から見て頭が右になるように載せている。
膳を中央に両者が向かい合う。
まずは盃を手にする上老人。
そこに神酒を注ぐ。
一口で飲み干して懐紙で盃を拭く。
今度は大当家の番になる。
同じ盃を手にして神酒を注ぐ。
一口で飲み干して懐紙で拭う。
次の返杯は上老人に戻る。
「渡し膳」はその都度に膳を回して神酒をいただく人から見て鰯の頭が右になるようにする。
そして、上老人が述べる口上は「本年度の八王子神社祭典の大当家、無事にあいすみましたことご報告します。ご苦労さまでございました」と礼を述べる。
こうして大当家の献が終わる。
膳を抱えて下座に戻る。
次に登場するのはこれより次年度の大当家を引き受ける人である。
新しく載せ替えた鰯の渡し膳をもつ手伝いの与力とともに進み出る。
神酒の献も同じように三杯。
上老人、受け大当家、上老人の順で神酒を飲み干す。
そして上老人が述べる口上は「次年度の八王子神社祭典の大当家をしていただきます」と伝えられて下がる。
下座についた次の大当家に対して上老人が口上を述べる。
「今年度の八王子神社祭典に大当家を受けていただきます。よろしくお願いします」に対して受けた大当家は「ご一同さまに、来年度の八王子神社祭典に大当家を私が務めさせてもらいます。何卒、よろしくお願いします」と応えたら、一同は揃って「よろしくお願いします」と述べて頭を下げる。
こうして受けの大当家が決まれば、これまで務めた大当家が挨拶を述べる。
「ご一同さんに、本年度の八王子神社祭典の大当家を務めさせていただきました。みなさんのおかげであいすませていただきました。ありがとうございました」と礼を述べて下がる。
次に登場するのは今年度の祭典を務めた相当家。
鰯はこれもまた新しく載せ替えた渡し膳をもう一人の手伝いの与力に替わって上老人の前にでる。
出向いた上老人は二老に替わる。
盃を手にする上老人に注ぐ酒は三度注ぎ。
これを退く相当家も三度注ぎ。
再び戻って上老人も三度注ぎ。神酒をいただくときも口は三度。
一口、二口の三口目は一気に飲み干す。
いわゆる三献の儀の酒杯の作法である。
上老人は「本年度、八王子神社祭典の相当家をお願いしましたところ、無事、目出度く済まさせていただきました。ありがとうございます。」と正面に座る相当家に向けてお礼を述べる。
下座についたときも同じように口上を述べるがご一同に対してである。
「ご一同さまに、本年度の八王子神社祭典の相当家をお願いしましたところ、無事、目出度く済まさせていただきました。ありがとうございました」と礼を述べる。
そしてこれまで務めた相当家が挨拶を述べる。
「ご一同さまに、本年度の八王子神社の相当家をお受けさせていただき、みなさま方のご協力をいただきまして、無事にまっとうさせていただくことができました。ほんとにありがとうございました」と礼を述べて席を外した。
最後に登場するのは受けの相当家。
先ほどに上座で口上を述べていた上老人の二老であった。
立場は上老人であるが、受けの相当家を務めることになった。
下座についてから上座に出向く。
受ける上老人も長老。
おそらく順番からいえば三老であろう。
上老人、受け相当家、上老人の順で神酒を飲み干す三献の作法である。
次もこれまでと同じく「・・・相当家をお願いします・・」といえば受け相当家は「本日、相当家は療養中の身、欠席とあいなるため代理の与力(上老人)が代わりとなりまして務めさせていただきますのでよろしくお願いします」と挨拶された。
一同は揃って「よろしくお願いします」と述べて頭を下げる。
やむない事情もあるが、こうして大当家、相当家は八王子神社祭典の当家受けをされたのである。
まことに厳格な儀式をもって両当家は受けて務めることになったのである。
両当家は年齢順の廻り。
大西の戸数は30戸であるから15年に一度の廻りになるそうだ。
これをもって大西の座は酒宴の直会に移る。
上座に座る上老人席の前には八王子神社に供えた本膳・饗の飯が置かれる。
そして酒杯を上老人に渡されて神酒を注ぐ。
一口飲んで、手伝いの与力は左右それぞれに分かれて座中にも同じように酒杯をして飲んでもらう。
これを「流れ酒」と呼ぶ。
このときは儀式で緊張していたが、うってかわって気を許した座中は声もでる。
ひと通り飲み干したら座も賑やかさを取り戻す。
ほっとした場にパック詰め料理の膳を座中席に配っていく。
準備が整えば受け大当家が「直会の準備が整いました。ごゆっくりお召し上がりください」と申し上げて始まる。
しばらくは杓が進む最中に当家は上老人に、本膳の品々を下げて、座中に分けてもいいか尋ねる。
許しがでれば「渡し膳」の鰯も下げて焼く。
焼き終わった鰯は上老人に食べていただく。
一老から右の座中。
二老からは左の座中それぞれに回す。
本膳の海老は皮を剥いて四つ切。
四人の上老人に食べていただく。
煮しめのシイタケ、コンニャクに白飯、赤飯などは少量ずつに分けて座中に配られて酒宴の直会に移った。
(H28.10. 9 EOS40D撮影)