マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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手配が早い

2018年12月30日 07時53分59秒 | むびょうそくさい(おかん編)
家族が帰ったあとのおふくろの身体状況は、翌日の6日に介助に来てはじめて知る。

家族ともなれば見舞いでもなく、介助である。

実際に介助するのは院内の職員。

看護士さんであったり、介護士であるが・・・。

落ち着きを取り戻したおふくろは横になって寝ていた。

コルセットの肩当ての部分は身体から離れて浮いているが、背中はがっちりガードしているのだろう。

目を覚ましたおふくろが云った。

昨日はあれから3回も出たというのだ。

溜まりにたまった便がでなかった。

もよおしても人生初めて体験するコルセットに馴染めず、出なくなる。

止まったらもう出ない。

そういう状態であったが、家族が帰った時間後にもよおした。

それも立て続けに3回も。

すっかりきれいさっぱり便を排出したおふくろは気持ちがすっきりしたという。

腸内はすっきりしたが、馴染みつつあったコルセットの締めがきつく感じるようになった。

苦しいからと看護士さんに頼んで緩めてもらったという。

ちなみに入院当初は許してくれていたおにぎりに巻く味付け海苔がある。

残り枚数がないので、また持ってきてほしいというが、これは却下された。

その代わりと云っちゃなんだが、前日におふくろが食べたいと家からもってきた煮豆がある。

これは可能なのか、看護士さんに申し出たら、塩分が少ないということでお許しがでた。

ありがたいことであるが、この一品を部屋に出しっぱなしにするわけにはいかない。

千円払って冷蔵庫とテレビ兼用のカードを購入する。

冷蔵庫の場合は一日100円も消費する。

専用カードは千円。

10日間はそれで間に合うから、そこで保管することにした。

そうこうしている時間帯。

向かいのベッドで横たわって寝ていた婦人が起き上がった。

顔を見て間違いないとおもったから声をかけた。

その婦人も私を思い出された。

同じ病室に居た患者さんは長安寺町に住むNさんだ。

もう何年も会っていないNさんとここで会うとは思ってもみなかった。

Nさんは私が送迎ドライバーで勤務していた接骨鍼灸院の通院患者さんだった。

当時の年齢は80歳だったように思える。

しょっちゅうではなかったが、稀にお願いしたい身体状況に鍼灸院はOKを出して送り迎えしていた。

平成23年のころであるから、実質7年前に送迎させてもらっていた時期である。

空白期間は長かったがすぐに思い出された婦人はこの二日間はベッドに居なかった。

その間は許可をもらって自宅へ戻っていたというのだ。

自宅に戻ったら農作業。

収穫したヒラタネカキを選別していたら腰にきた。

家におればついつい農作業をしてしまう。

病院におれば寝てばかり。

いつも動いていたいNさんはしょっちゅう口も動く。

懐かしさもあるが口は止まらない。

急遽、同部屋に入院したおふくろにも声をかけたかったが、横になっているので、それはできなかった。

それが「あんたのお母さんやて」・・。

送迎のときも優しくしてくれたと云うNさん。

「お母さんにも優しいのね」と云ってくれたのが嬉しい。

Nさんが元気だったころ。

10月半ばから下旬までの期間限定に自宅前で果物や野菜の売り子していた。

屋号は長正(長安寺の主人名)と聞いていた。

懐かしい話題に売り子姿の写真を撮らせてもらったことがある。

平成23年の10月17日だった。

買った黒豆が美味しかったこともあり、4日後の21日に再訪。

カメラも一眼をもってきて撮らせてもらった。

あれからもう6年も経っていた。

翌日、7日はコルセットをさらに緩めてもらったから、10時間もぐっすり寝られた、と喜んでいたそうだ。

見舞いから自宅まで。

その行程にあるウエルケア悠に立ち寄った。

それより先に電話があった担当SされるケアマネジャーになってくださったFさんとの面談である。

現況を伝えたら、入院介護中のケアマネジャーは特に動きはなく、退院後になるという。

後日、そのような状況になれば、連絡させていただくことにした。

(H29.10. 6 記)