今年の平成29年1月20日に立ち寄った京都府の南山城村北大河原にある農林産物直売所。
そこで物産を販売していたレジ担当の女性に伺った大寒の日のカンセンギョ行事。
村にはそれはなく、十九夜さんをしていると話してくれた。
その地は北大河原からはずっと南にある地域。
大字は高尾であるという。
十九夜さんをしている場所は月ヶ瀬ダムこと高山ダムの西側を走る府道82号線。
大河原へ行くには木津川市経由を利用しているが、どちらかと云えば奈良県寄りに近い。
慣れている月ヶ瀬桃香野からの方がわかりやすいと判断した。
十九夜さんをしている場の目印は2本の大銀杏もあるが、9月であればわかり難い。
そこより数10mも歩けば府道三叉路がわかりやすいと話していた。
その三叉路を西に向かえば柳生に通じる自動車道。
帰りはそうしたいと思って家を出る。
ガソリンを補給して、さて方角は。
カーナビゲーションが示した方角は奈良市内の奈良公園辺りから東部山間を指示する。
時間がかかりそうだと思って指示を無視して名阪国道を東へ行く。
山添インターから月瀬に入って桃が野。
そして府道をひたすら北上する。
その途中の左手に春日神社の表示があったが、北上を続行。
古い小屋のような建物があったが、農小屋と判断した。
ただ、その奥の一段高い所に墓石が並ぶ。
村の墓地であろう。
そのすぐ近くに三叉路があったが、民家は見られない。
西に行けば集落はあるが、もう少し先を行く。
さらに北上したら高山大橋に着いた。
ここら辺りも民家はないから、Uターン。
しばらく走れば右手に軽トラを停めていた民家があった。
どなたかがおられるお家に尋ねてみる十九夜さん。
家から出てこられた男性のMさんにに尋ねた結果は・・・。
前日の敬老の日にしていたという。
講中ではないから詳しいことはわからないが、めいめいが参拝されて、その小屋に籠っていたそうだ。
その素時間前には村のデアイ。
いわゆる道造りの作業である。
それが終わってから参集していたようだと話してくれた。
十九夜さんは19日。
如意輪観音さんに参った十九夜講の人たちが十九夜和讃を唱える。
昨今は19日に近い日曜日とかに移した地域も多い。
尤も私が知る範囲は奈良県事例であるが。
来年の楽しみにしておきたい行事であるが、訪ねた男性が住まいするM家の向こうに建物が見える。
道路を挟んで一段高い所に祀った稲荷社。
ここは小字三升(さんじょう)になるという。
高山ダムができて村が湖底に沈んだ。
当時あった稲荷社も高台に移転した。
分霊を祀ったということだ。
それから50年も経ったと云う小字三升の稲荷社に年に4度もコモリ(籠り)をしているという。
今はパック詰め料理になったが、昔は家で作ったご馳走を持ち寄って籠っていた。
籠りは各家が持ち寄るそれぞれの味。
それをいただいて飲食をともにしていたという。
稲荷社の年初の行事は初午。
2月である。
京都の伏見稲荷大社に参拝する日であった。
いつしか参拝人数が少なくなり、毎年の参拝であった初午は寒さを避けてひと月遅れの二ノ初午に行事日を移したという。
男性がさらに話してくださった高尾全体の祭り。
それが春日神社の祭りであった。
かつては固定日の10月17日であったが、今は前後の日曜日。
平日に集まるのが難しくなってそう決めた。
集まるのは村や神社役員に組長。
子どもさんを連れた父兄には招待状が届くらしい。
神輿もあるようだが、担ぎ手が少なくお蔵入りのようだ。
子供神輿もあったが、今は・・・。
休日の日曜日に祭事日を移したが、日曜日は家の事情で参加できないという意見も出てきた昨今。
元の固定日に戻したらどうかという意見もある。
奈良県内にも同様の状況に陥っている地域は多々ある。
特に10月の第二日曜日に行われる祭事日が大多数を占める。
今年の第二日曜日は10月8日。
160件以上もある秋の行事。
前日土曜日の7日の件数は80件弱。
一方、月曜日のハッピーマンデーにある体育の日は60件越え。
私が知る範囲の行事であってもとにかく多い。
仮に日曜日に時間差を足伝いに出かけたとしても5行事が精いっぱい。
160件すべてを拝見するには32年もかかるのであるから、「もっぺん来てや」と云われても「無理です」としか返事のしようがない。
ちなみに三叉路に碑があった。
線刻文字は見えないが、そこは山の上の方にある神社案内であろうか。
山に向かう細い道。
今にも崩れそうなので断念したが、その先にある神社は「三升権現社」。
指標石にそう書いていた。
神社役員らが参拝しているようだ。
ちなみにあるブログに高尾大字にある猿ケ久保に二十三夜講月待供養塔板碑があると書いていた。
その場は向かわなかったが、いずれは・・と思っている。
(H29. 9.19 SB932SH撮影)
そこで物産を販売していたレジ担当の女性に伺った大寒の日のカンセンギョ行事。
村にはそれはなく、十九夜さんをしていると話してくれた。
その地は北大河原からはずっと南にある地域。
大字は高尾であるという。
十九夜さんをしている場所は月ヶ瀬ダムこと高山ダムの西側を走る府道82号線。
大河原へ行くには木津川市経由を利用しているが、どちらかと云えば奈良県寄りに近い。
慣れている月ヶ瀬桃香野からの方がわかりやすいと判断した。
十九夜さんをしている場の目印は2本の大銀杏もあるが、9月であればわかり難い。
そこより数10mも歩けば府道三叉路がわかりやすいと話していた。
その三叉路を西に向かえば柳生に通じる自動車道。
帰りはそうしたいと思って家を出る。
ガソリンを補給して、さて方角は。
カーナビゲーションが示した方角は奈良市内の奈良公園辺りから東部山間を指示する。
時間がかかりそうだと思って指示を無視して名阪国道を東へ行く。
山添インターから月瀬に入って桃が野。
そして府道をひたすら北上する。
その途中の左手に春日神社の表示があったが、北上を続行。
古い小屋のような建物があったが、農小屋と判断した。
ただ、その奥の一段高い所に墓石が並ぶ。
村の墓地であろう。
そのすぐ近くに三叉路があったが、民家は見られない。
西に行けば集落はあるが、もう少し先を行く。
さらに北上したら高山大橋に着いた。
ここら辺りも民家はないから、Uターン。
しばらく走れば右手に軽トラを停めていた民家があった。
どなたかがおられるお家に尋ねてみる十九夜さん。
家から出てこられた男性のMさんにに尋ねた結果は・・・。
前日の敬老の日にしていたという。
講中ではないから詳しいことはわからないが、めいめいが参拝されて、その小屋に籠っていたそうだ。
その素時間前には村のデアイ。
いわゆる道造りの作業である。
それが終わってから参集していたようだと話してくれた。
十九夜さんは19日。
如意輪観音さんに参った十九夜講の人たちが十九夜和讃を唱える。
昨今は19日に近い日曜日とかに移した地域も多い。
尤も私が知る範囲は奈良県事例であるが。
来年の楽しみにしておきたい行事であるが、訪ねた男性が住まいするM家の向こうに建物が見える。
道路を挟んで一段高い所に祀った稲荷社。
ここは小字三升(さんじょう)になるという。
高山ダムができて村が湖底に沈んだ。
当時あった稲荷社も高台に移転した。
分霊を祀ったということだ。
それから50年も経ったと云う小字三升の稲荷社に年に4度もコモリ(籠り)をしているという。
今はパック詰め料理になったが、昔は家で作ったご馳走を持ち寄って籠っていた。
籠りは各家が持ち寄るそれぞれの味。
それをいただいて飲食をともにしていたという。
稲荷社の年初の行事は初午。
2月である。
京都の伏見稲荷大社に参拝する日であった。
いつしか参拝人数が少なくなり、毎年の参拝であった初午は寒さを避けてひと月遅れの二ノ初午に行事日を移したという。
男性がさらに話してくださった高尾全体の祭り。
それが春日神社の祭りであった。
かつては固定日の10月17日であったが、今は前後の日曜日。
平日に集まるのが難しくなってそう決めた。
集まるのは村や神社役員に組長。
子どもさんを連れた父兄には招待状が届くらしい。
神輿もあるようだが、担ぎ手が少なくお蔵入りのようだ。
子供神輿もあったが、今は・・・。
休日の日曜日に祭事日を移したが、日曜日は家の事情で参加できないという意見も出てきた昨今。
元の固定日に戻したらどうかという意見もある。
奈良県内にも同様の状況に陥っている地域は多々ある。
特に10月の第二日曜日に行われる祭事日が大多数を占める。
今年の第二日曜日は10月8日。
160件以上もある秋の行事。
前日土曜日の7日の件数は80件弱。
一方、月曜日のハッピーマンデーにある体育の日は60件越え。
私が知る範囲の行事であってもとにかく多い。
仮に日曜日に時間差を足伝いに出かけたとしても5行事が精いっぱい。
160件すべてを拝見するには32年もかかるのであるから、「もっぺん来てや」と云われても「無理です」としか返事のしようがない。
ちなみに三叉路に碑があった。
線刻文字は見えないが、そこは山の上の方にある神社案内であろうか。
山に向かう細い道。
今にも崩れそうなので断念したが、その先にある神社は「三升権現社」。
指標石にそう書いていた。
神社役員らが参拝しているようだ。
ちなみにあるブログに高尾大字にある猿ケ久保に二十三夜講月待供養塔板碑があると書いていた。
その場は向かわなかったが、いずれは・・と思っている。
(H29. 9.19 SB932SH撮影)