マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

苦しくて苦しくて無理やり食べる晦日特大エビ天入り蕎麦

2019年04月20日 09時30分56秒 | だんらん(大晦日買い出し編)
お好み焼きで満腹になった。

肉体的に消化力が衰えている。

3時間も経てば消化するんだとかーさんもおふくろもそういう。

そういうが私のお腹は消化速度が遅い。

心不全になってもう2年。

心臓の回転数が落ちてからは利尿剤の効能をもって救われている。

数か月前から特に効き目がある利尿剤のおかげで小水はよく排出される。

排出が多ければ多いほどお腹の負担は軽減されるが、今夜は違った。

晩食後の3時間も待たずに迫った大晦日恒例の晦日蕎麦喰い。

堪忍してほしいが年を明けたらあかんというような巷の噂もあって、除夜の鐘を伝えるテレビを見ながら食べた。

丼椀からはみだしそうな大きさのエビ天は冷凍もん。

昇陽もない朝の時間帯に出かけた奈良県中央卸売市場で買ってきた。

売っている店は奈良県麺類卸売㈱。

パック入りはとうに売り切れていたが、冷蔵庫にのこしておいてくれた特大のエビ天。

パックではなくバラ売りしてくれたエビ天は1匹が200円。

スーパーでも特大エビ天を売っているが、これほど大きなものは見ない。

このエビ天を初めて味わったのは平成27年の12月31日だった。

それ以来、他店舗で買うことはなくなった。

味はプリプリ。

衣で塗り固めているわけではなく、海老そのものの長さは衣の長さでもある。

プリプリの食感も良いが、揚げた油が美味いのである。

スーパーで売っているかき揚げを買っては我が家で味を確かめている。

具材よりも衣よりも基調は揚げる天ぷら油で決まる。

そう思っている。

今夜の晦日蕎麦は一年ぶりに揃った家族4人が食べる。

誰もかれも皆が美味しいという特大エビ天に満足したが、蕎麦があかんかった。

蕎麦はスーパートライアルで買ったもの。

価格はたったの5円。

2年前に食べた蕎麦は美味かったが、今回は酷い。

麺が細かく千切れているし、味もない。

もひとつコシもないから美味くない。

どちらかといえば今回は不味い。

そやから安もんはあかんやろ、と耳元で囁かれる。

これまで強情を張っていたが、今回はあかん。

ぶち切れる蕎麦麺にぶち切れしたトライアルの安売り蕎麦麺。

2度と買うまいと心に念じた大晦日の晩であった。

(H29.12.31 EOS40D撮影)

2枚で満腹するお好み焼き

2019年04月19日 08時35分52秒 | だんらん(大晦日買い出し編)
今夜というか、大晦日の晩食に選ばれたのはお好み焼き。

ついこの前も食べたような気がする。

筒井町の旧家で行われていた民家習俗になる砂の道造りを取材しているときに電話がかかってきた。

発信人はかーさんだ。

今は取材中だから、終わってから・・と伝えて取材を続ける。

終わってからは東西に走る国道25線に出る。

電話がなければカメラのキタムラ奈良南店に行っていたはずだが・・。

車を停めて用事を聞けば買物である。

今夜の食事はお好み焼きにしたという。

不足分を帰りに買ってきて欲しいという注文の品は4点。

大晦日は早朝に出かけた県中央卸売市場の買い出し

前日も前々日も買い出ししていたのにまだ足らんというわけだ。

週初めに出かけたスーパーは玉子1パックが安かった。

一人千円以上のお買い物でお安く手入れた玉子は2人並んで2パック。

正月は十分に過ごせると思ったが、間に合わなかった。

そういうわけで緊急追加の買物は玉子にオタフクソース、天かす。

ついでにと5均の食パンだった。

帰り道とくればスーパートライアル大和小泉店。

入店する前にわかった買い物客数。

なんと駐車場が満杯だ。

時間帯は午後5時半。

買い物を済ませた人たちでなくお仕事やなんやかやでそうすることができなかった人たちでごった返していた。

聞きなれない母国語で喋る人たちも多い。

それはともかく今晩のメインは2枚のお好み焼き。

一枚目の不味いこと。

味もそうだが、分厚く、しかも柔らかくない。

味はなんでこんなに薄いのか。

お好み焼きをするというからお願いしていたのは肉匠たけ田の油かすで・・・だ。

ところが口にしてもなんにしても肉匠たけ田の油かすの味もしないし、香りもない。

食感もないからこれ何、である。

問うた答えはすっかり忘れていた、ということだ。

あれだけ楽しみにしていた油かす入りのお好み焼きは豚バラ入りだった。

どうりでおかしいはずだ。

いつもなら豚バラでも充分に美味しいのだが、今晩のお好み焼きは最悪。

どうやらヤマノイモも玉子も量が少なかったようだ。

しかも分厚いのは、大昔に焼き付いたイメージである。

お好み焼きはジュージュー。

テコで抑えて焼くもの。

こってりコテコテに堅いのは具材の量だけでなく焼き方に問題もあった。

残してはあかんと子供のころにしつけられた私は不味くてもすっかり食べきった。

2枚目は間違いなく入れてくれた油かす。

生地も増量したヤマノイモに玉子。

量は少なくして焼き方はふっくら。

当然ながらこれは美味しい。

油かすの香りもあるし味もジュワーである。

ただ、食感は焼き過ぎになるきらいがあるのか、やや固めの油かす。

どちらかといえばうどんに相性が良いと思った。

ちなみにお腹にもう1個。

正月用に買った活泉のほたて貝の照り焼き。



美味そうに見えるものだからつい、つまみ喰い。

ぷりぷり、コテコテ味がたまらんくらいに美味いほたて貝の照り焼き。

来年の買い出しまで味を覚えておきたいものだ。

(H29.12.31 EOS40D撮影)

正月飾りの民俗探訪②大和郡山

2019年04月18日 08時51分07秒 | 大和郡山市へ
天理市の柳本町に檜垣町、武蔵町の正月迎えの民俗を拝見して戻ってきた大和郡山市。

天理市境目になる新庄町を訪れる。

新庄町は本村と枝村の鉾立からなる一村。

先に拝見する素盞嗚神社。

もしかとして砂撒きがあるかも、と思ってきたがこの年もなかった。

当地で砂撒きをしていたと聞いたのはずいぶん前のこと。

そのときより前、既に廃れたようである。

復活することもなく本村から消えた砂撒き。

えっと思った注連縄である。

平成21年の12月31日に訪れた素盞嗚神社に簾型の注連縄があった。

そのときにおられた長老は「ムカデ」と呼んでいた簾型の注連縄が市販の注連縄に代わっていた。

なんらかの理由があってこの年だけは注連縄を作ることができなかった。

一時的なことだろうと推測したが・・。

ただ、拝殿前にずらりと吊るした御神燈が奇麗に並んでいる。

大晦日の夜、参詣者を迎える蝋燭の火を点けた提灯の灯りが美しいだろうな。

時間帯は午後3時ころ。

約束の時間まで残り1時間。聞き取りする時間もないから枝村の鉾立に立ち寄る。



鉾立神社境内に一本の砂の道。

直線的な砂の道は鳥居から拝殿まで。

その手前は直覚的に曲がっている。砂の道をよくよく眺めてみれば線痕があった。



はじめに真っすぐな線を引いたのだろう。

直線に沿って砂を撒いていく。

歪みのない砂の道もまた正中である。

本村には見られなくなった砂の道は枝村にある。

約束の地は筒井町。

選んだ道中に白土町がある。



ここ白坂神社は砂撒きもあれば、鳥居に掛けるドウガイの呼び名がある簾型注連縄もあった。

今年も六人衆がされた正月飾りにほっとする。

神社からぐるっと回って中央通り。



えっ、民家の玄関に架けた簾型の注連縄に目が点になった。

民家は存知しているN家。

思わず車を停車させて呼び鈴を押したら奥さんが出てこられた。

ご主人は自宅にある竹を伐って作ったという注連縄。

この日の午前中に作ってかけたそうだ。

一年後にお願いしたい取材。

時期が近付いたころにまたお伺いしたい1件に心が躍る。

(H29.12.31 EOS40D撮影)

正月飾りの民俗探訪①天理

2019年04月17日 08時16分55秒 | 天理市へ
大和郡山市外川町の砂撒き取材を終えて次の取材地へ移動するのだが、お約束の時間は夕刻前。

始まるまでの時間待ちに2時間。

一旦は帰宅して諸々の作業もしたいが、気になる地域の正月迎えの状況を調査する方が有意義になると判断して車のハンドルを切り返す。

行先は天理市の柳本町に檜垣町、武蔵町。戻る行程に立ち寄る地域は大和郡山市の新庄町に白土町。

走行距離はままあるからこれ以上に立ち寄った場合はお約束の時間に合わなくなるからUターンする時刻の午後3時半を設定して走った。

まずは天理市柳本町である。

この年の7月10日に立ち寄った柳本町。

東西を通り抜ける遠田町からみて南側の街道筋である。

会所近くにある庚申さんの石塔である。

なぜに柳本町の庚申さんなのか。

遡ること1年前。

平成29年の1月2日に訪れた際である。

庚申さんに太神宮塔にも正月飾りがあった。

飾りに御供もあったから正月である。

では、正月前の大晦日はどのようにしているのか。

それを拝見したくやってきた。

ほぼ変わらぬ姿だった庚申さんであるが、どことなく前年よりかは豪華になっているような・・・。

よくよく見たら紙に包んだ何某かのものがある。

中を覗くわけにはいかないから実態は不明だが、紅白の水引で括っているから御供に違いない。

気の早い御供はたぶんに正月の餅であろう。

右横に建つ太神宮塔。

前年には見られなかった松飾り。

南天もある飾りは塔の周りをぐるりと囲むように飾っていたが、蜜柑、ウラジロもあった注連縄がない。

おそらく注連縄でなく、飾り方を変えたようである。

どなたが飾っておられるのか存知しないが信仰心の篤い方に違いない。

集落の1軒、1軒を訪ねる時間はないから場を離れて、すぐ近くになる檜垣町に向かう。

調査目的は境内に撒く砂の道である。

実は、ここ氏神社の三十八社(さんじゅうはっしゃ)境内に砂盛りがあると教えてもらった。

村の人から聞いたわけでなく村外の住民である。

S氏が県庁職務の関係で携われ、出版された冊子の『奈良、農と祭り。』が手元にある。

平成29年3月、奈良県農林部農村振興課の発行による冊子に、農の暮らしと密接に関係する地域の四季の伝統祭事を紹介している。

春、夏、秋、冬の四季それぞれ祭事がある。

その一つに天理市・南檜垣三十八社の砂盛りと大とんどを挙げている。

略説明に「砂盛りとは神様の道とも言われ、正月の初詣に合わせて行われます。まん中は神様がお通りになる道なので、住民は左側の端を通ってお詣りします」とある。

実は、三十八社の砂盛りはこの年の平成29年1月2日に拝見している。

S氏がFBで伝えていたので訪れて実物を拝見していた。

砂盛りはいつされるのか聞いていない。

これまでいくつかの砂撒き調査をしてきた感覚で判断する大晦日。



たぶんにされているだろうと思って立ち寄った午後2時半の三十八社に砂の道があった。

前年に撮った砂の道と比較すればわかるが、やや高さが異なる。

どちらが正解なのではなく、正中に砂盛りをすることが大事なわけだ。

午後いちばんにされたのか、それとも午前中かわからないが、砂の感触から大晦日にされたものであろう。

天理市内の神社に砂盛り、或いは砂の道をしていた地域がある。

私が聞き取った範囲に備前町の天皇神社、南六条町の杵築神社がある。

廃れたのはずいぶん前のようであった。

事実はあったわけだから周辺地域も調べたいが大和郡山市内の調査だけで目いっぱい。

調査に協力する人に手を挙げてほしいが希望的観測。

地道にコツコツと聞き取り調査をされる人材を求む、であるが、ギャランテイのないボランテイア活動に誰も手は挙げることなく、地域から記憶も消えてしまうことだろう

戻り道に選んだ武蔵町の素盞嗚神社。

数年前の平成26年1月1日に立ち寄った素盞嗚神社に砂の道は見られなかったが、特徴ある門松に飾った注連縄である。



葉付きの笹を束ねて作った、まるで鳥居のような造りは今もなお継承されていた。

葉付き笹を中央に立てて、直立する松葉に斑入りクマザサ設えは類例をみない。

奥にある寺、堂、稲荷社は松とクマザサだけであった。

(H29.12.31 EOS40D撮影)

外川町八幡神社・神さんが通る砂の道

2019年04月16日 08時23分38秒 | 大和郡山市へ
正月三が日に車を走らせる。

目的地は大和郡山市内の神社である。

時間的にすべてを巡ることは無理がある。

市内に鎮座する神社数はおよそ80社。

一日に26社以上も廻らないと三日間では終わらない。

調べているのは神社の鎮座地でなく、注連縄の形態と砂撒きの有無である。

神社だけでなく集落にもしていた砂撒きも併せて調べてきた。

大晦日の日に訪れた外川町の八幡神社。

本社殿、末社殿前から砂を撒いて繋げる砂撒きは境内下の階段を下った鳥居までに撒いていた。

初めて見た日は平成25年の1月2日

お屠蘇は前日に済ませて2日、3日に駆けずり廻る調査である。

外川の八幡神社は住まいする城町からすぐ近く。

3分ほどで到着する。

車を停めて鳥居横の駐車スペース。

ドアを開けて出たそこにあった砂の道。

まっすぐの砂の道が神社に向かって撒いていた。

感動の瞬間であったが、氏子さんの姿は見られない。

しばらくはその場で佇んでいたが、他地区の調査が待っているから場を離れた。

翌年の平成26年の正月にも訪れたが砂の道はなかった。

当番の人は砂を撒かなかったのでは、と思って他地区の調査に行ったが、モヤモヤ感がどうも残っていた。

次に訪れた日は平成29年の1月2日

天理市や田原本町の状況を調べた帰り道に立ち寄ったら、砂の道があった。

あの年だけがしてなかったのかどうかわからないが、2度目に拝見した砂の道に感動だが、この日は氏子さんのSさんに出会った。

砂撒きの概要を教えてくださったSさんは神さんのように思えたくらいに感動した。

あらかた聞いて、今年こそはと思って訪れた外川町の八幡神社。

大晦日の午後にすると聞いていたが、万が一、日程を替える可能性も拭えない。

そう判断してご自宅に居ると思われたSさんを訪ねたら、畑に居るという。

そう教えてくださったのは奥さんだった。

畑の場所はだいたいわかる。

富雄川の堤防道の車道を行けば畑が見える。

何人かが利用している市民の畑地。

20年以上も前である。

場所はこことは違うが、我が家から歩いた富雄川の向こう岸に市民が利用できる畑地があった。

利用料金を支払って畑作にのっこんでいたころを思い出した。

畑におられたSさんは、ちょうど作業を終えて軽トラの車体を洗っていたときだった。

念のためにと尋ねた砂撒きは食事後の午後にするという。

念ために確認した砂撒き。

昔しは大晦日から数えること10日ほど前にしていた。

当時も砂撒きをしていたが、大雨に見舞われた年があった。

せっかく撒いた神さんが通る砂の道が大雨に打たれて流れてしまった。

大雨は30日だった。

すべての砂が流されたわけでもないが、鳥居から登っていく石段に砂が散らばった。

その石段を登っていくときに事故が起こりそうになった。

石段に広がる砂によって履物が滑る。

滑るのは危険なことだから、大晦日にしようということになったわけである。

そのような話をしてくださったSさん。

大晦日の午前中はみなが集まって神社、境内を清掃するという。

年中行事を務める宮役員は宮総代の他、3年任期の1組から6組の代表者と引退するまで務めるという7組代表者で構成するようだ。

また、外川町には旧村の宮座があるという。

特定家の12~13軒で構成される宮座組織であるが、神社行事を務めることはないようだ。

午後の作業が始まった大和郡山市外川町・八幡神社の年迎え行事。

まずは注連縄飾りである。

予め作っておいた注連縄にシデをつける。

固く結った注連縄の一部を逆巻きに広げてシデを挟む。

緩めることで隙間ができる。

そこに挟むだけであるが、外川はシデに神職からいただいたものと思われる麻緒で括っていた。

注連縄は拝殿、本社殿、末社殿に合わせた長さ。



幅がある拝殿は先にシデを付けた注連縄を二人がかりで掛ける。

末社の小社はコミヤ(※小宮)さんと呼んでいたが、大鷦鷯(おおさざきのみこと)を祀る、いわゆる若宮さんであろう。



本社殿と末社殿は一人作業。



注連縄を掛けてからシデを取り付ける。

3本の注連縄は当番の人たちが作ったものでなく隣村の城町の西城(にしんじょ)の人に作ってもらい、有料でわけてもらっているそうだ。

現在の行政地名では城町であるが、かつては城村だった。

富雄川を境に西側が西城(にしんじょ)。東側を東城(ひがしんじょ)と呼ぶ人は昔から住んでいる人たち。

他所から移った新興住宅民では知りえない大字の呼び名であるから、Sさんはためらうことなく「城村(じょうむら)の西城(にしんじょ)」と呼んでいた。

我が家は新興住宅民であるが、さまざまな村行事を取材しているうちに自然と口に出る「城村(じょうむら)、西城(にしんじょ)、東城(ひがしんじょ)」である。

注連縄掛けを終えたら正月の鏡餅も。



これもまた一般的に売られている鏡餅。

鏡餅の形になっている中に小餅が入っている。

かつては鏡餅も村で搗いて供えていたが、正月三が日にひび割れしたそうだ。

日持ちする市販の鏡餅であれば猫や鳥獣に喰われることもない。

もちろんひび割れもしないということで略されたようだ。

注連縄に鏡餅を供えた次が砂撒き。

「神さんが通る道は参道の中央。正中(せいちゅう)に撒く砂の道は踏まないように参拝します」と話してくれたSさん。

かつては富雄川にある奇麗な川砂を掬っていた。

砂はモッコで運んで神社に撒いていた。

私が城町に越してきた30云年前の富雄川は川面に葦などが自然に生えていた。

鯉も鮒も泳いでいた富雄川に、なんとモロコも泳いでいた奇麗な川だった。

実弟の子供たちが我が家にやってきたころ。

甥っ子、姪っ子に行こうと誘った富雄川の魚釣り。

そのころの富雄川は決して奇麗とは言えなかったが、生息するモロコを釣ったときは心が躍ったものだった。

やがて、数年後に始まった護岸工事によって川の様相は思い出せないくらいにすっかり変容した富雄川。

鯉さえ見られなくなった。

Sさんがいう奇麗な川砂はもっと前のことであろう。

川砂の代わりに買ってくる市販の砂。

その量は20kgの砂を4袋も用いる。

同じ量とすればモッコ運びの回数は、ままあったのだろう。

午前中は境内の清掃をしていたが、今年はそれより先の日に積もった落ち葉を拭い去ったという。

落葉の量が多くなったから伐採しようかと考えているようだ。



散らかっていた落ち葉を取り除いて奇麗にしていたが、石段の掃き掃除は念押し作業。

箒で掃いて奇麗にされる。

よく見れば中央に据えた手すりの真下に砂の痕跡が・・。

境内は土の地。

雨が降れば上っ面の砂が流され痕跡はつかないが、石段の場合は若干が残るようだ。



さて、市販の砂は現代的な箕に盛って正中に撒く。

撒き方は見ての通り。

バサバサと上下に揺らした箕から零れ落ちる砂。

均一にすることもなく砂盛りのように撒いていく。

階段下から鳥居までは地道。

丁寧に手で掴んだ砂で盛る人もいる。

鳥居に松飾りを括りつける二人。



これもまた簡略化されて市販の松。

昔はもっと大きかったのだが、といいつつPP製ロープをもって鳥居に括りつけてできあがり。

私が生まれ育った地は大阪・住之江の大和川住宅。

戦後、被災者住宅として建造された大阪市営住宅だった。

記憶にあるのが印刷された門松があった。

市から配られる印刷の門松は玄関の柱に糊付けしていた。

松飾りにしては今では考えられない、昭和30年代の質素な門松を思い出した。

ちなみに松飾りは雄松に雌松の2種類。

左に雄松、雌松は右に立てる。

雄松、雌松の見分け方は、松葉の張り、柔らかさ具合でわかるのだが、製品は説明付き。

現代的になったものだ。

この製品に書いてあった飾りつけ期間。



12月13日から正月明けの1月7日までとある。

12月13日は正月のコトハジメ(※事始め)。

煤払いをして奇麗にするなど、年神さんを迎える準備を始める日。

また、1月7日は七日正月

前日の六日をもって、元日から続いていた正月は六日の夜から七日の朝にかけて正月行事を終える日であるから松飾りは、その日までに取り払う。



さて、神さんが通る砂の道は本社殿、末社殿に繋げるように砂撒きをする。



割拝殿の中央も砂の道。

まっすぐに敷いた砂の道の向こう側は拝殿に登る階段の向こうまで。



砂の道はもう一本あるから、そこから分岐して直角折れ。



砂の道を繋いで末社に。

末社側からも砂の道。



その間を埋めていくように撒いてできあがった。

大和郡山市内に今もなお砂撒きを行っている地域は、外川町の他に、観音寺町の八幡宮野垣内町の若宮社白土町の白坂神社、新庄町枝村になる鉾立地区の鉾立神社がある

現在は5地区に継承されている神社の砂の道であるが、かつては発志院町の八王子神社、新庄町・本村の素盞嗚神社、椎木町の杵築神社・厳島神社、番条町の熊野神社、横田町の八幡神社、池之内町の八幡神社、伊豆七条町の子守神社、小南町の小南神社、井戸野町の八幡神社、額田部北町の推古神社、筒井町の菅田比賣神社、天井町の八幡神社、高田町の天神社、八条町の菅田神社・子守神社、馬司町の杵築神社、長安寺町の厳島神社などでしていたと聞いている。



外堀に囲まれた城下町の内側でなく、城外旧村のほとんどに見られた砂撒きであった。

砂の道の形態でなく、砂モチをしている小泉町の小泉神社に柏木町の素盞嗚神社もある。

(H29.12.31 EOS40D撮影)

今年も大晦日の早朝買い出し

2019年04月15日 10時10分25秒 | だんらん(大晦日買い出し編)
今年も大晦日の買い出しに出かける。

日の出時間は7時4分ころ。

辺りはまだまだ真っ暗な時間帯に家を出る。

到着時間は6時に照準を合している。

それくらいの時間帯は混み入っていない。

通路でぶつかり合うことのない時間帯である。

起床時間は久々にタイマーセットした朝5時。

久しぶりなので鳴った音色にうっとり。

いや、違った。

セットした目覚まし時計に気づいて目を覚ます。

普段であればそこから2時間もかけて起き上がる。

起き上がると云っても、小水トイレ、体重計測、血圧・心拍数計測に夕刊・朝刊のまとめ読み、洗顔、大便トイレを経て食事するまでを要する時間は2時間。

そんな日常を出し切ったら、とてもじゃないが間に合わない。

今、出かけなくちゃならんから、大便は帰宅してからにする、としてとにかく出発。

今月20日に退院して、人生初の介護通所サービス施設体験したおふくろに留守番をお願いして出かけた先は奈良県中央卸売市場

到着時間は午前6時10分。

買い物客はそれほど多くもない。

通路は歩きにくい状態でもない。

店だししている商品は流し目線でとらえる。

最初に行く商店は㈱都水産。

大晦日の買い出しをするようになって数年になる。

毎年のことであるが、お店は決まって㈱都水産

ここで買うのはいつも半身のブリ。



お店に顔を見せたとたんに云われた台詞は「残していたで~♪」だ。

お店の看板娘の一人である妹ねーちゃんだ。

今年もついてきたかーさんはびっくりぽん。

なんで覚えられるのか、不思議でならないようだ。

私は、顔か、口調によほどの特徴があるようである。



この日の買い値段はkg単価が1300円。

2.75kgもあるブリの半身を皮付きの三枚おろし。

背骨以外は無用のアラも盛ってもらって3575円。

ついでにというか、ねーちゃんが、これ美味しいと云ったから間違いないと決断してかったあさり貝。

おふくろも喜びそうな買い出しあさり貝は買い出し640円。

kg単価が1600円のところを400gしか買わなかったので640円になった。

トコブシも買いたいし、サゴシも美味そうに見えた㈱都水産の海産物。

サゴシはどういう料理をすればいいの、というかーさん。

そもそもサゴシの名を知らない。

サゴシはサワラの0歳魚。

主に秋から冬にかけて撮れる魚。

小型で脂分が少ないと云われている魚を美味しくいただくには西京漬けが一番らしい。

尤も、私が食べたかったのは塩で〆て、キズシが一番。

サバはもっともであるが、大昔に聞いたことがある料理法のキズシ。

かーさんがやらんかったら、いっぺん試してみようと思っているくらい。

いつだったか、とても美味そうな生サバを売っていたお店があった。

夕刻にしか店を開けない魚屋さんは丸一水産。

定休日は毎週の月曜、火曜のようだ。

売り場は旧都祁村の藺生町にあったと思う。

太い生サバはえー値だった。

何人もの婦人が並んででも買っていた。

その人たちはサバのキズシを作って食べていると話していた。

祝いの場にもでる一本丸々のサバもそうだが、サゴシも食べてみたいと思うのだが・・・。

あー、片身かどうか聞かなかったが、一枚で600円。

来年の今日まで調理ができるようにしておきたいが・・どうなることやら。

次の店に向かおうとしたら長男の友達二人のNくんとYくんに遭遇した。

前日の30日の夜半に東京から車で戻ってきた長男。

長男から聞いていたし、昨年も遭遇していたので、たぶんに合うだろうと思っていたら案の定のご互いが買い出し出会いだ。

話題は長男のこともでる立ち話に長居はできそうにもない卸売市場内。

通行の邪魔をしてはならないので、分かれてそれぞれが目指す先の商店巡り。



ぐるりと市場を回遊して探し出すまぐろの塊。

冷凍まぐろを大きな刃で伐っていたお店もあるし、とにかく目移りする生まぐろ買い。

色合い、風合いにこれやっと決めた生まぐろ。

決め手は売り子さんが伝えてくれた美味しい食べ方。

「買ってそのまま冷蔵庫に入れたままにしておくと、真っ黒けになるから、一旦は自然解凍をしておいて十分に水出しをしておくこと・・」。

「その処理をちゃんとしてから冷蔵庫に収納したら美味しなるよ」というアドバイスだった。

なるほど、である。

生まぐろは冷凍もん。

水分たっぷりとは云わないが、余計な水分が魚身に無用の影響を与えて味を不味くする。

そういうことだ。

大きな塊を2切れ。

まけにまけてもらって3000円。



買ったお店は㈱丸二商店

2年前の平成27年も買ったお店。

店員さんの見聞きに任したら美味しいものを提供してくださる。

来年もっまた、ここで買ってみたいお店である。

とてもお買い得な生まぐろはいち早く帰って、おふくろに味わってもらいたいものだ。

なんせおふくろは大のまぐろ好き。

にぎりであっても造りであっても、まぐろ、まぐろ、である。

いろんな活魚店を見て廻る。

ふと目についたのが大きなほたて貝の照り焼き。



照り具合に引き付けられていくほたて貝の照り焼きは5個入りで594円。

これもまたお買い得。



割合歳いったおっちゃんが「買うて、買うて」と連呼する声は好きではないが、大粒姿の色具合に釣られて思わず買ってしまったお店は㈱活泉。

一本、筋を奥に入ったところにある。

造りはブリもあるし、生まぐろもある。



これで打ち切りと思っていたが、こんなにでかい丸ごと茹で蛸を見たら、欲しくなるのは当然な気持ち。

一匹で2200円。

大安売りの茹で蛸をかぶりつきたい。



そう思って買ったお店は㈲古賀商店

2年前は雲丹に鮑も買っていたお店。

安くて美味しい商品を提供してくれる店である。

海鮮ものはこれぐらいで〆。

次は向かい側にある建物へ。

毎月の月末辺りの土曜日は中央卸売市場協同組合が主催する「食祭市」が開催される関連棟である。

購入する品物は例年と同じ。



まずは奈良県麺類卸売㈱でバラ売りのエビ天を買う。

サイズはとてもでかい大サイズ。



4尾買って800円。

1尾が200円でこのサイズ。

スーパーで買ったら350円はするであろう。

ついでに買ったすき焼き用豆腐は1丁が40円。

蕎麦は先にスーパートライアルで買っていたから、ここではもう買うことはない。

ところがこれが大失敗だった。

来年はここで買うか、それとも・・。

年が明けてから思った蕎麦は冷凍もんにすべし、であった。

次は是が非でも買わなきゃならない玉子焼き。

私はそう呼んでいるが、じつはだし巻き。

とても美味しいから毎年買うことになっている。



先ほど出会った長男の友達にも推薦してだし巻きを売る店は㈱ビッグウェイフーズ。

今年のサイズは大を選ぶ。

3枚買ったボリューミーなだし巻きは972円。

一枚が324円の大型サイズのだし巻きは食べ応えのある分量。



とかくそれぐらいでないと、すぐに食べきってしまうのが困りものだ。

レジで支払っている最中にえー匂いがする。

美味しそうな匂いはどこから。

足元から。そんなくらいにびっくりした場はお店にあった。

店員さんがストーブ熱で焼いていたフライパンにあったのは醤油を塗っていた白餅だった。



えー匂いするやろと云った店員さん。

なんと食べていき、と云って焼きたて醤油タレ付き餅をパックに盛ってくれた。

店の外でよばれた餅の美味しいこと。

嬉しいサービスは店員さんの気持ちのサービス。

いつでももらえるわけではない。



ラストの買物はジュルネフーズ㈱のすき焼き肉。

100gが税込み580円のすき焼き肉を800gも買った。



支払った代金は4750円。

この日、一番の支払い額であった。

帰宅してすぐにいただくビッグウェイフーズのだし巻き。

お昼にも1本。

立て続けに食べても飽きないだし巻き。

大晦日の買い出しの楽しさは食にあり。



向こう側にあるお皿料理は簡単に作れるもやし炒め煮。

厚揚げを入れると一層美味しくなる。

その向こうはおにぎり。

右手にあるスープは春雨スープ。

これも簡単。

お湯を注いで3分で美味しくいただける。

(H29.12.31 SB932SH撮影)

晩飯の副食・②北海道函館市・布目のにしんマリネ

2019年04月14日 09時23分08秒 | あれこれテイクアウト
副食はもう一品ある。

これもまた買い置きしていた調理済パック商品である。

商品名は「にしんマリネ」。

製造・販売会社は北海道函館市浅野町4-17の㈱布目

少ないかなと思ったが、平皿に盛ったら毀れそうになった。

見た目の魚は真サバのようにも見える皮の紋様。

晩飯は多少酔っているから真サバのように見えたのかもしれない。

お味は抜群。

にしんはやや薄めの肉厚だが、しっかりとした身である。

パック表記に「ゆず皮入り」。

「脂ののったにしんをさっぱりとしたマリネに仕上げた」とある。

買ったお店は業務スーパー大安寺店。

特売価格の税抜き58円に釣られたかった「にしんマリネ」の味が濃い。

旨さもあるからついつい液体が欲しくなる。

喉にぐっとくるカルピスソーダ割りの甲種焼酎のよく合う。



にしんに漬けこんだタマネギに細切りニンジン。

シャキっと感はない。

どちらかと云えば、にしんを包むような味付け。

醸造酢マリネの味がキツイのかもしれないが、とにかく美味い。

明くる年の1月9日に買物に出かけた立ち寄った業務スーパー大和郡山店。

なんと、同一価格で売っていたから買い物カゴに入れた。

(H29.12.30 SB932SH撮影)
(H30. 1. 9 SB932SH撮影)

晩飯の副食・①北海道根室市・兼由のさんまの旨煮

2019年04月13日 09時22分17秒 | あれこれテイクアウト
無茶苦茶美味しかったかまぼこを味わった時間帯は昼飯。

晩飯は普段どおりであるが、ややお腹が空いていたので買い置きしていた「さんまの旨煮」のレトルトパックの口を開けた。

椀いっぱいに盛ったさんまの美味しさは食べてみたいとわからない。

北海道産のさんま。

今年は不漁の年。

高値がついて買うにも買えないから口に入ることはない。

そういうときにこそ役立つ煮つけのレトルトパック売り。

どこで買ったのだろうか。

記憶を辿ってみれば、たぶんに平群町のビッグ・エクストラ。

思い出した・・。

平群町檪原の禊ぎのお垢離取り取材に立ち寄った際に買っていた。

昆布エキスに漬けこんで作ったらしい。

よくある缶詰のさんまよりかは遙かに美味かった。

製造・販売会社は北海道根室市落石西114番地にある㈱兼由

食塩相当量が1.1g。



心臓病に優しい商品が嬉しい。

もう一度、買いに行きたいが売っていないだろうな。

(H29.12.30 SB932SH撮影)
(H30. 1. 9 SB932SH撮影)

晦日に調えた我が家のしめ飾り

2019年04月12日 09時59分32秒 | もらいもの・おくりもの
いつのころから赤い実を付けるようになったのか。

記録もしていないし、覚えもないセンリョウ。

白い花が付くらしいが、それすら記憶がない。

一時的にぱっと咲いてしまうのか、それとも目立たないのか・・。

10月ころには丸い玉のような実が付く。

色は徐々に変化して深緑から黒くなる。

やがて11月半ば辺りから赤みを帯びて月末には真っ赤っか。

今年も赤い実を付けたセンリョウは大晦日までもってくれるのか。

ただただ心配するのみ。

12月半ばに差しかかろうとしていたころである。

ガラス窓を開けたら大きな鳥が羽ばたいて逃げていった。

大きさから判断するにヒヨドリである。

かつて北側の狭い庭に南天があった。

実成がよくなったころにやってくるヒヨドリがついばんでいた。

冬場の餌は美味くなる頃合いを狙ってやってくる。

今年もやられてしまうか、センリョウくん。

何とか難を逃れて晦日に間に合った。

我が家の注連縄は2度目の登場。

ぐるりと曲げた太い注連縄は桜井市萱森住民Nさんの手造り。

一方、長寿の亀さんをあしらった造り物は大和郡山市白土町住民Nさんが拵えたもの。

尻尾がとてつもなく長いのが長寿の印。

ありがたい二つの貰い物だけでは寂しいので我が家の庭に咲いていた赤い実付きのセンリョウを添えた。

葉付きみかんはなにかと買物する「よってって」大和小泉店で買ったもの。

二つ入って税抜き80円。

一つは鏡餅でもう一つがここにある。

そこにチリチリなりかけのウラジロも添えた。

これもまた「よってって」大和小泉店で買ったもので3枚入り140円。

小さいのでいいやと思って買ったが、小さいから目立たない。

(H29.12.30 SB932SH撮影)

退院祝いに実弟が贈ってくれた宮城県白謙かまぼこが美味すぎる

2019年04月11日 10時26分56秒 | もらいもの・おくりもの
おふくろが退院した祝いに実弟が贈ってくれた仙台かまぼこ。

とても美味しいと評判の蒲鉾は年末27日に届いた。

息子が贈ってくれたと喜ぶおふくろ。

ありがたくその夜はご相伴に舌鼓。

えっ、これってほんまに仙台蒲鉾なの、と思ったくらい。

十年、いやもっと以前に仙台に旅行。おふくろとともに孫二人を連れて福島県-宮城県への旅。

仙台に住む実弟家族らと顔合わせも兼ねての旅だった。

実弟お勧めの仙台名物は牛タンに勝るものなし、だった。

だが、その日に食べた仙台蒲鉾は印象が薄い。

薄いというよりも仙台の笹蒲鉾は普通の味だった。

歯応えを感じる笹蒲鉾。

和歌山白浜にも笹蒲があったと思うのだが・・。

もう一品のお勧めは山形名物の板そば。

大きな木箱に盛った蕎麦には参った。

当時の感触は今でも記憶にあるゴムのような堅さ。

堅いとしか言いようのない表現で申しわけないが、噛んでも喉の中に入っていかない傍にはてこずった。

牛タンもどちらかといえば歯ごたえがある堅さ。

もっとも噛んだらぐちゅ。

表面は堅いが中身は柔らかい。

ところが、奈良で食べた牛タンはまさにゴム。

何度噛んでも砕けない。

大きなままでは喉を通るまい。

東北の人たちには申しわけないが、「堅い」シメージが記憶に残ってしまった。

ところが、だ。実弟が贈ってくれた笹蒲鉾がむちゃくちゃ美味しいのである。

こんな味覚であったら箸が止まらない。

噛み応えはもちろんあるが、堅くはない。

柔らかくもない蒲鉾の食感は美味さを文字で表現はできない。

ただ、ただ、美味い詞しか出こない。

たぶんに思うには人工的な添加物はなく、材料の旨味しか入っていないのだろうと思った。

この日の昼食は東京から帰省した長男も一緒の食事。

おふくろも美味しいという蒲鉾は長男もそういう。

贈ってくれた商品は宮城県石巻市にある㈱白謙かまぼこ店

どっさり入った贈答の箱から一つ、一つ丁寧に包装したかまぼこは冷蔵庫入り。

いくら食べてもなかなか減ってくれない。

商品は笹かまぼこの他にミニシリーズもある。

紅しょうが、チーズ入り・・。

どれもこれも石巻名産の品に乾杯する。

おかずに最適であるが私にとっては価値ある酒の肴。

通信販売もしているようだが、奈良県内で売ってくれないかな。

(H29.12.30 SB932SH撮影)