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文学賞受賞の父ビル(グレッグ・キニア)、姉サマンサ(リリー・コリンズ)、弟ラスティ(ナット・ウルフ)の一家。父親に似てサマンサもラスティも作家志望だ。父子家庭の背景にはちょっと複雑な事情もある。
母エリカ(ジェニファー・コネリー)は、家を出てマーティと言う男と暮らしているのが影を落としている。サマンサは、母エリカを憎んでいる。ビルを捨てて他の男に走った時のエリカの言葉が許せない。
それはパーティの日、サマンサは屋根に上っていた。マーティと母エリカが出てきた。マーティが“ビルに見られるぞって”って、母さんが答えた。「どうでもいい」
そんな憎しみを抱えながら父から真実を聞かされて家族が元に鞘に納まるというお話だが、私には納得のいかないところもある。
導入部にサマンサのこんなセリフがある。「わたしは何も楽しめていない。いつも次を求めっている。みんなそうでしょ。人生は早送り。本分をなすために日常を慌しく駆け抜ける。でも、時々はっと目が覚めるの。立ち止まって気づく“日常こそが人生なんだって。いつか自分も墓に行き着く。楽しまなきゃ だからヤリましょ(fuck)」びっくりする相手の男。いくらなんでも10代の少女に言わせるセリフとは思えない。10代で墓場までのことを考えているのだろうか。むしろ目標に向かって真剣な年頃だ。
さらにビルとエリカの別居の理由が、ビルの浮気が発覚したときエリカはビルの戻るのを我慢強く待った。今回はエリカの浮気。ビルは待っている。こういう話はないとは言わないが、釈然としない。夫婦の生活がメイン・ストーリーだとすれば、浮気はサイド・ストーリーか。
もっと驚くことは、父ビルとサマンサが家の前の浜辺に面したベンチで雑誌を読んでいて遠くからランニングでこちらに向かう女性を見たサマンサ。「関係は知ってるよ。彼女とヤッてる」
翻訳が悪いのかもしれないが、父親にこんな言葉を言うんだろうか。貧民街の人間じゃないから、もう少し品位があってもよさそう。
この映画の監督は、36歳で脚本も書いている。36歳ののりで書いただけで熟考しない。そんな印象だ。せっかく俳優陣が粒揃いで可愛いリリ・コリンズも出ているのに惜しい。
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付け加えれば、サマンサが聴くボーイフレンドの好きな曲にエリオット・スミスの「Between The Bars」があった。悪くはないが何度も聴きたいとは思わない。時代の差だろう。
こういう曲が現代の若者が高齢になったときのオールディズになるのだろう。私のようにフランク・シナトラやウィリー・ネルソン、ペリー・コモ、エンゲルベルト・フンパーディンク、それにピアノ・ジャズのビル・エヴァンスなどとは色合いが違うなあと思わせられる。当然と言えば当然。まあ、一度は聴いてみてもいい。その曲をどうぞ!
監督
ジョシュ・ブーン1979年4月ヴァージニア州生まれ。
キャスト
グレッグ・キニア1963年6月インディアナ州生まれ。
ジェニファー・コネリー1970年12月ニューヨーク州生まれ。
リリー・コリンズ1989年3月イギリス生まれ。
ナット・ウルフ1994年12月ロサンジェルス生まれ。
リアナ・リベラト1995年8月テキサス州生まれ。
声の出演スティーヴン・キング