大和郡山市外川町の砂撒き取材を終えて次の取材地へ移動するのだが、お約束の時間は夕刻前。
始まるまでの時間待ちに2時間。
一旦は帰宅して諸々の作業もしたいが、気になる地域の正月迎えの状況を調査する方が有意義になると判断して車のハンドルを切り返す。
行先は天理市の柳本町に檜垣町、武蔵町。戻る行程に立ち寄る地域は大和郡山市の新庄町に白土町。
走行距離はままあるからこれ以上に立ち寄った場合はお約束の時間に合わなくなるからUターンする時刻の午後3時半を設定して走った。
まずは天理市柳本町である。
この年の7月10日に立ち寄った柳本町。
東西を通り抜ける遠田町からみて南側の街道筋である。
会所近くにある庚申さんの石塔である。
なぜに柳本町の庚申さんなのか。
遡ること1年前。
平成29年の1月2日に訪れた際である。
庚申さんに太神宮塔にも正月飾りがあった。
飾りに御供もあったから正月である。
では、正月前の大晦日はどのようにしているのか。
それを拝見したくやってきた。
ほぼ変わらぬ姿だった庚申さんであるが、どことなく前年よりかは豪華になっているような・・・。
よくよく見たら紙に包んだ何某かのものがある。
中を覗くわけにはいかないから実態は不明だが、紅白の水引で括っているから御供に違いない。
気の早い御供はたぶんに正月の餅であろう。
右横に建つ太神宮塔。
前年には見られなかった松飾り。
南天もある飾りは塔の周りをぐるりと囲むように飾っていたが、蜜柑、ウラジロもあった注連縄がない。
おそらく注連縄でなく、飾り方を変えたようである。
どなたが飾っておられるのか存知しないが信仰心の篤い方に違いない。
集落の1軒、1軒を訪ねる時間はないから場を離れて、すぐ近くになる檜垣町に向かう。
調査目的は境内に撒く砂の道である。
実は、ここ氏神社の三十八社(さんじゅうはっしゃ)境内に砂盛りがあると教えてもらった。
村の人から聞いたわけでなく村外の住民である。
S氏が県庁職務の関係で携われ、出版された冊子の『奈良、農と祭り。』が手元にある。
平成29年3月、奈良県農林部農村振興課の発行による冊子に、農の暮らしと密接に関係する地域の四季の伝統祭事を紹介している。
春、夏、秋、冬の四季それぞれ祭事がある。
その一つに天理市・南檜垣三十八社の砂盛りと大とんどを挙げている。
略説明に「砂盛りとは神様の道とも言われ、正月の初詣に合わせて行われます。まん中は神様がお通りになる道なので、住民は左側の端を通ってお詣りします」とある。
実は、三十八社の砂盛りはこの年の平成29年1月2日に拝見している。
S氏がFBで伝えていたので訪れて実物を拝見していた。
砂盛りはいつされるのか聞いていない。
これまでいくつかの砂撒き調査をしてきた感覚で判断する大晦日。
たぶんにされているだろうと思って立ち寄った午後2時半の三十八社に砂の道があった。
前年に撮った砂の道と比較すればわかるが、やや高さが異なる。
どちらが正解なのではなく、正中に砂盛りをすることが大事なわけだ。
午後いちばんにされたのか、それとも午前中かわからないが、砂の感触から大晦日にされたものであろう。
天理市内の神社に砂盛り、或いは砂の道をしていた地域がある。
私が聞き取った範囲に備前町の天皇神社、南六条町の杵築神社がある。
廃れたのはずいぶん前のようであった。
事実はあったわけだから周辺地域も調べたいが大和郡山市内の調査だけで目いっぱい。
調査に協力する人に手を挙げてほしいが希望的観測。
地道にコツコツと聞き取り調査をされる人材を求む、であるが、ギャランテイのないボランテイア活動に誰も手は挙げることなく、地域から記憶も消えてしまうことだろう
。
戻り道に選んだ武蔵町の素盞嗚神社。
数年前の平成26年1月1日に立ち寄った素盞嗚神社に砂の道は見られなかったが、特徴ある門松に飾った注連縄である。
葉付きの笹を束ねて作った、まるで鳥居のような造りは今もなお継承されていた。
葉付き笹を中央に立てて、直立する松葉に斑入りクマザサ設えは類例をみない。
奥にある寺、堂、稲荷社は松とクマザサだけであった。
(H29.12.31 EOS40D撮影)
始まるまでの時間待ちに2時間。
一旦は帰宅して諸々の作業もしたいが、気になる地域の正月迎えの状況を調査する方が有意義になると判断して車のハンドルを切り返す。
行先は天理市の柳本町に檜垣町、武蔵町。戻る行程に立ち寄る地域は大和郡山市の新庄町に白土町。
走行距離はままあるからこれ以上に立ち寄った場合はお約束の時間に合わなくなるからUターンする時刻の午後3時半を設定して走った。
まずは天理市柳本町である。
この年の7月10日に立ち寄った柳本町。
東西を通り抜ける遠田町からみて南側の街道筋である。
会所近くにある庚申さんの石塔である。
なぜに柳本町の庚申さんなのか。
遡ること1年前。
平成29年の1月2日に訪れた際である。
庚申さんに太神宮塔にも正月飾りがあった。
飾りに御供もあったから正月である。
では、正月前の大晦日はどのようにしているのか。
それを拝見したくやってきた。
ほぼ変わらぬ姿だった庚申さんであるが、どことなく前年よりかは豪華になっているような・・・。
よくよく見たら紙に包んだ何某かのものがある。
中を覗くわけにはいかないから実態は不明だが、紅白の水引で括っているから御供に違いない。
気の早い御供はたぶんに正月の餅であろう。
右横に建つ太神宮塔。
前年には見られなかった松飾り。
南天もある飾りは塔の周りをぐるりと囲むように飾っていたが、蜜柑、ウラジロもあった注連縄がない。
おそらく注連縄でなく、飾り方を変えたようである。
どなたが飾っておられるのか存知しないが信仰心の篤い方に違いない。
集落の1軒、1軒を訪ねる時間はないから場を離れて、すぐ近くになる檜垣町に向かう。
調査目的は境内に撒く砂の道である。
実は、ここ氏神社の三十八社(さんじゅうはっしゃ)境内に砂盛りがあると教えてもらった。
村の人から聞いたわけでなく村外の住民である。
S氏が県庁職務の関係で携われ、出版された冊子の『奈良、農と祭り。』が手元にある。
平成29年3月、奈良県農林部農村振興課の発行による冊子に、農の暮らしと密接に関係する地域の四季の伝統祭事を紹介している。
春、夏、秋、冬の四季それぞれ祭事がある。
その一つに天理市・南檜垣三十八社の砂盛りと大とんどを挙げている。
略説明に「砂盛りとは神様の道とも言われ、正月の初詣に合わせて行われます。まん中は神様がお通りになる道なので、住民は左側の端を通ってお詣りします」とある。
実は、三十八社の砂盛りはこの年の平成29年1月2日に拝見している。
S氏がFBで伝えていたので訪れて実物を拝見していた。
砂盛りはいつされるのか聞いていない。
これまでいくつかの砂撒き調査をしてきた感覚で判断する大晦日。
たぶんにされているだろうと思って立ち寄った午後2時半の三十八社に砂の道があった。
前年に撮った砂の道と比較すればわかるが、やや高さが異なる。
どちらが正解なのではなく、正中に砂盛りをすることが大事なわけだ。
午後いちばんにされたのか、それとも午前中かわからないが、砂の感触から大晦日にされたものであろう。
天理市内の神社に砂盛り、或いは砂の道をしていた地域がある。
私が聞き取った範囲に備前町の天皇神社、南六条町の杵築神社がある。
廃れたのはずいぶん前のようであった。
事実はあったわけだから周辺地域も調べたいが大和郡山市内の調査だけで目いっぱい。
調査に協力する人に手を挙げてほしいが希望的観測。
地道にコツコツと聞き取り調査をされる人材を求む、であるが、ギャランテイのないボランテイア活動に誰も手は挙げることなく、地域から記憶も消えてしまうことだろう
。
戻り道に選んだ武蔵町の素盞嗚神社。
数年前の平成26年1月1日に立ち寄った素盞嗚神社に砂の道は見られなかったが、特徴ある門松に飾った注連縄である。
葉付きの笹を束ねて作った、まるで鳥居のような造りは今もなお継承されていた。
葉付き笹を中央に立てて、直立する松葉に斑入りクマザサ設えは類例をみない。
奥にある寺、堂、稲荷社は松とクマザサだけであった。
(H29.12.31 EOS40D撮影)