正月三日は明けたが、心のなかにもやもやが残る。
居ても立っても居られなくなって車を走らせた。
行先は城下町の東外れになる三橋(※古表記は三椅)。
国道24号線より手前が下三橋で東側は上三橋になる。
平成24年1月5日に訪れた風神社に簾型注連縄があった。
次の年の平成25年12月26日も訪れて再確認した。
あれから5年も経った。
他村の変化度合いを見ただけに、風神社の状況が気になる。
下三橋町を東西に貫く道はまま狭いところもあるがほぼ2車線幅。
ところが風神社に向かう集落道は軽自動車でさえ通行が難しい細い道。
車を停めるのも難儀したが、そこはなんとか・・。
通りに面した鳥居を潜ったらあった。
本音でほっとした。
ちなみに風神社の灯籠は数々あれど、そのほとんどが江戸時代に建之されたもの。
なかでも一番古いのが「慶長十一丙午年(1606)十一月吉日」、「奉寄進 風宮天大明神 御宝前 添下郡下三橋村」の刻印がある燈籠である。
建之年代は1600年の天下分け目の関ケ原の合戦から6年後になる。
(H31. 1. 4 EOS7D撮影)
居ても立っても居られなくなって車を走らせた。
行先は城下町の東外れになる三橋(※古表記は三椅)。
国道24号線より手前が下三橋で東側は上三橋になる。
平成24年1月5日に訪れた風神社に簾型注連縄があった。
次の年の平成25年12月26日も訪れて再確認した。
あれから5年も経った。
他村の変化度合いを見ただけに、風神社の状況が気になる。
下三橋町を東西に貫く道はまま狭いところもあるがほぼ2車線幅。
ところが風神社に向かう集落道は軽自動車でさえ通行が難しい細い道。
車を停めるのも難儀したが、そこはなんとか・・。
通りに面した鳥居を潜ったらあった。
本音でほっとした。
ちなみに風神社の灯籠は数々あれど、そのほとんどが江戸時代に建之されたもの。
なかでも一番古いのが「慶長十一丙午年(1606)十一月吉日」、「奉寄進 風宮天大明神 御宝前 添下郡下三橋村」の刻印がある燈籠である。
建之年代は1600年の天下分け目の関ケ原の合戦から6年後になる。
(H31. 1. 4 EOS7D撮影)