マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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苗代のイロバナ

2012年07月11日 06時41分28秒 | 大和郡山市へ
苗代田には地域の神社で行われる御田祭の松苗を供える場合が多い。

上三橋では天満さんの祭りに供えられた紅白御幣の事例もある。

お寺の行事であれば修正会や修二会で祈祷される牛玉宝印の書となる。

大和郡山市の山間では矢田寺や松尾寺で行われている。

今年もそれがあった山田町。

小林町ではオコナイのお札だ。

そこには必ずといっていいほど花を添えている。と、思っていた。



矢田町の山田原コニュニティセンター付近の田んぼだ。

苗代作りを済ませた苗床がある。

一つは車道近くにあった。

あったことはあったがお札も松苗も見られない。

そこには花が挿してあるだけだ。



もう一つは目につきにくい場所にあったが、それも花立てだけである。

苗代の持ち主は判らないが、神社もお寺も関係なく花を立てる習慣があるのだと思った。

推定ではあるが、花だけを挿していることを初めて知ったのである。

翌日のことだ。白土町の街道を走っていたときのことだ。

この時期はどうしても苗床に目がいってしまう。

信号近くにあった苗床。



そこにあった花立てもお札や松苗は見られない。

小字は五ノ坪。田畑が広がる地域だ。

どうやらそこは石川町。

石川と言えば春日神領。

松苗があると思っていたがそうではなかったが、地区の住民ではないかもしれない。

と、いうのも他地区の人が田畑を借りて農業をしている人が多いと聞いている。

そうかもしれない。

こうした花立てのことをイロバナと表現する人がいる。

天理市櫟本の市場に住むFさんはそう呼んでいる。

膳史(かし)に住むNさんも同じことをいう。



近くの南小路では苗代作りが行われている。

毎年のことだが都合で日程は固定していないが松苗を挿す。

和爾下神社で行われている御田祭の松苗札だ。

Fさんもしているイロバナ。

豊作を願う花立てはさまざまであることに気がついた日であった。

(H24. 5. 2 SB932SH撮影)
(H24. 5. 3 SB932SH撮影)

続、今市の苗代田の注連縄

2012年07月10日 08時34分38秒 | 奈良市へ
気になっていた今市の苗代田の注連縄はどうなっているのだろうか。

苗代をするときには取り払うというようなことを聞いていた。

そろそろ始まったのではないかと思い立ちやってきた今市。

今まさに苗箱を苗代に置いていく真っ最中だった。

ご家族に注連縄のことを聞いたが、その家族ではなかった。

隣の苗代の持ち主は不在。

結局判らなかったのだが、撮影許可をいただいて苗代作りの風景を撮らせていただいた。

4か月も経過した隣家の注連縄は枯れていた。

もう一つある苗代の注連縄も拝見した。

そこは既に終わっていた苗代作り。

水口には松苗とともにイロバナも添えられている。

作業中だった家族にその件を尋ねれば、持ってくるのを忘れたという。

その松苗はどこで手に入れられたのか聞いてみれば稗田の賣太神社だという。

賣太神社では御田祭は行われていない。

不思議なことだと思ってもう一度尋ねた結果は春日大社。

そう、春日大社で行われた御田植神事でたばってきた松苗だったのだ。

代表者がたばってきたから、ふと違うことを思ってしまったという。



今市も稗田もかつては春日神領。

大和郡山では稗田、美濃庄、下三橋、上三橋、井戸野、若槻、大江、番匠田中、横田、発志院、石川、中城辺りがその地域で、苗代に春日さんの松苗を添えているのである。

2年かけてその地域を調査したことがあるが、その他の地域もされていると思われる。

(H24. 5. 1 EOS40D撮影)

ニリンソウ

2012年07月09日 07時39分02秒 | 自然観察会(番外編)
誓多林でミトマツリを拝見した帰り道。

4月17日のことだ。白い花をつけた野草が目に入った。

花は一輪だが葉っぱはギザギザ。

イチリンソウかなと思ったがどうも違うようだ。

まだ咲き始めなので断定はできない。

この花は何なんだろうか。

気になって仕方がなかった。

2週間後に訪れた同地。

咲く花は増えていた。



そこにとまっているミツバチ。

蜜を吸っている花は二輪。

まさにニリンソウであった。

前回見つけたときの写真をよくよく見れば下に蕾状態の花があるではないか。

観察はじっとその場で見つめることが大事。

それよりもっと大切なのは自然生物を環境保全することではないだろうか。

昨今は珍しい、可愛らしいといって根こそぎ盗っていく人がいるという話を村人から聞くことがある。

写真は撮っても生物には手をださない。

あくまで記録のためだ。

奈良市の自然環境調査に顔をだしたことがある。

過去調査されていなかった地点域をエリア別に分けて生物相を調査する。

環境指標的価値、生物の多様性課地を踏まえた自然ガイドを作成し環境学習に役立てるという活動だ。

顔出しだけなのでなんの役にもたってないが、気にはかけている調査は植生のみならず、魚・両生類・爬虫類・鳥・哺乳類の動物類なども含まれる。

下流ではミヤマカタバミも見られたこの時期。

行事取材の合間では間に合わない。

(H24. 5. 1 EOS40D撮影)

誓多林のサビラキ

2012年07月08日 08時42分09秒 | 奈良市(東部)へ
4月17日にミトマツリを済ませた誓多林のN家。

4末から5月2日までにかけて「良い日」にするというサビラキは、できれば大安の日にしたかったが、今年は気候が不順。

ぎりぎりいっぱい待ってこの日となった。

ミトマツリから数えて丁度の2週間後だ。

「今日はサビラキやいうてお供えを寄せている」と話す。

豊作を願う家の風習は、子どものときから母親がしているのをずっと見ていたご婦人。

「母親がしてらんねん」と話しながらサビラキに祀る一本の笹の葉を採ってきた。

付近の山からフキの葉も一枚採ってきた。

笹にお手製の御幣を括り付ける。



フキの葉には洗い米とゴマメのタツクリ(田作り)を入れて俵形にする。

いわゆるフキダワラである。

ワラで十字に巻いて、これも笹の葉に括りつけた。

できあがった笹の葉を手にして田んぼに向かう。



供える場所はミナクチ(水口)だ。

ご主人は自宅の育苗器で育てた苗を田植え機に積んでサビラキを待っている。

今春の気候は異様に寒かった。

草も伸びないから「畦のいちばん上を刈っただけで、大掛かりな草刈りはせんかった」と話す。

この日の風も冷たい。

田んぼの水温も低いであろう。

ミナクチに着けば直ちに笹を挿す。



豊作の祈りを捧げて手を合わせるご婦人。

毎年されている農家の営みである。

その作法を見とどけたご主人は田植え機を動かし始めた。

機械は4条植えだ。

かつては手押しの2条植えだった。

田植えを手伝う人もいた。

村の手伝いさんは我がとこが早めに済めば手伝いをする。

村全部の田植えを終えたら荷車に着替えを数着載せて町へ下りていった。

そこでも手伝いをしていたという日数は3、4日だったそうだ。



田植え機を操作して苗を植えていく。

苗箱がなかなか滑らず、機械が噛んでくれない。

家の苗床で育てた苗は4月5日にタネマキをした。

一週間後にはハウスに移した。

例年よりも2、3日早いサビラキは田植え初めの儀式。

天候の加減もあって苗はそれほど育っていない。

それゆえ根に土が付いていないという。

JAの苗なら根が張って田植え機は掴みやすいが、「最初の田植えはこんなもんだ」と話す。

当家が育てるお米はキヌヒカリとヒトメボレ。

早稲の品種だそうだ。

平坦の盆地部ではヒノヒカリが多いという。

ご主人が勧めるキヌヒカリは、コシヒカリのようなブランドものでないから一般受けせず売れない品種。

市場には出回らないという。

ヒノヒカリや極早稲のアキタコマチよりも格段に美味いのがキヌヒカリ。

家で食べるのはこれに限るという。

田植え機の調子を見ながら植え付けする。

歯抜けができたらサシナエはするが端っこだけだという。

田植えが進むにつれて苗が植わる。

そうすれば機械の苗箱は減っていく。

当然な流れ。

その様子を見ながら苗箱をネコ車(一輪車)で運ぶ婦人。

夫婦二人の共同作業だ。

奥さんが祀られたサビラキを見ながら田植えをする。

婦人の話によれば上誓多林の人は笹ではなくクリの木を使っているという。

木の種類は異なるが、サビラキは代々の先祖さんから受け継いできた農家の在り方であろう。

(H24. 5. 1 EOS40D撮影)

長滝町閏年の庚申トウアゲ

2012年07月07日 08時49分08秒 | 天理市へ
天理の長滝町では新暦の閏年に庚申トウアゲを行っている。

塔婆を上げるから「トウアゲ」と呼び、充てる漢字は「塔上」だ。

同町の庚申講は5組ある。

それぞれの講中は少ないところで4軒、多いところでは7軒。

3組が5軒で営まれている。

かつては旧暦であったが判りやすい新暦に替えたという閏年の庚申トウアゲ。

前回の平成20年は4月29日だった。

この年も同一日。

固定日にされている長滝町のトウアゲである。

閏年の庚申さんの営みは地蔵寺境内で行われる。

庚申石の前にお灯明を灯して供えものを並べる。

庚申石と思われた童子石。

見間違いでなければ天明五年(1785)九月の造立。

よくよく話を聞けば、それではなくて隣の石造物だった。

供物のモチは同町の26軒数分のモチとお菓子だ。

般若心経一巻を唱える導師が前に座り、後席に宿の当主が座る。

その後ろに宮年寄りの順に座って法要を営む。

閏年に庚申さんを奉るのはカシの木で作った塔婆。

葉が付いている長い木だ。

家内、講中安全や五穀豊穣を願う。

宿では当日の早朝に供物の白モチを搗く。

ヨモギダンゴも作る。

その数はそれぞれ一升半。

おなごしが作るというが、ヨモギダンゴは供えない。

おとごしはカシの木の塔婆作り。

それらの作業を終えて昼の会食。

それぞれのヤドでよばれる飲食だ。

それを済ませたら講中の全てが地蔵寺に集まって法要を営む。

多くの家族が連れだって参りにくるという村総出の行事である。

それを拝見する時間は生憎藺生町と同時間。

二つの講中の営みを見ることはできない。

仕方なく終わった時間に訪問することになった。

「遅いやないか」と言われる言葉が辛い。



奉られた塔婆を地蔵寺の前に掲げて直会の最中だった。

塔婆の願文はそれぞれの様式で書かれている。

一つは「奉供養 南無青面金剛菩薩為 五穀豊穣家内安全講中 快楽成 平成二十四年四月二十九日」。

二つ目に「天下泰平 村民安楽 家内安全五穀成就 祈願久 ○○○○ 講中 平成弐拾四年四月弐拾九日吉日」。

三つ目に「奉修 南無青面金剛大童子 講内安全五穀成就 子孫長久如意祈祷塔 敬白 平成二十四年四月二十九日 閏年 ○○○○」。

四つ目は「奉 供養 青面金剛童子 天下泰平五穀成講中 家内安全快楽成 2012年4月29日」。

五つ目が「奉供養 青面金剛童子為釋 家内安全五穀成就應順講成」であった。

それぞれの講宿が前回に使われた塔婆願文を見本にして書き込んだ願文である。



しばらくの時間の直会を終えれば、ハコヤの木とも呼ぶカシの木の塔婆の葉を切り落としてヤドに持ち帰る。



その行為はここでも行われるが、ヤドに持ち帰ってから行う場合もある。

この塔婆は次回の4年後の宿に回される。

古いほうの塔婆はどうするかといえば、玄関や軒下に掛けるのだ。

それは家の守り神のようなものだと話す講中。

それぞれの塔婆には五文字の梵字がある。

K氏が話すには、その講中の梵字は東西南北だというが梵字は五文字。

何故か一致しない。

それはともかく塔婆を担いで帰ったあとは再びヤドで会食となる。



この年にあたったY家のヤドでは庚申さん掛軸を掲げていた。

掲げた床の間にはご飯にアブラゲ、コンニャクなどの煮もの高杯が盛られている。

しばらくはそこで歓談の場。

夜の会食は二度ともヤドでは、ということでバスに乗って天理の料理屋に出かけていった。

(H24. 4.29 EOS40D撮影)

藺生町閏年の庚申法要

2012年07月06日 09時05分08秒 | 奈良市(旧都祁村)へ
奈良市藺生町も閏年の庚申講があると聞いていた。

同町には4組の講があるという。

それぞれの講中の代表者が相談の上に日程を決める庚申講。

4年に一度のオリンピック年というから新暦の閏年に行われている。

1組講中のHさんの話では昭和63年から始まったという。

戦時中までは旧暦の閏年に行われていた。

戦後に復活したものの再び途絶えた。

1組に『藺生庚申講 覚』がある。

昭和63年7月に興された講中の覚書だ。

それによれば、「百姓の神様として広く農民信仰された庚申さん。家内安全、五穀豊穣を願って志を同じくする人たちが相寄って講を作った。60日おきの庚申の日には、講員の宿に集まって、床に掛け図を掲げて供物を捧げた。そして飲食を共に講員が語り合った。藺生には4組の講があり、四年に一度のうるう年に各組の代表者が杉の生木の塔婆を作って供える。住職が読経して法要を営む」とある。

復活一年目の昭和63年7月4日から平成4年6月27日、8年、12年4月8日、16年4月11日、20年3月21日。

そしてこの日の4月29日となる。

それぞれの組の代表者名と経費が記されている。



庚申法要を営む場所は萱葺き造りの青龍寺下の庚申塔の祠だ。

石の庚申塔の台座には三猿が見られる。

当地では花立てやゴクダイは見られず塔婆だけを奉る。

葉付き杉の木の数か所に刻みの窪みを入れるが願文は木に書かない。

法要をされる小山戸の安楽寺の住職が墨書された祈祷札を糊で杉の木に貼り付けるのだ。

かつては生木に願文を書いて酒を供えて参っていたと話す2組代表のN氏。

同講中のM氏もそういう。

昭和30年のころ、書きこんでいた経文はお札に替ったようだ。

そのときから代表の当番だけが集まるようになったという。

現在の願文は「奉修 南無青面金剛 天下泰平 日月清風雨順時 五穀豊穣 講中 安全如意祈攸 施主 ○○○○ 平成二十四年四月二十九日 敬白」である。

風で消えないように風除けの細工を施したローソク、線香に火を灯して法要が始まった。



焼香を経ておよそ15分の法要に手を合わせる講中たち。

例年の庚申の日の在り方はさまざまだ。

1組は年に一度の終い庚申のみ。

2組は年に二回で6月と12月に掛軸を掲げたヤドで営んでいる。

60日おきにきっちりしているという3組もあるが、まったく集まらない4組もある。

ただ、掛軸を回す庚申の日にお金を集めているという。

それが貯まったら伊勢の猿田彦神社参りに出かけるそうだ。

藺生は上、中、並松(なんまつ)の3垣内。

講中は4組あるが特に垣内に分かれているわけではない。

覚書にあるように「志」を同じとする者が集まる集団である。

(H24. 4.29 EOS40D撮影)

小夫嵩方の植え初め

2012年07月05日 06時42分59秒 | 桜井市へ
通りがかった小夫嵩方(おうぶだけほう)の田んぼには水が張ってある。

苗は整然と並び、田植えは既に終わっている。

嵩方の田んぼを見渡せば集落下の田に見たことがあるモノが・・・。

松苗とハナカズラと思われるモノと添えたお花が目に入る。

カヤは見当たらない。

田んぼの主も判らず、後日に再訪して聞かねばならない。

(H24. 4.29 EOS40D撮影)

芹井上垣内の旧暦閏年の庚申トアゲ

2012年07月04日 06時39分33秒 | 楽しみにしておこうっと
2週間前に訪れた桜井市芹井の笹平・乾垣内の旧暦閏年庚申トアゲ。

上垣内もされると聞いいたが情報が掴めずに至っている。

それから度々訪れては現地の状況を見てみるが、ない。

取材の合間にこの日も現地を訪れた。

丘の上にある地蔵石仏祠の前に花立てとゴクダイがあった。

既に終わっていたのだ。

祠内には葉付きの杉の木の塔婆を挿し込んでいる。

願文は読み取ることができないが形式的には笹平・乾垣内と同じであろう。

(H24. 4.29 EOS40D撮影)

地域で行事の展示会

2012年07月03日 06時43分00秒 | 民俗を語る
昨年の5月に開催された「大和郡山の祭りと行事写真展~豊作を願う春の祭り~」。
好評につき第2回目を旭ケ丘自治会集会所で開催します。
地域住民を対象としておりますが、地域外(市外)の一般の方々にもご欄できるように自治会長の了承も得ておりますので、ご遠慮なくお越しください。

日程  平成24年6月30日(土)~7月3日(火)<終了しました>
時間  午前9時~17時 <但し7月3日は12時迄>
※ 7月3日(火)10時から11時までは『大和郡山の夏祭りを中心に』を語ります。<終了しました>
場所  旭ケ丘自治会集会所  奈良県大和郡山市九条町1043-72
主催  旭ケ丘いきいきサロンの会
共催  旭ケ丘高友会



なお、旭ケ丘自治会集会所には駐車場がありませんので、奈良交通バス或いは近鉄電車でお越しください。
バス 近鉄郡山駅下車 西友前バスロータリー「3番」乗り場より若草台行き 旭ケ丘下車北東徒歩5分
電車 近鉄九条駅下車 西へ徒歩25分

(H24. 6.12 SB932SH撮影)



机1本に3枚ずつ。13本×3枚で39枚も並べた。

今回はフォトフレームも持ちこんだ。

小さな画面には前回に解説した映像を取り込んだ。

それだけではもったいないのでかつて県立民俗博物館で開催した「大和郡山の祭りと行事」写真展で使用した映像も加えた。

結構な毎数になった。

その画面を食い入るように見るTさん。

年老いたがかつては子供たちの野球を指導してきたご仁だ。

石木町の登弥神社の氏子でもある。

かつては石堂村であった石木町。

神社の氏子は城町と奈良市の石木、大和田の三か村の氏神さんだ。

7月7日は植え付け祭で御湯をすると話す。

その登弥神社の粥占も記録している。



そのページに見入っている。やがて矢田坐久志玉比古神社の粥占にも目がいった。

「同じようなことをしているんだ」と話した。

(H24. 6.30 SB932SH撮影)

天理岩室食堂

2012年07月02日 07時35分15秒 | 食事が主な周辺をお散歩
2週間前に立ち寄った広陵食堂は「まいどおおきに食堂」。

かけうどん一杯を注文したらサービス券が付いていた。

その期限は5月末まで。利用する機会が訪れた。

利用できるお店は各地にある。

それを確認して寄ったのが天理の岩室食堂。

昼どきだけに次から次へとお客さんが入る。

サービス券は玉子焼きが50円でうどんが100円引。

玉子焼きの正価は178円。

かけうどんが157円だ。

どちらも使えばだんぜんお得と思って差し出したが「お一人さま一回につき一枚」とくる。

そりゃそうだろう。

残念だがうどんに掛けることにした。

玉子焼きはショウガ入りか、ネギ入りか、フツーとくる。

今回はショウガ入りを頼んだ。



出来上がればテーブルに配膳される。

アツアツの玉子焼きは美味しい。

家庭の味になっている。

かけうどんはお店が違っても同じ味。

チェーン店ならではの保証味だ。

サービス券はまだ余っている。

一か月の余裕がある。

(H24. 4.29 SB932SH撮影)