もう10日以上も身体に痛みを発症しない。
外へ行きたくてうずうずしてきたおふくろであるが、独り行動をさせるわけにはいかない。
近くといっても、片道500m程度の距離にある畠中医院であっても介助人が付いていくのであれば許せるが独り歩きではいつどこでこける(※転倒)かもしれない。
こけることによって一挙に進行する身体不具合。
大ばあさんがそうだったから安心はできない。
痛み発症による自力歩行が困難になってから1カ月も過ぎた。
徐々にマシになってくる。
おかげさんで自宅での独り暮らしができるようになったのが嬉しい。
痛みが消えて10日にもなったことに歓びを隠せないおふくろから電話が架かった。
朝の8時半だ。
早朝から電話をするなんてことは滅多にない。
あってとすれば何かが起こったときだ。
痛い、歩けない、という緊急電話であろうか、ではなかった。
歯がゆるゆるで取れてしまって食事ができないという。
ゆるゆるのなり始まりは数か月前。
その後に発症した骨粗鬆が原因と思われる痛みによって自力歩行ができなくなった。
痛みがあるし、歩行はできないが、口は達者だ。
口といっても食欲の方である。
お腹がすくから内臓は健康体であるが、食べるときは気遣いしながらだった。
ゆるゆるの歯はいつ外れてもおかしくない状態であった。
外れたのは前夜である。
朝、起きたら電話していくつもりで就寝した。
朝の立ち上がりに歩けることを確信したおふくろが電話をしてきた。
行先は大阪市内のど真ん中。
ビジネス街の中心地。
31年間も務めていた勤務先もある淀屋橋。
辞めてからは随分と変化した街の様相に驚く。
そこに行きたいというおふくろは今回の症状になる前はひょこひょこと出かけていた。
大阪難波どころか梅田であろうが旅行にも出かける。
出かけることを楽しみにしているおふくろの思いが叶えなくなった。
症状はマシになって歩ける自信はついたが、それはあかん。
自宅付近であれば許したかもしれないが、徒歩にバスや電車を乗り継ぐ都会行きの行程はあかん。
電話予約をした時間帯に合わせてそっちに行くと伝えた。
それから30分後。
予約の結果は午後2時。
おふくろが居住する地から、出発支度を度合いもあるので余裕をみた1時間前。
そのころにそっちへ向かうと伝えた。
世話かけてばかりだというおふくろを説得して安心コースを選択した。
居住地に着くにはこれもまた余裕時間を考えて正午に出る。
阪神高速道路の渋滞が考えられるのでそうした。
ただ、私の昼ご飯はどうするか。
どこかで買って食べる車内食に決めて我が家を出る。
やはりの渋滞に巻き込まれはしたものの45分間で着いた。
買い出しにう回路しておふくろの居住地。
団地下の停車地で電話をする。
持っていくものは用意したか、である。
診察券はどこを探しても見つからなかったが、新しく送られてきている健康保険被保険者証はきちんと用意している。
大丈夫だという。
団地4階から階段を降りて来たおおふくろの足は軽やかに見える。
独り歩きは問題もなく踏み台に足を架けて乗車した。
予定時間を少し過ぎて出発。
届いていた半年後の本人宛の通知ハガキ。
それに書いてある住所をカーナビゲーションにセットして出発だ。
到着時間は30分程度。
それは高速道路を利用した時間であるが、平日昼時間の都市部行きの一般道路は混んでいない。
そちらを選択しても5分ほどの差しかない。
指示された道を走る。
大阪難波までまっしぐらの北上。
大国町を過ぎて難波手前で四つ橋線に入る。
中央の阪神高速道路を越えて右へ曲がれ。
御堂筋を越えてすぐに左へ右へで着いた。
歯医者は午後2時から再開。
それまで片づけておきたい郵便局処理。
車から降りてここでも独り歩きができる。
戻ってきて歯医者に行きたいが、ちょっと待て。
近くの駐車場に停めてくるまで待ってくれ、と伝えていたが、戻ってきたらエレベータに乗る直前。
おーい待ってくれだ。
再開受付時間は午後2時になっている創業100年の林歯科医院。
早く着いてもソファで待つことになる。
院内の電灯が明るくなって受付が始まる。
久しぶりに顔を合わす歯科医師に衛生士。
並びに受付の女性であるが、私は初めて訪れた院である。
診察券は、との問いに探したけど見つからなかったので持ってきていないと答える。
そうですか、お名前はと云って伝えて医院のリストを取り出した受付女史。
ここに挟んでいました、という。
えっ、これじゃ見つからないわけだ。
受け取りを忘れてしまって帰ったのか、それとも預かりにしたのか、誰も記憶がないのも不思議である。
もう一つの確認はどこの院でもしている健康保険被保険者証。
もってきたカバン袋の中のどこを探しても見つからないって、一体どういうこと。
保険証は行くつもりになった昨夜に準備したという。
黒い袋のようなものに入れたというが、それはない。
仕方ないわけではないが、8月に届いていた保険証の色は、の問いに、ピンク色。
番号も替わっていません、の返答に次回来院時のときに、ということで受理された。
しかも、だ。
出発する際にカーナビゲーションにセットした通知ハガキまで見つからない。
これで3回目になる紛失騒ぎ。
記憶が断片的というか・・・。
時間差がある記憶。
直近の記憶は消えて、それもひとつ前の記憶しかない。
これで3度目の記憶の断片化にはまいったが、受付女史の診察券はここにありました、という事件はどこかでネタとして使わせてもらいますわ、と云ったら医師、衛生士の皆さん、揃って笑うてくれた。
なんでも半年ぶりの歯医者。
歯の掃除に検査、診察、治療、型どりに仮嵌めの2時間。
駐車料金は青天井行き。

停めた駐車場は30分で300円。
2時間駐車で1200円。
日曜、祝日であれば天井価格は900円。
ビジネス街の駐車場はどこでも大都会料金。
金儲けが上手いと云うが、こんなもんやろな。
ちなみに停めた時間は午後1時55分~午後4時ジャスト。
5分オーバーの駐車料金はきっちり1500円。
一時間システムであれば1300円になるんやけど、そんなシステムを組んでいるところはどこにもない。
ところで治療中におふくろが歯科医師さんに伝えたこと。
私はここの歯医者さんに初めて来たのは昭和35年だという。
えーっ、それでは私は未だ生まれていませんよ、である。
大院長から副院長になった息子さんまで、57年間も通い続けてきたことを覚えているおふくろはしっかりしている。
実は私の息子も当院で世話になったことがある。
東京転勤になったから来ることはないが、その節はお世話になって、しかもおふくろは長年に亘って・・と頭を下げた。
戻りは特に必要としないカーナビゲーション。
御堂筋を南下する。北御堂辺りを走っているときに言い出した。
大丸に行きたいって、もう無理。
その件は次回にさせいただく。
住之江に戻って補うおふくろの食卓食料。
スーパーサンディにスーパーサンコーだ。
買い物を済ませて奈良にようやく戻ってきた。
半日かかった任務はようやく完了した。
(H29. 9.21 SB932SH撮影)
外へ行きたくてうずうずしてきたおふくろであるが、独り行動をさせるわけにはいかない。
近くといっても、片道500m程度の距離にある畠中医院であっても介助人が付いていくのであれば許せるが独り歩きではいつどこでこける(※転倒)かもしれない。
こけることによって一挙に進行する身体不具合。
大ばあさんがそうだったから安心はできない。
痛み発症による自力歩行が困難になってから1カ月も過ぎた。
徐々にマシになってくる。
おかげさんで自宅での独り暮らしができるようになったのが嬉しい。
痛みが消えて10日にもなったことに歓びを隠せないおふくろから電話が架かった。
朝の8時半だ。
早朝から電話をするなんてことは滅多にない。
あってとすれば何かが起こったときだ。
痛い、歩けない、という緊急電話であろうか、ではなかった。
歯がゆるゆるで取れてしまって食事ができないという。
ゆるゆるのなり始まりは数か月前。
その後に発症した骨粗鬆が原因と思われる痛みによって自力歩行ができなくなった。
痛みがあるし、歩行はできないが、口は達者だ。
口といっても食欲の方である。
お腹がすくから内臓は健康体であるが、食べるときは気遣いしながらだった。
ゆるゆるの歯はいつ外れてもおかしくない状態であった。
外れたのは前夜である。
朝、起きたら電話していくつもりで就寝した。
朝の立ち上がりに歩けることを確信したおふくろが電話をしてきた。
行先は大阪市内のど真ん中。
ビジネス街の中心地。
31年間も務めていた勤務先もある淀屋橋。
辞めてからは随分と変化した街の様相に驚く。
そこに行きたいというおふくろは今回の症状になる前はひょこひょこと出かけていた。
大阪難波どころか梅田であろうが旅行にも出かける。
出かけることを楽しみにしているおふくろの思いが叶えなくなった。
症状はマシになって歩ける自信はついたが、それはあかん。
自宅付近であれば許したかもしれないが、徒歩にバスや電車を乗り継ぐ都会行きの行程はあかん。
電話予約をした時間帯に合わせてそっちに行くと伝えた。
それから30分後。
予約の結果は午後2時。
おふくろが居住する地から、出発支度を度合いもあるので余裕をみた1時間前。
そのころにそっちへ向かうと伝えた。
世話かけてばかりだというおふくろを説得して安心コースを選択した。
居住地に着くにはこれもまた余裕時間を考えて正午に出る。
阪神高速道路の渋滞が考えられるのでそうした。
ただ、私の昼ご飯はどうするか。
どこかで買って食べる車内食に決めて我が家を出る。
やはりの渋滞に巻き込まれはしたものの45分間で着いた。
買い出しにう回路しておふくろの居住地。
団地下の停車地で電話をする。
持っていくものは用意したか、である。
診察券はどこを探しても見つからなかったが、新しく送られてきている健康保険被保険者証はきちんと用意している。
大丈夫だという。
団地4階から階段を降りて来たおおふくろの足は軽やかに見える。
独り歩きは問題もなく踏み台に足を架けて乗車した。
予定時間を少し過ぎて出発。
届いていた半年後の本人宛の通知ハガキ。
それに書いてある住所をカーナビゲーションにセットして出発だ。
到着時間は30分程度。
それは高速道路を利用した時間であるが、平日昼時間の都市部行きの一般道路は混んでいない。
そちらを選択しても5分ほどの差しかない。
指示された道を走る。
大阪難波までまっしぐらの北上。
大国町を過ぎて難波手前で四つ橋線に入る。
中央の阪神高速道路を越えて右へ曲がれ。
御堂筋を越えてすぐに左へ右へで着いた。
歯医者は午後2時から再開。
それまで片づけておきたい郵便局処理。
車から降りてここでも独り歩きができる。
戻ってきて歯医者に行きたいが、ちょっと待て。
近くの駐車場に停めてくるまで待ってくれ、と伝えていたが、戻ってきたらエレベータに乗る直前。
おーい待ってくれだ。
再開受付時間は午後2時になっている創業100年の林歯科医院。
早く着いてもソファで待つことになる。
院内の電灯が明るくなって受付が始まる。
久しぶりに顔を合わす歯科医師に衛生士。
並びに受付の女性であるが、私は初めて訪れた院である。
診察券は、との問いに探したけど見つからなかったので持ってきていないと答える。
そうですか、お名前はと云って伝えて医院のリストを取り出した受付女史。
ここに挟んでいました、という。
えっ、これじゃ見つからないわけだ。
受け取りを忘れてしまって帰ったのか、それとも預かりにしたのか、誰も記憶がないのも不思議である。
もう一つの確認はどこの院でもしている健康保険被保険者証。
もってきたカバン袋の中のどこを探しても見つからないって、一体どういうこと。
保険証は行くつもりになった昨夜に準備したという。
黒い袋のようなものに入れたというが、それはない。
仕方ないわけではないが、8月に届いていた保険証の色は、の問いに、ピンク色。
番号も替わっていません、の返答に次回来院時のときに、ということで受理された。
しかも、だ。
出発する際にカーナビゲーションにセットした通知ハガキまで見つからない。
これで3回目になる紛失騒ぎ。
記憶が断片的というか・・・。
時間差がある記憶。
直近の記憶は消えて、それもひとつ前の記憶しかない。
これで3度目の記憶の断片化にはまいったが、受付女史の診察券はここにありました、という事件はどこかでネタとして使わせてもらいますわ、と云ったら医師、衛生士の皆さん、揃って笑うてくれた。
なんでも半年ぶりの歯医者。
歯の掃除に検査、診察、治療、型どりに仮嵌めの2時間。
駐車料金は青天井行き。

停めた駐車場は30分で300円。
2時間駐車で1200円。
日曜、祝日であれば天井価格は900円。
ビジネス街の駐車場はどこでも大都会料金。
金儲けが上手いと云うが、こんなもんやろな。
ちなみに停めた時間は午後1時55分~午後4時ジャスト。
5分オーバーの駐車料金はきっちり1500円。
一時間システムであれば1300円になるんやけど、そんなシステムを組んでいるところはどこにもない。
ところで治療中におふくろが歯科医師さんに伝えたこと。
私はここの歯医者さんに初めて来たのは昭和35年だという。
えーっ、それでは私は未だ生まれていませんよ、である。
大院長から副院長になった息子さんまで、57年間も通い続けてきたことを覚えているおふくろはしっかりしている。
実は私の息子も当院で世話になったことがある。
東京転勤になったから来ることはないが、その節はお世話になって、しかもおふくろは長年に亘って・・と頭を下げた。
戻りは特に必要としないカーナビゲーション。
御堂筋を南下する。北御堂辺りを走っているときに言い出した。
大丸に行きたいって、もう無理。
その件は次回にさせいただく。
住之江に戻って補うおふくろの食卓食料。
スーパーサンディにスーパーサンコーだ。
買い物を済ませて奈良にようやく戻ってきた。
半日かかった任務はようやく完了した。
(H29. 9.21 SB932SH撮影)