私は猫に限らず犬も嫌い。その私の家にメスの黒猫が同居することになって二年が過ぎようとしている。
犬や猫が嫌いな理由といっても、たいした理由はない。相性が悪いというほかない。あえて理由を探せば、ウンチの世話や飼っている生き物の死が見たくないということもある。
そんな私のところへ猫がやってきたのは、私の娘が原因。娘は私に似合わず犬や猫が大好きで、フィラデルフィアの友人宅からの帰途、猫を買ってきたくらいだ。 そのときは娘が独立して生活していたので、猫との同居に発展しなかった。それが二年前の早春、寒さの残る夜、路傍に捨てられた猫を拾ってきた。かわいそうだからと言って、私に有無を言わせない。私はあきらめた。
そのかわり一切の世話はしていない。とはいっても可燃ごみの袋には、猫のウンチやおしっこの凝固したビニール袋も入っている。それを私がゴミ収集場所まで運んでいるけれど。そんなことは猫にとってはどうでもよく私にはなつかない。私が振り回す腕に飛びつくくらいだ。娘はまさに猫可愛がりそのもので、暇さえあれば抱いている。
この猫の名前は、我が家に来たとき手のひらに乗るくらい小さく、歩くとふらふらしていたので「フラ」になった。フラダンスのフラと思う人もいる。私の妻も猫嫌いの部類に入るが、今では可愛いを連発している。確かに前足を揃えて招き猫のように座って、じっと食べ物を待っている姿は可愛い気がする。
私も少し変わったようだ。遊歩道で野良猫を見かけると、「オーイ」と声をかけるようになった。野良猫は知らん振りしているが。いままでの私なら無視していただろう。
去年の初夏、車で黒部峡谷の観光に出かけた折、車が嫌いなようでずっと鳴き続けていた。そのかわり無料の町営キャンプ場では、のびのびとうれしそうにはしゃいでいた。翌朝、周辺を散歩したときまるで犬のようについてきて、先に行って振り返って人間が追いつくのを待っていたりした。
帰路はずーっと眠っていた。チョットかわいそうだと思うのは、去勢されてしまうことだ。去勢しなくてもいいが、何匹も仔猫を抱え込んでしまう覚悟がいる。
人間的に見ると、セックスを強制的に奪い去られることが哀しいことのようにふと思ったりする。猫は自前で仔猫を育てない。時期がくれば野良猫として放り出してしまう。人間から見れば迷惑な話になる。おまけに人間は血統書つきにこだわる。野良猫の行く末はかわいそうなものだ。
幸運に恵まれた「フラ」は、今日も温めた牛乳やいわしの煮たものを食べて満足そうにしている。そして「この家は私の家よ」と言いたげに……