マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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須山町子供の涅槃講

2013年07月07日 09時21分03秒 | 奈良市(東部)へ
2年前に訪れたときは冷え込みが厳しい朝だった。

この年は穏やかな朝を迎えた奈良市須山町。

子供のねはんこう(涅槃講)は春休みに入った頃に行われている。

2年前に訪れたときの子供は6人だった。

年長の中学生たちは卒業して残った子供が3人。

4月には小学1年生、3年生になる子供たちは3人ともⅠ家の子供たちだ。

13軒の須山町集落を巡ってお菓子を貰ってくる。



1軒、1軒巡る子供のねはんこうは子供たちの楽しみの一つ。

元気よく集落を掛け巡る。

巡る順は一昨年と同じだった。

かつては子供も多くいた。

西出、東出に分かれて競争をしていたと話すのは経験者たちだ。

それぞれの垣内には当番のトーヤ(当家)が存在していた。

いつしか子供も少子化となって数年前に一体化した。

保護者がついていくが本来的には子供だけで回るねはんこうである。

今ではお菓子貰いになったが50年ほど前はキリコやカヤの実だった。

煎った豆もあったが落花生に替った。

美味しい食べ物は当時のおやつである。

寒の入りともなればカンノモチを搗いた。

サイノメに切ったモチは乾かして座敷に広げた。

カンノモチを藁紐で編んでぶら下げた。

それがキリコと呼ぶおやつである。

そんな話をしてくれたのはⅠ氏のご両親。

懐かしそうに笑顔で話す。

お菓子貰いを終えれば円福寺があったとされる高台地へ向かう。

そこへ行くまでにトーヤから受け取ったご飯。

お皿に盛ったご飯を抱えて出かける。

高台地には地蔵さんと呼んでいる石仏群がある。

如意輪観音や行者石仏などだ。



授かったご飯を箸で摘まんで刷り付けるように塗る。

塗るというよりも置いているような感じだ。

子供が大勢いた時期は西出、東出のどちらが早く着いてご飯を塗り始めていた。

「負けたらあかんねん」と競い合ったのは随分と前のようだ。

「負ければ椀を洗わなければならない」と聞いたのは2年前の話者だ。

そのときにしていた子供たちは如意輪観音像や行者像の石仏に塗りたくっていた。



付き添ったⅠ氏は40歳。

「ご飯を塗るのは如意輪観音だけだ」と話す。

どうやら年代が経つにつれて作法が替っていったようである。

この日は先輩である父親の指図で如意輪観音像の石仏に塗りたくった。

Ⅰ氏が付け加えて話したご飯塗り。

昭和15年生まれのM氏の話によれば、当時は箸でなく手で直に塗っていたと話す。

60年も前のことだ。

先を越されたときには塗っていた子供に「どけ」と云って塗っていたそうだ。



こうしてご飯を塗り終えれば箸を折って如意輪観音像の石仏の肩に置く。

60年前のM氏の時代は手。

30年ほど前のⅠ氏の時代は箸である。

作法は手から箸に移り替っていたことが判明したのである。

手の時代には箸を折ることはなかったのである。

大きな変化が認められたが須山町の子供のねはんこうは今年も無事に終えた。

(H25. 3.24 EOS40D撮影)


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