久御山(くみやま)町は京都府久世郡の久御山町。
旧村を囲むように新町が膨れ上がった。
団地もある佐ここら辺りの神社は2社。
1社は佐山双栗に鎮座する雙栗(さぐり)神社。
1月15日に行われる御神差とも呼ばれる粥占神事や8月31日の八朔祭りをしているようだ。
もう1社は佐古内屋敷に鎮座する若宮八幡宮がある。
この年の6月4日に拝見した御供作り。
野神に供えられる御供調製の一部始終を拝見させていただいた。
その際に宮総代のYさんが話してくれた若宮八幡宮の年中行事である。
その一つであるお千度の名もある千燈明を灯す行事に興味をもった。
行事の正式名称は放生祭である。
宵宮とは本祭の両日に行われる。
都合、14日の宵宮に訪れた若宮八幡宮である。
放生祭の主役は子どもたち。
この日の宵宮は宮総代らに親子連れでやってきた60人もの参詣者で境内の千燈明が美しく光り輝いていた。
子どもたちは30人。
とても賑やかな放生祭になったことを先に触れておく。
本社殿、拝殿、境内など、それぞれに燭台を据えていた。
鳥居を潜った境内が数多い。
1脚の燭台に灯す蝋燭台の数は38もある。
長めの燭台の数は68もある。
やや短い燭台でも28。
境内だけでも134。
鳥居の前にもある燭台も数えてみれば124本立てと16本立て。
合計すれば274本にもなる。
それぞれが長さを測って作った手作りの木製燭台。
予め挿してあった蝋燭の数に圧倒されるが、燭台はまだある。
境内の燭台は高さを子どもに合わせた下段も入れた2段型。
それに対して拝殿の両脇の棚に据えた燭台は上下に3段。
一段が14灯だから42灯。
二つ合わせて84灯。
これらすべて合計しても蝋燭は358灯。
千燈明の呼び名もある蝋燭灯しの放生祭は半分も満たない。
実は、千燈明の呼び名もあるが、千の数の蝋燭を灯すわけではない。
それほど多いということである。
ちなみに数が少ない百灯明の名がある行事もあるが、これもまた百灯に満たない。
千よりは少ないが、まま多く灯す在り方である。
また、百より、千より多い万灯籠もある。
これもまた「万」の数ほどに多いという意をもつ燈籠の火灯しである。
本社殿の燭台の蝋燭に火を灯したら子どもたちの出番である。
社殿階段下に置いた箱がある。
その箱には長年使われてきた竹串がある。
色褪せた竹の色。
風合いから一挙に作られたものではないような気がする。
かなりの年数を経ている風合い。
子どもたちが握った汗が染みているのかもしれないその竹に墨書。
判読できないくらいに色褪せ。
寄進者の名前が書かれてあったのだろう。
数はどれくらいであろうか。
相当な数だと思ったその竹串を手にした子供は駆けていった。
本社殿の周りを反時計廻りに走っていった子どもは一周して社殿前に戻ってきた。
それで終わりかと思えば、そうではない。
そのまま駆け抜けていくわけでもなく、一本の竹を箱に戻したのだ。
そうして再び走り出した子ども。
本社殿を反時計廻りにまた戻ってきた。
一体、何周するのだろうか。
宮総代らの話しによれば、走る子どもの年齢に1歳プラスした数を周回するということだった。
そういうわけで1歳児であれば2周。
3歳児なら4周である。
年齢プラス1周した子どもは本社殿に向かって手を合わせて拝礼。
当たり年の数だけ周回するこの行為がお千度参りであろう。
お千度といっても千回も周回するわけではない。
お百度参りなら百往復する願掛け行為であるが、お千度は、それほど数多く参るということである。
ただ、子どもの年齢で数多くといってもそれほどでもないが、宮総代がいうには本来は百回廻りだったという。
つまりはお百度参りであるが、いつしか年齢の数になったようだ。
男の子が駆けぬけたお千度参り。
次に走り出した女の子も早い。
やがて小さな子どもたちも兄ちゃん、姉ちゃんを見習って駆けていくだろう。
「お千度」の響きでいつも思い出すのが、おばあさんが孫を叱る台詞だ。
小さいころ、よく言われたのが、「まこと、せんどいうてもわからんのか・・・」って。
“せんどいうても・・”というのは、、なんぼいうても(※たくさんの意)聞きよらん、というようなことだ。
つまり“せんど”とは“千度”。
多いということだ。“なんぼ、いわなあかんのや・・”と云われて叱られたことが、私の記憶の片隅に残っている。
それにしても暗がりに駆け抜ける子どもの姿はとらえ難い。
あまりにも早すぎる走り。
ピンはブレブレである。
適正に設定したとしても、駆け抜ける子どもの早さに暗がりが、シャッタースピードと同期してくれようもない。
十数人ぐらい駆けていたので、ままチャンスはあったが、思うような映像が出現してくれない所有カメラの限界。
なにが限界といえばISOである。
所持するカメラはEOS40D。
ISO1600以上の設定はない。
せめてISO6400程度は欲しいものだが・・。
お千度に駆け回る子どももおれば、設えた千燈明に火点けをする子どももいる。
場所が離れているから両方とも一枚の映像に収めるには無理がある。
八幡宮から拝殿通路から境内にかけて繋がる燭台に始めの火を灯すのは宮総代。
続いて子どもたちや、親子連れできた参拝者も点けている。
ところが今宵はやや強い風が吹き抜ける。
本社殿に拝殿通路は風の通り道になっていないからまだしも、境内に設営した燭台はまともにあたる風。
舞う風に点けては消える、点けては消える、の繰り返しはイタチごっこ。
「例年でしたら、ぜーんぶの蝋燭に火が点いて、そりゃもう、壮観になっているんやけどなぁ・・・」とぼやいていても始まらない。
そう、思って一人の宮総代が動き出した。
公民館にあった紙コップに挟みを入れて細工した。
金属製の蝋燭立て芯を紙コップの底面に串挿し。
風に煽られて倒れないように固定したら火を点けた。
手軽に作った風防がお役に立つが、境内の燭台数は274台。
今から作っても到底間に合わない。
次回、というか明日もまた風吹く日なら作ってみようかと・・今夜の作業は諦めた。
いずれにしても大勢の参拝者が詰めかける。
火点けの蝋燭1本を受け取って、予め立てていた蝋燭に点けて廻る。
ほぼ全灯した拝殿通路は煌々として明るくなった。
若いおばあちゃんに連れられた幼子も火点け。
子どもたちも火点け。
親たちも火点けに廻る火の点いた蝋燭はそのまま手で持つわけにはいかない。
蠟でもたれたら火傷する。
それを補助する道具は芯を尖らせたペンシルのような形の補助具である。
宮総代が手作りした補助道具は子どもたちに優しい道具になった。
子どもたちは総勢で30人。
若いご両親に若いおばあさん、お爺さんに宮総代らも入れた60人もの人たちで大にぎわいになった。
ちなみに野神祭りのマコモ造りの取材に来ていた二人の男性は、今夜も地元行事の取材。
積極的に取材したその広報は地元に広げていることだろう。
(H29. 9.14 SB932SH撮影)
(H29. 9.14 EOS40D撮影)
旧村を囲むように新町が膨れ上がった。
団地もある佐ここら辺りの神社は2社。
1社は佐山双栗に鎮座する雙栗(さぐり)神社。
1月15日に行われる御神差とも呼ばれる粥占神事や8月31日の八朔祭りをしているようだ。
もう1社は佐古内屋敷に鎮座する若宮八幡宮がある。
この年の6月4日に拝見した御供作り。
野神に供えられる御供調製の一部始終を拝見させていただいた。
その際に宮総代のYさんが話してくれた若宮八幡宮の年中行事である。
その一つであるお千度の名もある千燈明を灯す行事に興味をもった。
行事の正式名称は放生祭である。
宵宮とは本祭の両日に行われる。
都合、14日の宵宮に訪れた若宮八幡宮である。
放生祭の主役は子どもたち。
この日の宵宮は宮総代らに親子連れでやってきた60人もの参詣者で境内の千燈明が美しく光り輝いていた。
子どもたちは30人。
とても賑やかな放生祭になったことを先に触れておく。
本社殿、拝殿、境内など、それぞれに燭台を据えていた。
鳥居を潜った境内が数多い。
1脚の燭台に灯す蝋燭台の数は38もある。
長めの燭台の数は68もある。
やや短い燭台でも28。
境内だけでも134。
鳥居の前にもある燭台も数えてみれば124本立てと16本立て。
合計すれば274本にもなる。
それぞれが長さを測って作った手作りの木製燭台。
予め挿してあった蝋燭の数に圧倒されるが、燭台はまだある。
境内の燭台は高さを子どもに合わせた下段も入れた2段型。
それに対して拝殿の両脇の棚に据えた燭台は上下に3段。
一段が14灯だから42灯。
二つ合わせて84灯。
これらすべて合計しても蝋燭は358灯。
千燈明の呼び名もある蝋燭灯しの放生祭は半分も満たない。
実は、千燈明の呼び名もあるが、千の数の蝋燭を灯すわけではない。
それほど多いということである。
ちなみに数が少ない百灯明の名がある行事もあるが、これもまた百灯に満たない。
千よりは少ないが、まま多く灯す在り方である。
また、百より、千より多い万灯籠もある。
これもまた「万」の数ほどに多いという意をもつ燈籠の火灯しである。
本社殿の燭台の蝋燭に火を灯したら子どもたちの出番である。
社殿階段下に置いた箱がある。
その箱には長年使われてきた竹串がある。
色褪せた竹の色。
風合いから一挙に作られたものではないような気がする。
かなりの年数を経ている風合い。
子どもたちが握った汗が染みているのかもしれないその竹に墨書。
判読できないくらいに色褪せ。
寄進者の名前が書かれてあったのだろう。
数はどれくらいであろうか。
相当な数だと思ったその竹串を手にした子供は駆けていった。
本社殿の周りを反時計廻りに走っていった子どもは一周して社殿前に戻ってきた。
それで終わりかと思えば、そうではない。
そのまま駆け抜けていくわけでもなく、一本の竹を箱に戻したのだ。
そうして再び走り出した子ども。
本社殿を反時計廻りにまた戻ってきた。
一体、何周するのだろうか。
宮総代らの話しによれば、走る子どもの年齢に1歳プラスした数を周回するということだった。
そういうわけで1歳児であれば2周。
3歳児なら4周である。
年齢プラス1周した子どもは本社殿に向かって手を合わせて拝礼。
当たり年の数だけ周回するこの行為がお千度参りであろう。
お千度といっても千回も周回するわけではない。
お百度参りなら百往復する願掛け行為であるが、お千度は、それほど数多く参るということである。
ただ、子どもの年齢で数多くといってもそれほどでもないが、宮総代がいうには本来は百回廻りだったという。
つまりはお百度参りであるが、いつしか年齢の数になったようだ。
男の子が駆けぬけたお千度参り。
次に走り出した女の子も早い。
やがて小さな子どもたちも兄ちゃん、姉ちゃんを見習って駆けていくだろう。
「お千度」の響きでいつも思い出すのが、おばあさんが孫を叱る台詞だ。
小さいころ、よく言われたのが、「まこと、せんどいうてもわからんのか・・・」って。
“せんどいうても・・”というのは、、なんぼいうても(※たくさんの意)聞きよらん、というようなことだ。
つまり“せんど”とは“千度”。
多いということだ。“なんぼ、いわなあかんのや・・”と云われて叱られたことが、私の記憶の片隅に残っている。
それにしても暗がりに駆け抜ける子どもの姿はとらえ難い。
あまりにも早すぎる走り。
ピンはブレブレである。
適正に設定したとしても、駆け抜ける子どもの早さに暗がりが、シャッタースピードと同期してくれようもない。
十数人ぐらい駆けていたので、ままチャンスはあったが、思うような映像が出現してくれない所有カメラの限界。
なにが限界といえばISOである。
所持するカメラはEOS40D。
ISO1600以上の設定はない。
せめてISO6400程度は欲しいものだが・・。
お千度に駆け回る子どももおれば、設えた千燈明に火点けをする子どももいる。
場所が離れているから両方とも一枚の映像に収めるには無理がある。
八幡宮から拝殿通路から境内にかけて繋がる燭台に始めの火を灯すのは宮総代。
続いて子どもたちや、親子連れできた参拝者も点けている。
ところが今宵はやや強い風が吹き抜ける。
本社殿に拝殿通路は風の通り道になっていないからまだしも、境内に設営した燭台はまともにあたる風。
舞う風に点けては消える、点けては消える、の繰り返しはイタチごっこ。
「例年でしたら、ぜーんぶの蝋燭に火が点いて、そりゃもう、壮観になっているんやけどなぁ・・・」とぼやいていても始まらない。
そう、思って一人の宮総代が動き出した。
公民館にあった紙コップに挟みを入れて細工した。
金属製の蝋燭立て芯を紙コップの底面に串挿し。
風に煽られて倒れないように固定したら火を点けた。
手軽に作った風防がお役に立つが、境内の燭台数は274台。
今から作っても到底間に合わない。
次回、というか明日もまた風吹く日なら作ってみようかと・・今夜の作業は諦めた。
いずれにしても大勢の参拝者が詰めかける。
火点けの蝋燭1本を受け取って、予め立てていた蝋燭に点けて廻る。
ほぼ全灯した拝殿通路は煌々として明るくなった。
若いおばあちゃんに連れられた幼子も火点け。
子どもたちも火点け。
親たちも火点けに廻る火の点いた蝋燭はそのまま手で持つわけにはいかない。
蠟でもたれたら火傷する。
それを補助する道具は芯を尖らせたペンシルのような形の補助具である。
宮総代が手作りした補助道具は子どもたちに優しい道具になった。
子どもたちは総勢で30人。
若いご両親に若いおばあさん、お爺さんに宮総代らも入れた60人もの人たちで大にぎわいになった。
ちなみに野神祭りのマコモ造りの取材に来ていた二人の男性は、今夜も地元行事の取材。
積極的に取材したその広報は地元に広げていることだろう。
(H29. 9.14 SB932SH撮影)
(H29. 9.14 EOS40D撮影)