早朝に集まった上と中誓多林の彼岸講の男性たち。
中誓多林にある萬福寺裏山の雑木林を伐採していた。
ギューンと唸るチェーンソーの音が遠くまで響かせる誓多林の里山。
毎年は彼岸近い中旬日曜に行われる萬福寺のオコナイであるが村の都合で一週間遅い日になった。
平成22年に落慶法要された萬福寺にはオコナイで作法されるウルシ棒を並べている。
先は斜めに切断され三つ又に割いている。
その形容はまるで牛の爪のように見える。
伐採作業は2時間かかった。
綺麗にさっぱりした面持ちはどことなく達成感があるようだ。
本堂の壁には大きな掛け図がある。
同年に新装された絹本の涅槃図である。
オコナイが行われるこの日に掲げられた涅槃図は異様に感じるが、これには理由がある。
オコナイと涅槃の日は別々の日に行われていた。
住民の減少などにより行事を行うことが困難になってきた。
そこで一日に纏めてすることにしたと話す。
彼岸の日に掲げていたのは涅槃の掛け図。
彼岸講の行事である。
オコナイは村の行事の初祈祷。
村の五穀豊穣や村中安全を祈る村行事が合わさって行われるようになったのであろう。
隣村の大野町にある十輪寺の住職がやってきた。
翌月の4月13日には本堂建て替えの落慶法要が営まれる予定だそうだ。
早速取りかかった住職の作業はウルシの棒に挟む祈祷札作り。
一枚、一枚、「牛王 萬福寺 宝印」と墨書する。書き上げられ都度、当番の人が朱印を押していく。
出来上がるたびに四角折りしてウルシ棒に挟む講中たち。
ウルシに負けるからと、一切触れない人も居る。
作った祈祷札は18枚。
上、中誓多林の家の数に十輪寺の分も加えた枚数である。
奈良市誓多林町は旧柳生街道沿いに連なる村々。
白砂川上流から上誓多林、中誓多林、下誓多林地区が東西に点在している。
行政割りで誓多林町に組み込まれた下誓多林地区は、その時代だけでなく昔から大平尾(おびらお)の括りであったと話す住職。
その大平尾は、忍辱山、大慈仙、大柳生括りの添上郡大柳生村であった。
誓多林は茗荷、此瀬、杣ノ川、長谷村、日笠村、中之庄、横田、大野、矢田原、和田村、南田原、須山、沓掛、中貫括りの添上郡田原村。
今では田原の里と呼ばれているこれらの地域では勧請縄は見られない。
ところが下誓多林では勧請縄掛けがある。
蛸の形をした房を下げる勧請縄は大柳生に見られる。
忍辱山にもあったが平成23年が最後になった。
地域は限定されるが田原の里にない勧請縄は大平尾に属する下誓多林であったことに納得するのである。
できあがった18本のウルシ棒は涅槃図の横に並べた。
平成23年では祭壇前であったがどうやら変化したようだ。
堂内に座ったのは半数の男性たち。
若い者は外で待つ。
住職のお経が始まった直後のことだ。
大きな声で「ラーンジョー」が発せられた。
すると堂外に居た人たちはウルシ棒を手に持って縁を叩き出した。
その数は十数回。
バタバタの音がなくなって、お経が再び堂内に流れる。
それから数分後のことだ。
再び、「ラーンジョー」が発せられた。
太鼓が打たれて縁をウルシ棒で叩く。
悪魔払いとされるランジョーはダンジョウとも呼ぶらしい。
叩き終わったウルシ棒は役目を終えて直ちにとんどで燃やされる。
その後はランジョーをされた人たちも本堂にあがって般若心経を唱えて真言で終える。
祈祷されたお札はウルシ棒ごと家に持ち帰る。
4月末から5月初めにかけての一粒万倍の日に田んぼに挿すそうだ。
土用の入り後の良い日に挿していたのはNさん。
煎ったハゼゴメを供えて花を飾っていた。
そこにはオンダの松苗も挿していた。
他にも数軒がしているらしい。
ちなみに平成25年4月以降の一粒万倍日は5月24日、6月9日、21日がある。
(H25. 3.24 EOS40D撮影)
中誓多林にある萬福寺裏山の雑木林を伐採していた。
ギューンと唸るチェーンソーの音が遠くまで響かせる誓多林の里山。
毎年は彼岸近い中旬日曜に行われる萬福寺のオコナイであるが村の都合で一週間遅い日になった。
平成22年に落慶法要された萬福寺にはオコナイで作法されるウルシ棒を並べている。
先は斜めに切断され三つ又に割いている。
その形容はまるで牛の爪のように見える。
伐採作業は2時間かかった。
綺麗にさっぱりした面持ちはどことなく達成感があるようだ。
本堂の壁には大きな掛け図がある。
同年に新装された絹本の涅槃図である。
オコナイが行われるこの日に掲げられた涅槃図は異様に感じるが、これには理由がある。
オコナイと涅槃の日は別々の日に行われていた。
住民の減少などにより行事を行うことが困難になってきた。
そこで一日に纏めてすることにしたと話す。
彼岸の日に掲げていたのは涅槃の掛け図。
彼岸講の行事である。
オコナイは村の行事の初祈祷。
村の五穀豊穣や村中安全を祈る村行事が合わさって行われるようになったのであろう。
隣村の大野町にある十輪寺の住職がやってきた。
翌月の4月13日には本堂建て替えの落慶法要が営まれる予定だそうだ。
早速取りかかった住職の作業はウルシの棒に挟む祈祷札作り。
一枚、一枚、「牛王 萬福寺 宝印」と墨書する。書き上げられ都度、当番の人が朱印を押していく。
出来上がるたびに四角折りしてウルシ棒に挟む講中たち。
ウルシに負けるからと、一切触れない人も居る。
作った祈祷札は18枚。
上、中誓多林の家の数に十輪寺の分も加えた枚数である。
奈良市誓多林町は旧柳生街道沿いに連なる村々。
白砂川上流から上誓多林、中誓多林、下誓多林地区が東西に点在している。
行政割りで誓多林町に組み込まれた下誓多林地区は、その時代だけでなく昔から大平尾(おびらお)の括りであったと話す住職。
その大平尾は、忍辱山、大慈仙、大柳生括りの添上郡大柳生村であった。
誓多林は茗荷、此瀬、杣ノ川、長谷村、日笠村、中之庄、横田、大野、矢田原、和田村、南田原、須山、沓掛、中貫括りの添上郡田原村。
今では田原の里と呼ばれているこれらの地域では勧請縄は見られない。
ところが下誓多林では勧請縄掛けがある。
蛸の形をした房を下げる勧請縄は大柳生に見られる。
忍辱山にもあったが平成23年が最後になった。
地域は限定されるが田原の里にない勧請縄は大平尾に属する下誓多林であったことに納得するのである。
できあがった18本のウルシ棒は涅槃図の横に並べた。
平成23年では祭壇前であったがどうやら変化したようだ。
堂内に座ったのは半数の男性たち。
若い者は外で待つ。
住職のお経が始まった直後のことだ。
大きな声で「ラーンジョー」が発せられた。
すると堂外に居た人たちはウルシ棒を手に持って縁を叩き出した。
その数は十数回。
バタバタの音がなくなって、お経が再び堂内に流れる。
それから数分後のことだ。
再び、「ラーンジョー」が発せられた。
太鼓が打たれて縁をウルシ棒で叩く。
悪魔払いとされるランジョーはダンジョウとも呼ぶらしい。
叩き終わったウルシ棒は役目を終えて直ちにとんどで燃やされる。
その後はランジョーをされた人たちも本堂にあがって般若心経を唱えて真言で終える。
祈祷されたお札はウルシ棒ごと家に持ち帰る。
4月末から5月初めにかけての一粒万倍の日に田んぼに挿すそうだ。
土用の入り後の良い日に挿していたのはNさん。
煎ったハゼゴメを供えて花を飾っていた。
そこにはオンダの松苗も挿していた。
他にも数軒がしているらしい。
ちなみに平成25年4月以降の一粒万倍日は5月24日、6月9日、21日がある。
(H25. 3.24 EOS40D撮影)